第十三話
憔悴しきっている桂木智子を自宅へ送った後、彰子は劇団事務所へ向かった。
智子の家ではプツリと連絡が取れなくなった彼女までもが行方不明になったと、警察が新たな走査線を張ろうとしていたところへ本人がひょっこり返って来たものだから、同行していた彰子は再び事情聴取を受けるハメになってしまった。
まさか一晩中車の中で忍の秘密を聞いていたとも言えず、ショックで体調を崩した智子を介抱していたと言うより他なかった。
智子が家を空けている間に犯人から接触があったのかといえば「NO」である。留守番電話には仕事関係の連絡しか入っておらず、そのすべてに裏付けが取られたからだ。
おそらくここと同じことが文音と翔平の自宅でも行われているのだろう。
一体、犯人の目的は何なのだ?
劇団の方も大騒ぎになっていた。
「矢沢、今までどこ行ってたんだ! 翔平がいなくなったことがヘレンディアのスタッフにバレたぞ。芸能レポーターも勘付きはじめている。朝から問い詰めの電話にメールやファックスがひっきりなしだ。おそらく桂木忍の事務所はここ以上の騒ぎだろうな……とにかく、矢沢も電話の対応に回ってくれ!」
完全にテンパっているマネージャー主任は、文音と翔平の安否よりマスコミの取材攻撃を気にしているようだ。
彰子は主任の指示通り電話に向かったが、受話器をはずしたまま自分の携帯から知り合いの芸能記者に連絡を取った。今回の事件がどのような内容でどこまで漏れているのかを先に知っておくことが先決だと思ったのだ。
「……もしもし、ミキちゃん? よかった、やっとつかまった!」
『彰子! つかまえたかったのはこっちの方だよ! 携帯は切っちゃってるし、家にも戻ってないし……で、翔平くんが誘拐されたってどういうこと!? 犯人はわかってるの? 犯人からの要求は何? 翔平くんは無事なの?』
彰子が聞く前にミキの方から矢継ぎ早の質問が飛んできた。やはり誘拐事件として情報が流れてしまっているようだ。
彰子がマネージャーになって初めて担当したタレントの取材を受けたのが、やはり芸能記者になってそれが初めてのインタビュー取材だった町田ミキで、いわば同期の彼女とはそれ以来親友でもあり業界の情報を交換し合う仲だった。
「ミキちゃん、いろいろ聞きたいのはこっちなのよ。マスコミはどんな情報を掴んでいるの?」
『その前に、犯人からは何か言ってきたの?』
「いいえ。まだなんの接触も要求もないの」
『そんな……それじゃ探しようがないじゃない!』
確かにそうだ。だが、ひとつだけ有力な手掛かりがあった。
トラックだ。
文音の劇団仲間、戸田夏美の転機で文音たちを連れ去ったのがコンテナ式のトラックである可能性が出て来たのだ。
『それから桂木忍! 彼女も一緒だっていうじゃない。 有名子役が二人誘拐されたってメディアはパニック状態よ!』
もう一人、その有名子役に負けずと劣らぬ履歴の持ち主が一緒なんですけどね。
「もう外部に漏れてるの?」
『メディアの方は報道協定が結ばれたらしいから大丈夫だけど、ネットでは流れてるかも……」
このさいネットは除外するしかない。無法地帯に踏み込んでも無責任なネットワークの網に絡まるだけだ。
警察の捜査状況はどうなっているのだろう。件のトラックのコンテナには文字を隠すための工作がされていたという。その一部が剥がれて出て来た文字は「具」。せめて文字数さえわかれば推理のやり様があるものを。
「とにかく、今は犯人の出方を待っている状態なの」
『わかった。こっちも何か掴んだらすぐに知らせるから。大変だけど彰子も頑張ってね!』
「ありがとう」
ミキとの通話を終えると、次は智子に教えてもらった番号をタップした。果たして登録外の番号を着信拒否にしていなければいいが……。
『はいよ』
予想以上に早い応答と緊張で彰子はスマホを落としそうになった。
『どちらさん?』
「あ、初めまして。私、桂木智子さんの知人で矢沢彰子と申します」
『ふーん』
「あの……真山透さん、ですね」
今日は長い一日になりそうだ。
真山透は約束の時間通りに現れた。
彰子が想像していた通りの風貌で思わず笑ってしまうところだったが、この男は倫理に反する研究を行っているのだと思うと彰子の表情は自然と硬くなった。
真山はひょろりとした長身で、猫背気味の体形は内向的な性格を連想させた。青白い顔、大部分が白くなった長めの頭髪をかき上げながら銀縁眼鏡をズリ上げる仕草は、いかにも理系の教師のようだ。智子は同級生だと言っていたので四十五歳ということになるが、白髪を除けば単位を落として何年も留年している大学生に見えなくもない不思議な雰囲気の男だった。
「桂木からは、どこまで聞いてンの?」
「ほとんど全てだと思います」
「そっかー、それなら話は早いや」
しゃべり方まで今時の学生のようだ。
真山のところへ警察は来ていないらしい。おそらく智子は真山のことを話していないのだろう。
「あんた……矢沢さんね、オレっちのこと軽蔑してンだろ? マッドサイエンティストかなんかだと思って」
「私は難しい事はよくわかりません。でも正直に言わせていただくなら、真山さんのやっていることは間違っていると思います」
彰子の言葉に憤慨すると思ったら、突然真山は笑い出し、
「オレっち、もうヒトクローンの研究やめたんだ。忍が最初で最後だよ」と、言った。
「それは、どういう……」
「言っとくけど、自分の行いに後悔や罪悪を感じてやめたんじゃないぜ。ただ単に、飽きちゃっただけ!」
彰子は真山の言っている意味が一瞬理解できず「飽きちゃった」というフレーズだけが頭の中をリピートした。と同時に、この男は自分のした事の重大さがわかっているのだろうか? と思った。
人間の生命を神以外の手で生み出す技術を「飽きちゃった」のひと言で放り出せるものなのか? 研究費用だって莫大なものだったろうに。
「IPS細胞っていう多能性幹細胞が開発されたり、この業界も日進月歩なのよ。だからここらで危ない橋を渡るのは辞めたんだぁ」
冒涜している。
彰子は特別何かを信仰しているわけではないが、真山の行為は生命を冒涜しているとしか思えなかった。
「真山さんは忍さんが将来どんなに苦しむか考えなかったんですか!?」
「あの頃はね、オレっちも桂木も若かったから目の前の事だけでいっぱいいっぱいだったのさ。それに……」
そう前置きして、真山は桂木智子がいつか忍を連れ去るだろうと確信していたと言った。
「それじゃ、わざと見逃したっていうんですか?」
「そういうこと。そうとは知らずに桂木のやつ、いろいろ手の込んだことしちゃって……まさか忍を女にするとはなぁ」
真山は楽しんでいるかのようにそう言うと、二人の居場所はずっと把握していたのだと彰子に明かした。
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ、もしかして今回のことも……」
「もちろん知ってるよ~。加えて言うなら犯人も知ってる。だけど、まさか桂木の方から連絡してくるとは思わなかったな。ま、あいつがオレっちを誘拐犯だと思う気持ちもわかるけどさぁ」
彰子は目の前がくらくらして今にも倒れそうだった。この真山という男こそ愉快犯だ。しかも自分は高みの見物、手持ちの駒で遊んでいる最もたちの悪い犯罪者だ。
「あの子たちを誘拐した犯人は誰なんですか!? 犯人を知っていながら、どうして警察に言わないんですか!?」
「言おうと思ったよぉ。言おうと思ってたらさ、あいつら自分たちで逃げちゃったんだよね~」
「はぁ!?」
もう彰子は真山の言うことが、何がなんだかわからなくなってきた。
~ つづく ~




