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第十話

 もうすっかり夜も更けて、公園の外灯だけが芝生の緑を照らし出している。

 すでに警察も引き上げ、鑑識が残した立ち入り禁止の黄色いテープが、まるで畑の害鳥除けのように張り巡らされている。その風景が、この平和な空間で起きた事件と同様にいっそう違和感を放っていた。

 撮影スタッフも個々の取り調べが終わり、すでに撤収して人ひとり見当たらない。

「江藤が……忍さんは男だって言うんです」

 この暗さでは、彰子の問いに対する智子の表情を確かめることはできない。智子の視線は、ただフロントガラスの遥か彼方へと向けられているようだった。

「そんなバカなことがあるわけないですよね、桂木さん」

 彰子はあえて明るく聞いた。

 江藤喜一から聞いた話では、江藤本人が忍が男だという証拠を握っていたわけではない。業界仲間と飲みに行った際、小耳にはさんだことだと言う。だがその話をした仲間も噂の出所は定かではなく酔っていた勢いもあって、あの国民的美少女女優が「本当は男だった」なん~て冗談にしても面白過ぎるだろ、くらいのノリだったらしい。

 その話を聞いた江藤も、最初は冗談まじりで智子にこう言ったそうだ。

「忍さんが本当は男なんじゃないかって噂がまことしやかに流れているのをご存じですか? このままだと桂木忍を解剖しようなんて輩が現れるかもしれませんねぇ。物騒な話ですが忍さんに傷を付けられたくなければ、うちの事務所に移籍することを勧めますよ。うちなら忍さんを守ってあげることができます」

 その頃、江藤は忍のような少女タレントが欲しくてたまらなかったこともあり、ダメもとで智子を強請った。もっとも江藤自身が信じていた噂ではないので、智子が一笑に付すか怒り出すとばかり思っていたら、江藤の顔を凝視したまま固まってしまったというのだ。

 智子の態度で、江藤はこの噂がもしかしたら本当かも知れないと思ったそうだ。

「ネット……」

 突然、智子がポツリとつぶやいた。

「今の人たちがパソコンなんかでやってる……ネットって言うんでしょ? あれに、そんな噂が流れていることは知っていました」

 智子は、はっきり噂だと言った。

「最初はデビューが決まった時でした。書き込みをした犯人はわかっています。同じ事務所の子が流したんです」

「その子は何か根拠があって、そんな噂を流したんですか?」

「同じ主役のオーデを受けて、忍が受かったものだから……それを逆恨みして……最初に流れた噂はね、忍が枕営業しているっていうものでしたよ。その次が暴力団幹部の一人娘だから選ばなければ何をされるかわからない、そして次は多額のワイロを私が制作側に渡したっていうものでした……ふふふ、みんなそう……みんな自分の実力が無いのを忍のせいにして……!」

 智子は独り言のように、いつの間にか不特定多数の子役に対しての不満をこぼしていた。

 彰子は待つ。智子の心の扉が開くのを。

「本当に、言葉にするのも汚らわしい事をたくさん書かれたのよ。それが原因で自殺する人の気持ちがわかるってものだわ」

「忍さんは……忍さんも悩んだんでしょうね」

「いいえ、あの子は強いですから。嫌ならネットを見なければいいんだって。気にすることはないって言ってました」

「本当に強いんですね。失礼ですが、普段の忍さんからは想像もつきません」

 彰子の言葉に初めて智子が反応した。彰子を見て、うっすらと笑ったのだ。

 外灯に照らし出された智子の顔はゾッとするほど不気味で美しく、彰子は一生忘れないだろうと思った。

「あの子はいい子よ。どんなに辛くても自分の運命を受け入れてきた」

「運命……ですか」

 今世紀最大の美少女と注目され華々しいデビューを飾り、将来的にも有望視されている桂木忍が受け入れなければならない運命がネットの書き込みだとすれば、それはいささか大げさではないかと思う彰子だったが、智子の次の言葉でその考えは打ち砕かれた。

「矢沢さん。あの子は……忍は、男です」

 彰子は一瞬、智子が何を言ったのか理解できなかった。

「あなたの言いたいことはわかっています。そんなことあり得ないとおっしゃりたいんでしょ? でも出来るんですよ。だって、あの子は産まれた時から戸籍上は女なんですから」

 ひと言も発せずにいる彰子を面白がっているように、智子は話を続けた。

「すべては真山から逃れるために始めた偽装……真山というのはね、私の同級生で遺伝子工学が専門の理学博士なの。中でもヒトクローンの研究に力を入れている異端児」

 昼間、智子が江藤の次に犯人だと言った人物だ。

「十五年前、私は大金をつぎ込んで真山に依頼したの。結城の細胞からクローンを作って欲しいってね。矢沢さん、忍は結城英二のクローンなのよ」

 クローン? 忍が!?

 話の内容があまりにも突飛すぎて、彰子の頭には羊の姿しか思い浮かばなかった。





 忍が覚えている一番古い記憶は、目の前で揺らめく光のカーテン……下から上へと昇って行く無数の泡……色彩は無い。音も無い。苦しくはないが、穏やかでもない。自分の存在はわかるのに、実態があるのかはわからない。

 そして、自分は眠っているのか目覚めているのか……ここがどこかも、わからない。

 いや、本当に自分は存在しているのだろうか?

 誰か! 誰でもいいから確かめてほしい。そして、ここから出してほしいと願う。

 はじめての願い。

 そう思いはじめると今までなんともなかったのに、急に息苦しくなってきた。

 苦しい……苦しくて苦しくて、もがいてみる。……もし、自分に実体があるのなら。

 光は遠く、近付く気配すらない。

 もうダメだ……もう、死んでしまう!!


「桂木! おめでとーッ!」

 無菌室の中で、智子は息をつめて一点だけを見つめていた。その視線の先にあるのは、一メートルほどのカプセルがひとつ。

 今、真山透の手によってそのカプセルが開かれ中から彼が取り出したのは、まぎれもない人間の新生児だった。その腹から伸びているへその緒は、カプセル内へと繋がっている。

 真山はへその緒を切ると、誇らしげに高々と赤ん坊を持ち上げ智子に向かってガッツポーズをしてみせた。

「でも真山くん、赤ちゃん泣いてないわよ」

 確かに真山に抱かれた赤ん坊は、ぐったりとして泣き声を上げていない。体の色もチアノーゼを起こしているようだ。

「あ、しまった! 人口羊水を吐き出させなきゃ」

 真山は赤ん坊の口に指を入れると、うつ伏せにして背中を叩いた。すると赤ん坊の体がビクンと震え、口から大量の液体が吐き出された。と同時に、

 オ、オギャーッ! オギャーーーッ! オギャーーーッ!

 無菌室に元気な赤ん坊の泣き声が響き渡った。青紫色だった体が文字通り赤く染まり、小さな手足をバタつかせる。

 その力強い生命の躍動を目の当たりにした智子は、感動のあまりあふれる涙を拭うことも忘れ赤ん坊を見つめていた。

「さぁ、桂木の子供だよ。元気な男の子だ!」

「抱いても、いいの?」

「当たり前じゃないかぁ……ほら、お母さん」

 清潔なタオルできれいに羊水を拭きとられた赤ん坊が、真山の手から智子の腕に渡された。

 智子は体の震えを抑えることができないまま赤ん坊を腕に抱いた。初めて抱いた赤ん坊は暖かく、心地よい重さにまた涙があふれた。初めて母になる者はみなこういう幸福感に包まれるのだろうか。だとすれば、女性に生まれて本当に良かったと思う智子だった。

「可愛いなぁ、オレっちも子供が欲しくなっちゃったよ。桂木、卵子提供してくれる?」

「バカ」

 智子の腕の中の赤ん坊は、人口子宮の中で育った。だが、いわゆる体外受精とは違う。この子に智子の血は一滴も流れてはいない。

 一人の人間の細胞から生まれたのだ。

 智子が愛した最初で最後の男性……結城英二の頭髪の細胞から。

「名前は、もう決めてるの?」

「うん。もし二人に子供ができたら、男の子でも女の子でも"忍"にしようってあの人と決めてたの」

「忍ちゃんかぁ。世を忍ぶこの子にはピッタリの名前だな。しっかし、クローン人間を創ったなんて倫理委員会にバレたら大変なことになるだろな~。オレっちも研究も一発で終わりだよ」

「ありがとう。真山くんには本当に感謝してる。絶対に迷惑はかからないようにするわ」

「約束、覚えてるだろうな。その子はここから一歩も出さないってこと。智子はいつでも会いに来ていいし、なんなら一緒にここで暮らすって手もある」

「わかってる。そうね……この子、忍には戸籍が無いんだものね」

 真山との約束。それは結城英二のクローンを創るかわりに、もし生まれたら絶対に研究所から外へ連れ出してはいけないというものだった。

「戸籍云々の問題だけじゃない。前にも言った通り、クローンの細胞年齢は細胞提供者のまんま実年齢なんだ。っつーことは、忍は産まれたばかりにもかかわらず結城が亡くなった年齢である二十六歳の赤ん坊ってことになる。総じてクローンが短命なのはそのせいさ。桂木、もう一度約束してくれ。外部へは絶対に出さないと」

「約束します」

 だが、その約束は三ヶ月後に破られることになる。


~ つづく ~




 

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