第一話
雲が流れていく。
今朝の天気予報では一日中晴れマークが並んでいたように記憶しているが、向こうの山の上あたりに湧き上がってきた雲を見ると、まるで出番待ちの悪役のごとくそろそろひと暴れしてやろうか的な人相(雲相?)をしているではないか。ま、本物の悪役さんは陽だまりのように暖かくて優しい人がほとんどなのだけど……って、これは営業妨害。
「チッ、曇ってきやがった」
助監督の沖津が台本とタイムテーブルを見比べながら、スケジュール通りに撮影が進んでいない上に天気にまで裏切られるのかと愚痴る中、本日二度目の晴れ待ちとなった。
倉本文音は衣装を汚さないように持参したピクニックシートをロケバス横の草むらに敷くと、大の字に寝転がって雲見物だ。
(あ、遠くで雷が鳴ってる)
二時間ドラマ『飛べない天使~僕はきみを守りたい~』略して『飛べ天』の、今日の撮影シーンは家出した主人公と両親が青空の下、家族連れでにぎわう公園のベンチで再会し一からやり直そうと誓い合う感動のラストシーンだ。なので親子三人の新たな門出が曇り空ではいけないのだ。ましてや雨粒手など許されるはずもない。
「こら! またこんなところで寝転んでる。ほかの子たちはみんなロケバスの中で休んでるよ。文音も入りなさい。雨、降ってきそうだから」
せっかく流れていく雲を眺めていたのに、いつもささやかなお楽しみの邪魔をするのは文音が所属する劇団「とび箱」のマネージャー矢沢彰子だ。
「雨になったら今日の撮影は中止になるの?」
「たぶんね。でも監督からはまだ何も指示が出てないんだよ」
彰子も大変なのだ。なんたって準主役の家出少年を演じるのが同じ劇団の子役、大野翔平だから休む間もなく付きっきりだ。
劇団といっても俳優養成所なので、こうしてテレビや映画やCMの仕事が入り、マネージャーが付いて来る。
中でも最近テレビに出まくっている子役が文音と同い年の大野翔平で、そりゃ一般の男子と比べたら少しはイケてるルックスなのかも知れないが、文音にとっては人気を鼻にかけたスター気取りの嫌なヤツだった。
「彰子さん、あたし今日学校休んで来たんだよ。なっちゃんも一緒だと思ってたのに来てないし、ツイてないや」
「夏美はテストだって、どうしても学校休めなかったんだ。文音だけでも都合がついて助かったよ。その日は空いてるっていうから仕事の話を進めるとさ、エキストラだってわかったとたんやっぱりNGですって子が多いの本当に困るんだよね。エキストラだって立派な共演者なのにさ」
彰子さん、それはちょっと違うよ、と思う文音だ。
エキストラだと聞いて断る気持ちが文音には痛いほどよくわかる。撮影現場に拘束される時間のほとんどが待ち時間で、やっと撮影がスタートしてもワンカットに映るかどうかもわからない。映ったとしてもメインキャストの遥か後方で背景の一部として扱われるエキストラを自分からやりたいと思う子役はまずいない。
倉本文音は十二歳。劇団「とび箱」には小学校一年の時に入ったから、もう七年目になる。
芸事が好きな文音の祖父が勝手に劇団の入団オーデションに応募したところ書類審査を通過して、気乗りしないまま受けた面接で何が良かったのか合格してしまったのだ。
ただ、合格したといってもタレント養成所の研究生なので、毎月月謝を支払い演技レッスンを受ける習い事の一種だと思っていい。そのレッスン料が他の習い事に比べて馬鹿にならない額にもかかわらず、わが子を有名女優俳優にしたい親にしてみれば将来に投資するも同じだと誰ひとり文句も言わず幼稚園のお遊戯に毛が生えたようなレッスンに通わせている。
その親たちが本人たちより気合を入れるものに、劇団が各メディア関連会社に配布するタレント名鑑があった。簡単に言うと所属タレントのプロフィール資料集なのだが、名鑑に写真と名前が載って初めて仕事の連絡が入る仕組みなのだ。
もうおわかりいただけたと思うが、この名鑑の写真撮影が親たちにとってはただ事では済まされない年に一度の大イベント、写り方ひとつで仕事が来るかどうかの真剣勝負なのだから前もって配布されている注意事項に十五歳まではノーメイクで髪型は長さがわかるように束ねないこと、服装は黒で体のラインがわかりやすいものを着用のこと、と書いてあるにもかかわらず目元にはばっちりアイライン、唇には薄っすら色付きリップを塗り、フリル満開のミニスカートに髪は美容院でセットして来るのか芸術的なウェービーヘアの女の子たちで控室は埋め尽くされる。それに負けじと男子はワックスで髪を遊ばせ人気アイドルグループのミニサイズそのものだ。
もちろん的外れな親の戦略によって悪目立ちする容姿で現れた子供たちは、片っぱしからヘアメイクさんに修正を余儀なくされるのであった。
そこまでして挑んだ宣材写真にもかかわらず、来る仕事のほとんどはオーデションとエキストラばかりで始めから指名されて役付の仕事依頼がくることなどまず無いと言っていい。
では、どうすれば大野翔平のような有名子役になれるのか。
それはオーデションで主役、もしくは主役級の役を勝ち取ること。
一度大きな役をゲットするとプロフィールの出演歴欄に作品名と役名が燦然と輝き、上手くいけば次からは芋ズル式で仕事にありつけるというわけだ。もちろん演技力の評価が良ければ、の話だが。
仕事が増えると養成所の研究生から昇格し劇団直系のプロダクションに所属することになる。月謝もレッスンも払う必要の無いプロの俳優になるのだ。
そうなると親の方が鼻高々になるのは仕方ないことだが、先月プロダクション入りを果たした大野翔平の場合は親子そろって鼻が空を向いているのでたちが悪い。
かく言う倉本文音も華々しい子役人生をスタートさせたのである……と、言いたいところだが、なかなかどうしてオーデションには落ちまくり、たまに合格してもセリフの無いその他大勢のひとりでオンエアを見ると全く映っていなかったなんてことも珍しくない。なので文音にしてみれば、ひと言でもセリフ付きの役がもらえるのは凄いことだった。ましてや役名付きのメインキャストを決めるとなると、オーデションの一次選考二次選考は当たり前、作品によっては三次四次審査まで行う場合もある。
その日のうちに結果がわかるオーデションならありがたいが、たまに二週間待ちなんてこともあり、先の予定が立てられないばかりか他のオーデションに行かせることもできないマネージャーにとっては泣きの結果待ちとなる。原則、不合格の場合子役本人に連絡はないのだが、マネージャーの彰子は合否にかかわらず律儀に知らせてくれるのだった。
「文音、こないだのオーデ残念だけどダメだったわ。もう少し背の低い子がよかったんだって。次は頑張ろうな!」といった感じで。
十二歳にしては平均より背が高い文音は子役としては不利だった。
この業界、極端な話だが特に子役は十歳でも五歳に見えればOKの世界だったりするから、普通の親なら子供の成長を喜ぶものを子役の親の中にはそうではない親がいることは確かだった。そりゃ制作側にしてみれば本当の五歳児を使うより十歳の頭脳を持った五歳(に見える)児を使う方が話が早い。考えてみれば残酷な話だが。
「だから、これ以上スケジュールを延ばされたら困るんですよ! 翔平は明日から舞台稽古なんですよ。小野寺友里恵主演の舞台だってことを忘れてはいませんよね、矢沢さん。こちらのお仕事がズレ込んで、もし翔平が降板させられでもしたらどう責任をとって下さるんですか!?」
「わかっています。今日の撮影が明日以降に延期されたとしても、舞台稽古には差し支えないよう調整しますので、お母様は翔平くんの体調管理の方をよろしくお願いいたします」
「そんなこと今さら言われなくても心得ております! それじゃあ矢沢さん、翔平のスケジュール調整よろしく頼みましたよ」
今、彰子にくってかかってるおばさんが大野翔平の母親だ。影のプロデューサーと噂されているステージママで、一人息子の翔平に人生を賭けている様は親バカを通り越して恐怖さえ感じさせる。
その点、文音の役どころは公園で遊んでいるモブキャスト(その他大勢)の一人なので、翔平のように先のスケジュールが詰まっているわけでもオーデションの予定が入っているわけでもないので、今日の撮影がいつになろうがどうでもよかった。ただ、次の仕事はなっちゃんと一緒がいいなぁと思うだけだ。
なっちゃんこと戸田夏美は文音と同い年で同期入団のひとりだったが、将来が漠然としている文音と違いミュージカルスターを目指しているためクラシックバレエにジャズダンスにタップダンスに声楽と、ほとんど毎日が習い事で埋まっていた。
しかし、文音と同じくなかなかオーデションに合格できずエキストラの仕事で顔を合わすうちに仲良くなった、いわば友達というより同志だった。
「お疲れさん。やっぱり今日の撮影は延期だってさ。日にちは未定だけどまた文音にエキストラ頼むかも知れないから、その時には夏美にも声かけてみるよ」
「彰子さん、なっちゃんにはできるだけメインキャストのオーデの声かけてあげて。映像だけじゃなくて舞台もだよ。なっちゃん本当はミュージカルに出たいんだから」
「文音は友達想いだね。舞台か……舞台のオーデ担当は江藤だからなぁ。ちょっと難しいかもね」
彰子さんと同じく劇団のマネージャーで、舞台とMHK放送担当の江藤喜一は別名「えこひいき」と影で呼ばれているくらい自分のお気に入りの子にしか仕事を回さないので有名だった。江藤に気に入られるポイントは男女問わず、パッチリお目々にスリムで小柄は基本。プラス声が可愛かったらリストアップ間違いなしだ。文音のような長身の醤油顔が女優になろうと思っていること自体、江藤にしたら許せないことなのかも知れない。
「そこをなんとか彰子さんから江藤さんにお願いしてよ」
「OK、話だけはしてみるよ。でもそういう文音はどうなんだい? 文音だったらプロモーション次第では……」
「またその話! あたしのことはどうでもいいから」
「ごめんごめん。わかった、もう言わないから。例のことは私と文音の秘密だからね」
別に秘密っていうわけでもなかったが、超有名大女優の小野寺友里恵が文音の実母だと言っても信じる者はいないだろうし、友里恵は文音が三歳の時に家を出たきりでその後はスクリーンを通してしか会ったことがない。文音の母は家庭より仕事を選んだのだ。
翔平の母親が明日から稽古が始まると鼻高々に宣伝していた舞台『女王ヘレンディア』の主演女優が文音の母だと知ったら、あのステージママは腰を抜かすに違いないだろう。
彰子は友里恵と文音が親子だと公表し、正々堂々二世女優として文音をプロデュースする計画だったらしい。
だが文音にとって親の七光りほど迷惑なものはない。夏美のように頑張っている仲間を知っているだけに、親のおかげでおいしい仕事をゲットできたとしても全然うれしくないからだ。
そんなわけで、彰子には丁重に断りを入れた。
先に述べたように、小野寺友里恵に一人娘がいることは秘密でもなんでもなく周知の事実だったが、それが文音だと知っているのは業界広しといえど彰子だけではないだろうか。
「文音は今日、ここまで一人で来たの? 遠かっただろ、だれか迎えに来てくれるのかい?」
「ううん、お父さんちの近くだからついでに寄って行く。彰子さん、傘貸してくれる?」
「ああそっか、ここって倉本先輩ン家の近くだっけ。先輩、元気にしてる?」
「あいかわらず畑仕事に燃えてるよ。今はエンドウ豆の収穫に忙しいってさ」
文音は今、父方の祖父母と暮らしている。父の倉本武は舞台美術の仕事を辞めてから有機農法で野菜や米を作って一人暮らしをしている変わり者だ。彰子とは大学の先輩後輩という間柄なので、文音のことをよく知っているのもそういうわけだった。
「ねぇ、彰子さん。もしお父さんが仕事を辞めないで農業にも目覚めたりしなかったら、お母さん出て行かなかったのかな……」
「それはどうかな。彼女は根っからの女優だからね、演じることが好きで好きでたまらないんだ。間違った例えかも知れないけど、家族には千秋楽がないんだよね。きっと彼女は次の舞台に立ちたくなったんだよ。文音も女優のはしくれならわかるよね?」
「あたしにはわからないよ!」
わかりたくもない、と思った。
「いつかわかってあげられる日が来るよ。さ、衣装返してきなさい。劇団には私から終わったこと連絡しとくから。それじゃ、倉本先輩によろしく伝えといて」
雨脚が強くなってきた。撮影スタッフはすでに機材を片づけてテレビ局へ戻る準備を始めている。衣装を衣装担当へ返した子供たちは、付き添いの親に連れられて帰って行く。
病気にならないように、怪我をしないように、たとえ今日のようなエキストラであっても万全の備えで次の仕事までの環境を整えてくれる親たち。どの親も自分の子供が一番大切なのだ。当たり前だけど。
じゃあ、あたしの親は?
小野寺友里恵は娘が同じ業界にいることをたぶん知らない。父の武は朝から晩まで畑仕事だし、おまけに家にはテレビすら無い。ネット環境など問題外だ。祖父母は文音を応援しているが、他の親のようにマネージャー役まではしてくれない。
そう考えると、なんだか翔平が羨ましく思える文音だった。
~ つづく ~