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7 お出かけ

 スフィア(転生世界の惑星の名前、星球とも呼ばれる)の時の流れは地球と同じである。一日二四時間、一年は三六五日、四年に一度閏年もある。

 ただし暦法がアンナの前世の世界と異なっていた。一週間は五日間で一ヶ月は三〇日。年の初めには聖週間と呼ばれる独立した一週間(五日間)がある(閏年の時は六日間となる)。一週間は赤・青・緑・黄・紫の色で分けられる。

 そして今日は一週間の第一日、赤ノ日。休日であった。

 アンナはアレクサンドルと一緒に商店街へ出かけていた。

 先日の約束通り、レポートの終わったアレクサンドルにスピーチを考えるのを手伝ってもらったアンナだが、しばらくのしたら行き詰ってしまい、それを見かねたアレクサンドルが気分転換の外出を提案したのであった。

「さっきのピローグ美味しかったね。パイっていうからサクサクしてるのかと思ったら、モチモチしててびっくりしたよ」アンナがはしゃいだ様子で言った。

「だろ? 俺のおすすめの店なんだ」アレクサンドルの声は得意気だった。「糖分とったし、これでスピーチ考えるのも捗るだろ」

「うっ……嫌なことを思い出させる」

 そんな会話をしながら商店街の通路をぶらぶら歩いていると、広場の方からゆったりとした休日とは場違いな、騒々しい声が響いてきた。人民の搾取だの労働者の決起だのといった言葉が聞こえる。どうやら無産主義者の男が演説をしているようだった。

「『今こそ帝政を打倒せよ』だってさ、姫さん」アレクサンドルは可笑しそうに言った。今にも吹き出しそうな表情だった。

「まあ、流行ってるからねそういうの」アンナは呆れたように言った。その打倒すべき一員がすぐ近くにいると知ったらどんな反応をするのだろうか。もっとも、自分からトラブルに首を突っ込む気はないが。

 周囲の反応は迷惑そうだったり、かわいそうな人を見るようだったり、ともかく誰もが男に関わらないようにといった様子だった。当然ではあった。無産主義などというものは、自分が特別な存在だと信じたい勉強のできる馬鹿と、それに煽られた貧困層が信奉するものである。

 学院と周辺の市街地からなるウルブリヒト公爵領の住人は、中産階級が多数を占めていたし、学院生も自由主義の気風は強いが、無産主義についてはむしろその偏狭な姿勢を嫌っていた。つまりはベルカルーシ国内はともかく、ベルンシュタインでは無産主義が流行する余地はなかったのである。

 ではなぜ男はそんな場所で誰からも相手にされない演説をしているのか。理由は単純である。いきなり官憲がやってきて逮捕されることがないからであった。

 学問の自由を保障するということは言論の自由を保障することであり、ウルブリヒト公爵領では、誰もが自由に意見を述べられるのであった。だからこそ男は何かを成すのではなく、何かを成した気になるための演説をしていた。

「しっかし、逆に逮捕しなくて大丈夫なのかね。あーゆーの」

「規制はしなくても野放しにはしないんじゃないの」

 要するにアジテーターの監視である。本人はおろか、家族や友人、職場の同僚なども徹底的に調査し必要ならば結果を政府に報告する。こと、自由な発言が許されるウルブリヒト公爵領では、この手の輩が出現しやすかったのでその炙り出しに一役買っていた。ある意味では、その場で逮捕するよりもはるかにえげつない手法であった。

 アンナは前世の祖国のことを思い出した。彼女のかつての祖国も労働者の団結だの人民総決起だのと主張しても逮捕はされないが、代わりに桜田門から熱心なファンの人がやってくるのだ。

「ああ、なるほど」アレクサンドルは納得したように言った。

「そんなことよりほら、カステラだよカステラ。今ルコティアで人気の店っぽいよ。お土産に持って帰ろうよ」

「あんま甘いもんばっか食べると太るんじゃないの?」

「これから頭脳労働するからヘーキヘーキ」

 そう言ってゴールガリア風の内装をした店へかけていくアンナ。アレクサンドルはそんな彼女を見守りながらゆっくりとついていく。


 振り返れば、この日こそがアンナ達の日常を変化させたターニングポイントだったのだろう。

 あるいはその後の彼女達を考えると、この平穏こそが非日常だったのかもしれない。


 専制国家の権力機構というのは、絶対者がすべてを支配するという単純な構造でありながら、その実複雑怪奇極まりないものであった。もしくは単純だからこそ、権力構造の複雑化を招いているのかもしれない。

 臣下達は自らが権力という果実を味わうために皇帝に取り入り、他者に対してはその果実を渡すまいと、政敵を陥れるために権謀術数を張り巡らしている。

 そして支配者たる皇帝もまた、己が存在を脅かすものが現れぬよう、臣下達を競わせて力の均衡を図ることに気を注いでいた。

 皇帝の住居にして権力の中枢である帝宮はまさに、そんな魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿であった。そしてアンナは陰謀渦巻く世界を生き抜くにはあまりに非力だった。

 有力な後ろ盾がなく、この国の最高権力者である叔父にはお世辞にも好かれているとは言えない。さすがに暗殺されるような時代ではないが、それでも現皇帝に反旗を翻す勢力に担がれぬように、身動きを取れなくされるだろう。

 おそらくは叔父の用意した付き人と一緒にエーデルリーリエ女学院に入れられ、どこか適当な貴族と結婚させられるか。あるいは女学院に入れるまでもなく、自分の知らないところでいきなり婚約発表をかまされるか。はたまた外交の道具として、どこかの国の王室に嫁がせるか。いずれにしても政治に関わることは叶わなくなり、その間にこの国は確定的な破滅へと向かうだろう。

 ならばどうするか。

 追い出される前に自ら出ていく。それがアンナの出した答えだった。かくしてアンナは数少ない前皇帝を支持していた貴族の伝手を頼りに、単身ベルンシュタイン学院へ入学したのであった。

しかし今現在彼女はその判断を若干後悔していた。確かに叔父の監視の目から逃れるに護衛や使用人をつけなかったが、この状況はそれが裏目に出た格好だった。

 アンナは薄暗い倉庫の中、猿轡を噛まされてロープで手足を縛られ床に横たえられていた。そして周りには数人の男がいる。

 つまりはまあ、彼女は誘拐されたのであった。


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