6 ハーフエルフ
翌日アンナは図書館にいた。スピーチに使えそうな資料を探すためである。ほかの三人は講義があるので一人だった。
参考になりそうな本を適当に見繕ってみたが、予想外に数が多くなってしまった。苦労しながら運んでいると、足がもつれて体勢が崩れた。危ない、と思った時にはもう遅かった。あとは転んで床に衝突するだけだった。しかしそうはならなかった。近くにいた人が転倒しそうになったアンナを支えてくれたのだ。
「おっと、大丈夫ですか?」
白銀の髪に紅玉を思わせる瞳に先端のとがった耳、人族ではありえぬ、芸術品のごとく容姿。アンナを助けたのはハーフエルフの青年だった。
「重たそうですね。少し持ちますよ」青年はそう言って、アンナの抱えている本の三分の二ほどを持った。
「うん。ありがとう」
アンナは思わず息をのんだ。初めて間近で見るハーフエルフの美貌に圧倒されたのだった。
「あれ? もしかしてアンナ皇女殿下ですか?」
「え、ああ、そうだけど。わたしのこと知ってるの?」
「当たり前ですよ。というか殿下のこと知らない人なんてそうそういないと思いますよ」
青年の言葉にアンナは自分が皇女であることを思い出し、それもそうかと納得した。
「無敗の王と無勝の姫は学院の有名人ですからね」
うん? 今何か聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。
ムショウの姫。
ムショウ? 無償? でもその前に無敗という単語が聞こえた。敗け無しの無敗。だとするならば、ムショウとは勝ち無しという意味なのだろうか。
ではいったい何に対して勝ちが無いのか。心当たりはあった。けれどもそんなことで自分が有名になっているのを認めたくなかった。
「ところで無敗の王というのは、ヴァルター・ヴィンディッシュのことかな?」アンナは震えた声で確認するように訊いた。
「そうですね」青年は返答した。
「ということは、無勝の姫はわたしということになるのかな?」そう言ったアンナの声はさらに震えていた。
「はい、その通りです」青年は無慈悲に返した。
ああ、やっぱり! わかってたよコンチクショー!
アンナは心の中で叫んだ。
まさか自分のチャリオの弱さがここまで有名になっているとは。確かに全戦前敗だけれども、さすがにへこんでしまう。アンナはがっくりとうなだれて落ち込んだ。
「申し遅れました。私ギーゼルベルト・グリーシンといいます。もしよろしければ以後お見知りおきを」そんなアンナを特に気にすることもなく、青年は自己紹介をした。
相手が名乗ってきたのだからこちらも名乗らなければ。アンナは気分を切り替えて青年に名乗りかえした。
「わたしはアンナ。アンナ・ゲルトルート・フォン・ウント・ツー・キルヒバッハ。すでに知っているだろうけど、この国の皇女だ。こちらこそよろしく頼む」
その声は中々に堂々としていた。
ハーフエルフがそう呼ばれている理由は諸説あるが、実のところよくわかっていない。いわく、寿命がエルフの寿命だからだとか。いわく、耳の形がエルフと人族の中間だからだとか。いわく、異種族間の交流がほとんどなかった時代に、エルフと人族の間の子だと信じられていたからだとか。ただ一つ言えることは、ハーフエルフは人族ともエルフとも別の独立した種族であるということだった。
彼らは商売に長けていた。それはエルフが弓の名手であるとか、ドワーフが鍛冶に長じているとかいった生まれついたものではなく、ハーフエルフが辿ってきた苦難の歴史が関係していた。
ハーフエルフは遥か昔、自らの国を持っていた。しかし二四〇〇年以上前に起きた〈大離散〉以降は一度も国を持ったことがない。〈大離散〉によって世界中に散った彼らを待ち受けていたものは差別と迫害だった。いつ住処を追われるかもわからない彼らは土地を持たず、代わりに現金や宝石、証券を持つようになった。そして彼らは生きていくために、それらを使って商売を始めた。
ハーフエルフは何より知識を重んじている。知識とは重荷にならぬ武器である。それがハーフエルフの知識に対する考え方であった。その言葉通り、彼らは自分が得た知識を現実へ生かすことを好んだ。いくらものを知っていても、それを生かすことを知らない奴はどこまで行ってもただの馬鹿にすぎない。
彼らはその環境故に知識の運用について、ひどく実用主義的にならざるを得なかった。そしてそれは商売の場で大いに成果を発揮した。そのためハーフエルフには、財を成した成功者がそれなりにいた。
ギーゼルベルト・グリーシンの両親もその成功者の一人だった。
アンナはギーゼルベルトと別れた後、ハーフエルフの歴史について書かれた本を読んでいた。理由はまあ、ハーフエルフの知り合いが出来たので何となく、といったところだ。彼らについて多少知識はあったが、それはごく基本的なものにすぎなかった。
今読んでいる本はハーフエルフの母を持つアルトリア人歴史学者による著作だった。ちなみに妻もハーフエルフらしい。それだけあって本の内容は、アンナが知らなかったことや思いもよらなかった視点や解釈が書かれており、読みごたえのあるものだった。
世界中に散らばったハーフエルフは独自のコミュニティを形成し強固なネットワークを持っているのだが、同族だから集まったというよりかは、差別されない居場所を求めた結果コミュニティが出来たとか。ハーフエルフは個人主義の傾向が強いので、民族主義や自種族至上主義とは元来無縁であるとか。ただ近年では貧しさからそういったものに走る輩が出ているとか。何気なしに手に取った本だが、色々と興味深いことが多く書かれていた。
思いのほか長い時間読み込んでいたらしい。気が付くと図書館の中が夕日で赤く染まっていた。
ふと横から人の気配を感じたので視線を移すと、アレクサンドルが隣の席に座っていた。
「うおっ、びっくりした! いつからいたの?」思わず声を上げてしまったが、すぐにここが図書館だと思いだし、アンナは小声で訊ねた。
「三〇分くらい前。集中してるみたいだったから声かけなかった」アレクサンドルは小声で返した。
「つまりはわたしの手伝いに来たというわけか。なるほど、なるほど。褒めてつかわそう」
「残念、レポートの資料探しに来ただけだよ」
「えー、手伝ってよーケチー」
「レポート終わったら手伝うからそう言いなさんな姫さん」そう言ったアレクサンドルは優しく微笑んでアンナの頭を撫でた。
「っちょ、いきなり何すんのサーシャ」
「ああ、すまん。故郷の妹を思いだして、つい。嫌だったか」
「妹って……わたしのほうがサーシャより年上なんだけど」
「いや、俺と姫さん同い年じゃん」
「わたしのほうが誕生日が一ヶ月早い」
「それ年上って言わねーだろ」
わたしの顔が赤く熱くなっているのは、夕日に当てられているせいなのだ。たぶん、きっと。そのはずだ。
心臓の鼓動がいつもより速かった気がした。