3 ゼミナール
午後からの講義は、シュトルック教授のゼミナールだった。四人とも一緒である。研究テーマは『現代政治と民主政治について』だった。有り体に言ってしまえば、ベルカルーシに民主政を導入するにはどうしたらいいか、あるいはどうなるかという研究である。
皇帝専制を国是とするベルカルーシにおいて、まったくもって言語道断であり、ベルンシュタイン以外の教育機関ではありえない研究テーマだった。まさに、この当時のベルンシュタイン学院の独立性の高さがうかがえるゼミであるといえた。
ゼミを行う教室の中にいるのはシュトルックと、アンナ、ヴァルター、アレクサンドル、リーゼロッテの計五人であった。これがこのゼミのフルメンバーである。ほかにも民主政を研究するゼミはあるが、それらのすべてが人気のゼミであることを考えると、はっきり言って、民主政を取り扱うゼミとしては人数が少なかった。
その原因はシュトルックの民主政に対する考え方にあった。
この時代のベルカルーシの民主政導入論者は、そのほとんどが理想主義的な気分の持ち主であった。彼らは民主政こそ歴史上最も優れたなシステムであり、それをこの国に導入することが自身への高邁な使命であると考えていた。そしてそれ自体が半ば目的と化していた。さらに極端になると、民主政治さえ導入すれば、世の中の問題の大半が解決できると主張する者さえいた。
対してシュトルックは、確かに民主政導入論者であったが、その目的が異なっていた。彼の思想は言ってしまえば開明的保守主義であった。国を富ませ強くするための民主政。それが崇高なものであるから取り入れようと考えている理想主義者と違い、民主政というものを完全に国を発展させる手段として割り切っていた。事実彼は「最も理想的な政治体制とは何か」という質問に、「優れた統治者による独裁体制である」と答えている。ただし同時にこうも言った。「もっとも、そんなものは現実に存在しえないがね」
民主政とは、民衆の支持によって権力が成り立っている。その支持を失えば権力というものは成り立たない。民衆の支持を得るためには、権力者は『正しい』政治を行わなければならない。そして民衆にとっての『正しさ』とは自らに利益をもたらすことだった。民衆に利益をもたらさない権力者は権力者たりえなくなる。
民の発展と国家の発展は不可分のものである。民の発展は国の発展を招き、民の衰退は国の衰退を招く。すなわち民主政とは国家の転落を招く権力を排除する、失政リスクの削減に重きを置いたシステムである。シュトルックはそう規定していた。要するにまあ、決して素晴らしく素敵なものではないが、一番マシな制度であるということだ。
さて、ではベルカルーシ帝国で民主政を導入したらどうなるか。それが本日のゼミの議題であった。
「今すぐ議会を開設して普通選挙をするというなら国が荒れますね。確実に」
「なぜそう考えるのかね? アンナ君」
「教育の問題です、先生。もし普通選挙を実施するとなると、選挙民の大多数を占めるのが農民です。とすると、農民相手に出来もしない、人気取りの政策ばかり言う輩が出てくるでしょう。まともな教育を受けていない農民は、それを真に受けて口先だけの輩に投票します。そしておそらくは、連中が政権の座に就くでしょう。しかし有言実行はまあ、無理でしょうね。できるか否かなんて考えていませんから。当然農民は怒りますし、批判が噴出します。ではこのピンチをどうすればいいか。わたしだったら、政敵が妨害したことにして農民を扇動するか、怒りの矛先を外国に向けさせて戦争を始めるか、そんなところですね。もっとも、一時的に誤魔化せても、最終的には破綻してグダグダのグチャグチャになりますが」
アンナが考えついたことというよりも、前世の彼女がニュースや新聞を通して目にするよくある出来事であった。この手の権力の迷走は、はたから見ている分には面白いがいざ当事者になってみると笑えるものではなかった。
「ふむ、なるほど」
シュトルックは面白い、というような声で頷いた。
「それ以前に十中八九貴族の妨害がありますしね」ヴァルターが発言した。「仮に身分差のない公平な選挙を実施したとしても、あの手この手で自分たちに有利な制度を作るでしょう。例えば選挙区を貴族に有利な割り振りにするとか、いくらでも合法的なやりようはあります」
「ふむふむ。ほかに想定されることは何かあるかね」
「あ、あの少数民族の問題もあると思います」リーゼロッテが遠慮がちに言った。
「と言うと?」シュトルックが訊ねる。
「はい。私の実家は商家なんですけど、仕事柄国内の色んな民族の方と接する機会が多いんです。それで父がよく言ってました。相手の文化や価値観を尊重することが何より大切だって。そうしないと商売にならないし、人が人であるために必要だから。たぶん政治も同じことが言えるんじゃないかなって。だからそうするための制度は、きっと必要になってくると思い……ま……す」緊張しているのか、最後のほうでか細い声になってしまうリーゼロッテ。その顔は耳まで赤くなっていた。
「確かに民族問題の扱いを間違えると、エライことになるよな」そう言ってアレクサンドルはリーゼロッテに同意した。
ベルカルーシは、広大な領土持つ国の例にもれず多民族国家であった。そして多民族国家に付いて回る、少数民族の取り扱いというものに苦慮していた。何せこの世界で最も国土面積が広い国である。二大主流民族であるベルカ人とルーシ人のほかに、エルフやハーフエルフ、ドワーフといった亜人に、獣人、龍族、数えるのが面倒になるほどに存在する人族の少数民族。彼らの扱いを間違えば、彼らの中に燻っている不満が民族主義という形で爆発し、流血の惨事となる。この国が抱えているものはまるで民族、種族のデパートのようであり、その実静電気にすら気を払わなければならない火薬庫であった。
その後も議論は続き最後にシュトルックが、今回の議論を踏まえたうえで民主政導入の際に起こりうる問題についてレポートを書くように言ってゼミは終わった。