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2 皇女と学食

 前皇帝オットー四世は、帝国の改革を志した人物であった。専制国家における改革とは、特権階級の既得権益を侵すのと同義であり、ゆえに彼は既得権益層たる貴族からの評判は良くなかった。オットー四世の志に賛同する貴族もいたが、しかしその数はごくわずかであり、貴族社会の中では少数派に過ぎなかった。少数派による改革はことごとく多数派の抵抗にあい、どれもが中途半端なものに終わってしまった。その結果オットー四世に期待を寄せていた者は大いに失望し、こと彼をこの世に降臨した救世主か何かと信じていた者は、憎しみと殺意すら抱いた。そしてその憎しみと殺意は、やがて彼に牙をむいた。

 オットー四世の死後、皇帝位の継承は滞りなく進んだ。当然ではある。多数派と同じ価値観を有する弟と少数派の推す娘。どちらが支持を集めるかは一目瞭然であった。かくして新皇帝ヨハン二世は兄の歩んだ道を否定し、多くの貴族たちが望む道を歩んでいった。




 肩ほどまでに真っ直ぐ伸びた金色の髪をクルクルと手でいじりながら、アンナ・ゲルトルート・フォン・ウント・ツー・キルヒバッハは学舎の窓越しに空を見上げていた。今現在アンナは帝国史の講義を受けている最中であった。しかしアンナは上の空であり、講師(ホルヴェークいう名だ)の言葉が耳に入っていなかった。

 自身の面倒事に付き合わせないために暇を出した彼女は今頃どうしているだろうか。元気でやっているのか。ちゃんと食事はとっているのだろうか。掃除は? 洗濯は? ああ、いや大丈夫か。そこら辺はしっかりしているし、だからこそわたしの侍女に選んだわけで。

「殿下、殿下」

 隣からささやく声が聞こえた。声をかけたのは、穏やかな雰囲気の黒髪で童顔の青年だった。名前はヴァルター・ヴェンデルベルト・フォン・ヴィンディッシュ。アンナがベルンシュタイン学院へ入学してから出会った学友である。

「先生がさっきから、殿下のほうを怖い顔でチラチラ睨んでいますよ」

 ヴァルターに言われ、アンナは髪をいじるのを止め、慌てて講師のほうへと意識を移す。そしてヴァルターに小さな声で礼を言い、講義を聞くことに集中した。

 講義の内容は皇帝カール三世が行った政策についてであった。即位時にはまだ少年と呼ぶべき年齢だったカール三世に代わり、宰相ヘルマン・フォン・ヘッセが政務を行っていた。しかし彼の治世下においては賄賂政治が横行し、フォン・ヘッセ自身も私腹を肥やしていた。やがて青年へと成長したカール三世は、大いに乱れた政治を正そうと、武力によってフォン・ヘッセを追放し親政を開始した。そしてカール三世の政治改革によって乱れた政治は正された。それがベルカルーシにおける、カール三世の治世に対する一般的な認識である。そして同時に、帝国の正式かつ公的な歴史観でもあった。

 しかしホルヴェーク講師はカール三世の政治改革について、批判的、懐疑的な視点から講義を行った。例えばフォン・ヘッセのせいで賄賂政治が横行したという認識について、彼が宰相に就任する以前から政治は腐敗しており(そして今なお根本的な解決に至っていない)、本人の日記や手紙を読むとむしろ賄賂を嫌っていた、とか。商人優遇こそ賄賂政治の原因だとし、フォン・ヘッセの商業重視政策から一転、商人を冷遇した結果、経済の混乱と停滞を招いた、とか。荒廃した農村を立て直すために、都市部へ流失した農奴を帰還させたら余計に状況が悪化した、とか。

 ともかくまあ、『正史』を信じてやまない人が聞いたら、顔を真っ赤にして怒りそうな内容であった。それどころか、カール三世の治世を範とする現皇帝ヨハン二世への反逆だと受け取られかねないものですらあった。しかし生徒たちは(どちらの意味でも)講義の内容を気にすることはなく、それが当たり前の光景であるという様子でいた。


 帝立ベルンシュタイン学院は学問に関する、外部からの干渉や介入を受けない、不可侵の自由を保障されていた。しかしながらその権利が実効性を持つには、学問の自由以外にも様々な権利が保障される必要があった。

 ベルンシュタインの運営を任されているウルブリヒト公爵家は、学院の権利の拡大とその保守を一族の使命としていた。そして一族がその使命に努めた結果、ベルンシュタイン学院は政府も介入することが困難な、一種の高度な自治領の様相を呈していた。

そしてアンナは学院へ『亡命』したのであった。


 帝国史の講義が終わり昼休みになった。アンナはヴァルターと一緒にメンザ(学生食堂)へ向かっていた。無論昼食をとるためである。今日のセットメニューは何だろうかと考えていると、後ろから声がした。

「姫さんとヴァルターもこれからお昼か」

「あ、あの……御一緒よろしいでしょうか」

 そう声をかけてきたのは快活そうな大柄な印象の青年と、いかにも引っ込み思案をいった風の小柄の少女だった。青年はアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ザハロフ。少女はリーゼロッテ・フルスフルトという名である。二人もまたヴァルターと同じく、アンナの親しい友人だった。

「うん、そうだね。一緒に行こうか」アンナが言った。そして四人はメンザへ向かった。


 メンザはそこそこ混んでいたが、全く席が空いてないというわけではなかった。ヴァルターとリーゼロッテは、ヴァイキングコーナーのほうへ行くということで、いったん別々になる。なおベルカルーシではビュッフェスタイルが入ってきた際、伝説上のルーシヴァイキングの食事形式に似ているということで、ビュッフェスタイルのことをヴァイキングと呼んでいる。

 アンナは今日のセットメニューを確認した。黒麦パンにフリッタータ(ウィトゥルスのオムレツに似た料理)のサラダ、ツヴィーベルズッペ(ベルカ風オニオンスープ)。そしてメインは、牛舌とソーセージのゼブレ(ゴールガリア式の蒸し煮)、タラのベーニェ(衣揚げ)、鶏もも肉と野菜のグリエの三種類から選べる。

 さて、どれにしようか。みんな美味しそうではある。

「サーシャは何にする?」何にしようか迷うので、とりあえずアレクサンドルに訊いてみた。

「俺はゼブレにする」アレクサンドルは答えた。

 なるほど、サーシャはガッツリ肉か。ならわたしは魚にしようか。アンナはそう思い、タラのベーニェを注文することにした。アンナとアレクサンドルの頼んだ品がほぼ同時に出されると、二人はそれを受け取りメンザの中を見渡す。するとヴァルターとリーゼロッテが、二人がいる方向へ小さく手を振っていた。二人は彼らがいるほうへと向かった。

 テーブルに着くと、先に席にいた二人のメニューが目に入った。ヴァルターはほうれん草とベーコンのキッシュとハッシュドポテト、それとカボチャのポタージュ。リーゼロッテはレンズ豆のスープとポテトサラダをそれぞれ選んでいた。

「おっ、キッシュ美味そうだな。一つくれよ」アレクサンドルが言った。

「いや、自分で取り行いってよ。たぶんまだあると思うよ」ヴァルターが呆れた声で返す。

「リ、リロのランチはそれなの?」アンナが驚いた様子で訊く。

 ベルカルーシでは一般的に、昼食が一日の食事のメインとなる。ゆえにベルカルーシの人々がとる昼食の量は、他国の人間(ただし同じような文化を持つヴェストリヒを除く)が軽く引いてしまうほど多かった。

そしてベルカルーシの食文化に合わせれば、確かにスープとサラダのみの昼食というのは驚きである。だがアンナが衝撃を受けたのはそこではなかった。

「はい、実はその……少し……体重が増えてしまって……」リーゼロッテは恥かしそうに答えた。年頃の少女の例にもれず、リーゼロッテもまた体型や体重が気になるのだろう(もっともその様な贅沢ができるのは、この世界では一部の限られた人間だけだが)。しかし彼女の目の前にはそれを気にしないかのごとく、ポテトサラダの山がそびえ立っていた。

「そ、そう……」

 その大量のポテトサラダは発言と矛盾してないだろうか。それともあれか。サラダだから沢山食べてもセーフという理屈なのか。友人の意外な一面を見たアンナは、それが気になりつつも口に出せず、そのままランチタイムを過ごした。


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