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午前二時に会いましょう  作者: はしもと
第一章 深夜徘徊
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プレゼント

 約束の火曜日。

 オレはその日の午前三時半に帰宅した。ベッドに潜り込み十秒もしないうちに眠りについたらしい。目覚ましもセットしていなかったので自然に目を覚ました。焦って時計を見ると午前九時。よかった。寝坊をしなくて済んだみたいだ。



 ゆっくり体を起こし、大きく背伸びをする。ここから一日が始まる。もしかしたらオレの曇天続きの人生にも光が差し込むかも知れない。そんな僅かな期待を胸に鏡の前に立つが、それはいとも簡単に崩れ落ちる。

 年齢の割に老けた面。少しでもマシにしようと髭を丁寧に剃るが、どう考えても今風の顔ではない。

 巷でよく聞くモテるための要素「清潔感」とは、衛生面が良いことを指しているのではないのだ。「清潔」ではなくあくまで「清潔感」なのだと、それに気付くのにだいたい五年くらいかかったような気がする。



 天気がいいので最近のお気に入りのシャツに着替える。優しい春によく似合う白い薄手のシャツだ。それにシンプルな黒い細身のズボン。気付けばモノクロな服装になってしまったが、一緒に歩いて恥をかかせることもないだろうから、この服装に決めた。


 待ち合わせは午後一時。少し時間が余ったのでベッドに腰掛けテレビをつける。昼のニュース番組は奥様向けなのだろうか。読者参加型の投稿コーナーには旦那の愚痴と刺激的な不倫の話題で持ちきりになっている。


 子供の頃はこういう話を聞くと「愛し合った人と結婚したのに、なんで不倫なんてするんだろう」と疑問に思っていたが、この歳になるとよく分かる。本当に心から好きになれる人とお互い好き同士になれる確率は、全世界の人口に対する既婚者の数よりも低いだろうから。



 そんなどうしようもないことを考えていると、家を出る時間になった。玄関を開けると、暖かな風が吹いた。雲一つない綺麗な五月晴れだ。アパートの二階から、どこまでも続いている青空を眺める。相変わらず降りると軋む音が鳴るボロい階段も、今なら愛おしく感じることが出来た。



 バスに揺られ約束の時間の十五分前。まだ藤井景子の姿はそこにはなかった。別に楽しみにしていたわけではないが、誘われた側の礼儀くらいは弁えてるつもりだ。


 トントンッ、と背中をつつかれた。驚いて振り返ると藤井が私服姿で後ろに立っていた。いつもの上目遣いと、少し近めの距離感は相変わらずだった。トレードマークのポニーテールは休日でも変わらない。

 ゆるふわな水玉模様の重ね着。下は落ち着いた色の長めのスカート姿。如何にも女子大生が好むファッションをしている。そしてその姿を見て少しだけ胸が鳴ってしまったのも事実だ。



「岡部さん早かったんですね。結構待ちました?」

「いや、今来たところだよ」とキザな台詞を言ってしまったが、実際今来たところなので他が思いつかなかった。「そう言うと思いました」と明るく笑った。寺田かりんが、どこか月のように不思議な魅力のある笑顔だとしたら、藤井景子は混じりっけのない太陽のように全てを平等に照らしてくれるような笑顔だった。

「とりあえず歩きだそう」

 オレたちは市内では一、二位を争う繁華街を歩いた。本来ならば賑わっている街も平日の昼間なので、あまり若い人の姿は見えなかった。通り過ぎる人の殆どはお年寄りで、どこに向かって歩いているのかもオレには想像することも出来なかった。

「どうしましょうか?なにか買いたい物とかってありますか?」

「うーん、オレは特にないかなぁ。藤井さんは?」

「それなら私ちょっと文房具見たいです」


 藤井の希望通り雑貨屋に入店し、大学で使うらしい文房具を二人で見ることにした。仕事柄定番商品を取り扱うことはあるとはいえ、最近の文房具は殆ど知らなかった。

 不思議な形をした消しゴム、便利な機能がついたシャープペンシル、消しゴムで消えるボールペン。一つ一つ藤井が何も知らないオレに丁寧に教えてくれた。これから先今日得た知識は活用する機会はないだろうなと思っていたが、内容というよりは色々話しながら買い物すること自体が久しぶりで、そしてなにより楽しかったのだ。

 藤井は大学で使うルーズリーフを購入した。この後なにも予定がないのでとりあえず雑貨ビルの一階から五階までをなんとなく観て回ることにした。一人なら絶対入らないような店だったので売っているもの全てが自分にとって珍しいものだった。



「岡部さんは、例えば女の子からプレゼントもらうとしたらどんなものだったら嬉しいですか?」

 友達が今度誕生日なんですけど、何をあげようか迷ってまして。と藤井は続けた。

「うーん、男が女の子からもらって嬉しいものねぇ……。なんでも嬉しいと思うけど」

「もー、全然答えになってないですよ」

 藤井は笑いながら軽く背中を叩いた。相変わらず藤井の距離感は少し近いような気がする。女の子に全然免疫がない男なら今のだけで勘違いしてしまいそうだ。女の子に免疫がないオレがいうのもおかしな話だが。つまりは少しドキッとしてしまったのだ。我ながら経験の少なさを恨んだが、物事を客観的に見る癖があったおかげで勘違いしなくて済んだ。


「オレが今欲しいものになっちゃうけどいい?」

「いいですよ。教えてください」

「最近定期入れが欲しいなって。カードがあり過ぎて財布に入らないからさ」

「なるほど、それは手軽な値段で尚且つもらっても邪魔にならないですね」

 基本的に笑顔で会話してくれる藤井は、色とか大きさも一緒に選んでほしいと頼んできた。定期入れといっても、若い人向けの雑貨屋なので安いのが数点置いてあるだけだった。

「その友達は同級生?」

「あー、えっと。ちょっと年上です」

「てことはオレと一緒よりちょっと下くらいか」

「そうです」

 小さく二回相槌をくれる。身長が百五十センチ前半なので必然的にオレの顔を見るときは上目遣いになる。その目がすごく真剣で好奇心旺盛で、釣られていらない情報まで話してしまいそうになる。これが聞き上手というものなのだろうか。


 しかしオレが上目遣いをしても気持ち悪いだけになってしまうので参考にはならなかった。藤井は何点か手にとって中身を確認している。オレはその一歩後ろで商品を選んでいる藤井を見ていた。それに藤井が気付いて「岡部さんも一緒に選んで下さいよ」と手招きをする。

 隣に並ぶと横から藤井の存在を感じた。藤井のいる左側だけが少しだけ熱くなったような気がした。その方向を見ると目が合ってしまった。それに応えるかのように藤井は小さく微笑んでくれる。

 その時ふと普通の人生を歩んでる奴はこういった毎日を過ごしているのだなぁと思った。それなら毎日楽しいはずだ。仕事が多少辛くても頑張れるわけだよ。オレはこのときみんなが持っている見えないエネルギーの発生源を知ることが出来た。



「じゃあ、この黒い奴にしますね。今日は持ち合わせがないのでまた改めて買いにきます」

「なんか思いっきりオレの好みになっちゃったけどいいの?」

「いいんですよぉ。おかげでいいプレゼントが見つかりました。ありがとうございます」

 忘れないように藤井はその黒い定期入れの写真をスマホで撮影した。喜んでくれるといいな…。と呟いた独り言をオレは聞き逃さなかった。オレもなんとなく、自分が出会ったこともない男が喜んでくれて、それを見て藤井が喜んでくれたらいいなと願ってしまった。



 店を出て時計を見ると午後三時を過ぎたところ。

 オレは寺田かりんのアドバイスを思い出していた。




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