勘違いだったら、ごめんね
「私も歩くよ」
大きな背中から降りた私は自分の足で立って歩いた。
負傷箇所は主に上半身に固まっていたから、その点では大丈夫だった。しかし、改めて見ると自分の体の傷跡は生々しく、人前で見せれるものではなかった。
特に岡部さんには見られたくなかった。
いくつもの包帯が数カ所に巻かれ、お世辞にも素人が処置したものだと一目で分かる。でも、私にとってはそれが何より愛おしかった。この包帯一つ一つが、岡部さんが私を想って巻いてくれたものだから。
それでも、ダメージを負いすぎた体は思うように動かず、躓いて転びそうになる。
そんな私の手を岡部さんが握ってくれた。私はそれに応えるように手のひらを開いた。だから、繋ぐことが出来た。
温度は分からなくとも感触は伝わってくる。
大きな手は、私の手をすっぽりと包み込んでしまう。
指と指を絡ませる。所謂恋人繋ぎというものだ。
当然そんな純愛な付き合い方は今までしたことがなかったので、かなり恥ずかしく、私は岡部さんの顔が見れなかった。
顔も真っ赤になっていると思う。
心臓の音はもうしないけれど、もし鳴っていたらと考えると恐ろしい。きっと聞こえてしまっていた。
「こんな小さな手をしていたんだな」
岡部さんの手に力が入る。私は応えられなかった。自分の気持ちを隠すことで精一杯だった。
だってこんな自分なんかに好かれても、きっと岡部さんは困ってしまうから。もう妻子がいる身なのだから。
お墓まで持っていくよ。自分のお墓があるかは知らないけれど。
「謝ることなんて何もない。寺田は頑張ったよ」
「……ありがとう」
労いの言葉に反射的に反応して、岡部さんの顔を見てしまった。そのときに目が合い、私は思わず視線の逃げ場を探してしまう。それでも岡部さんは真っ直ぐにこちらを見て、優しく微笑んでくれた。
「顔……真っ赤だぞ?」
「……うるさい」
「体調悪いのか……?」
「分かってるくせに……意地悪しないで下さい……」
「え……あ、……ごめん」
「バカなんですか……?」
鼻声で岡部さんを煽る。こっちの方が何倍も馬鹿なのに。
岡部さんは私の何倍も生き残る賢さを備えているのに。
岡部さんの動揺の仕草が昔と全く変わっていなくて、思わず微笑んでしまった。
あぁ……、うん。あったかいんだ。とっても温かい。
体温は感じられなくても、心に温かいものがたくさん溜まっていくことが分かる。言葉や行動じゃない。もっと、簡素で単純で、他人に話すと「今更」と笑われてしまうくらい、他人にとっては当たり前のもの。
でも、私がずっと、ずっと、ずっと……いらないといっていたもの。そんなものは私には分不相応だといって、もつことを拒絶していたもの。
本当は、それを持っている人たちとすれ違うたびに、見つめてしまっていた。
通り過ぎていく人々の背中を、立ち止まって見てしまっていた。
その度に、私は自分の体を眺めていた。この薄汚れた命には、似合わないものだと思っていた。
そうすることでしか、生きる術がなかった。
だけど……だけどね。ごめんなさい。本当は、私も……。
誰かを心から信じてみたかった。
血の繋がっていない赤の他人を、何の繋がりももっていない、お互いを守る理由なんて、生まれたときから一つも持っていない、ただの誰かを信じてみたかったんだ。
そして出来れば、信じてほしかった。
ただそれだけのことが、出来なかった。
出来なかったと思ってた。でも、変かな……。
私のただの勘違いかな……。
勘違いだったら、ごめんね。勘違いだったら、何も否定せずに笑ってほしいよ。
私……岡部さんだったら信じられるよ。
私……岡部さんにだったら、信じてもらえてるよ。
智子ちゃんにも、女将さんにも、同じように思えるよ。
岡部さんが、私の人生を変えてくれたんだよ。
生きて出会ってくれただけで、変えてくれたんだよ。
信じ合えることって、こんなにも……安心出来るんだね。
「岡部さん……」
「……ん?」
「なんでもない……」
「……んー」
歩調と合わせて、繋いだ手が揺れる。
気付けば随分と歩いた。体感では一秒にも満たないこの時間は、生涯忘れることはない。死んでも忘れることはない。




