犯行声明
「うあ……あ……」
私は絞るように声を出した。緊張が高まりすぎて声を漏らしてしまった。前田は刃物を勢いよく引っこ抜き、血を軽く払った。私はその場に蹲るように倒れ込んだ。ガサゴソとビニール袋の音がした。
「おっと……こんなところで時間をくってる場合じゃねぇ。ムカつくあの野郎に大金払って作ってもらった計画書通りに行動しないとな。
……あ? 家に忘れてきちまった。まぁいいか。時間を守って殺すだけだ」
視界が真っ暗の中、足音だけが遠ざかっていく。死んだと思われたのだろう。前田が一歩ずつ遠ざかっていくたびに、私は冷静さを取り戻しつつあった。
まず前田は見える人だった。そんな話を本人としたことがないから知らなかった。智子は特別だったが、前田も特別だった。ただそれだけのことだ。腹部に滑りを感じる。生暖かい。他人の温度は感じられないくせに自分の温度は分かった。血は止まらないのだが幸いなことに痛みは感じなかった。死にかけて意識が朦朧としているからという理由ではなく、単純に痛みがない。それがこの幽体のメリットなのだろう。
前田が充分に離れたことを確認して私は立ち上がった。
ポタポタと滴り落ちる赤い体液の色に自分の手を染めて、私はただぼんやりとその様子を眺めた。私は刺されても死なないらしい。
ズキン。
急に心が痛み出した。胸が苦しくなるというより、心そのものが苦しくなる。不安の洪水が私の小さな器に注がれて溢れる。
ズキン。
「あ……あ……」
私は情けない声を上げた。不安。悲しみ。嫉妬。怒り。焦燥。憎しみ。傷心。
「誰か……助けて……」
心が真っ黒に染まっていく。負の感情に飲み込まれてしまう。ボロボロと涙が溢れた。
「おか……べ……さ……」
あぁ、私は馬鹿だ。なんでこんなときにまで岡部さんに縋ろうとしてしまうのだろう。彼はもう奥さんも子供もいるのに。三人で幸せな生活を営んでいるのに。
「三……人……?」
前田は私を刺す前に「三人も四人も変わらない」とそう言った。その前に「オレの金蔓を奪いやがって」とも言った。頭が指示を出した。早く考えろ。結論を出せ、と。私の直感が言っている。前田が殺そうとしている三人とはもしかして岡部一家なのではないだろうか、と。
私は生前、前田によく金銭を渡していた。渡していたというより、暴力で脅されて奪われていたという表現の方が正しい。京都旅行から帰ってきてからは、前田は明らかに以前と比べ私に対して暴力的かつ束縛的になっていた。もしかしたら岡部さんの存在に勘づいていたのかもしれない。
前田は言った。「大金を払って計画書をつくってもらった」と。もしかするとその大金を渡した相手は興信所の探偵かもしれない。その相手に私と岡部さんのことを調べさせ、確実に殺人を成功させることのできる計画をたててもらったのかもしれない。あくまでもここの部分は私の憶測だが、今は確かめる術はない。今は確かめる必要もない。
前田はこうも言った。「時間をくってる場合じゃない。計画通りに行動しないと」と。つまり、もう前田の殺人計画は始まっているのだ。止めないといけない。岡部さんが殺されてしまう。
最後にこう漏らした。「計画書を家に忘れてきた。だが時間を守って殺すだけだ」と。つまり前田のこれからの行動は前田の家に置き忘れた計画書を読めば明らかとなる。行動が分かれば、先回りして計画を潰すことも出来るかもしれない。少なくとも遠くに岡部一家を逃せばなんとかなるだろう。幸いにも私は何度か前田の家に訪れたことがあるし、その記憶も戻っている。私を殺したことで一度檻の中に入っていて出てきたのだとしても、住まいは元々実家だったから今も変わっていない可能性が高い。
……時間を守って殺すだけ。たぶん殺せるタイミングが指定されているということだろう。それが何時なのか私には分からない。
とにかく私が今するべきことは、前田の計画を先回りして潰すこと。その為には一度前田の自宅まで行って計画書を探さないといけない。私は顔についた涙の跡を拭って、気付けば走り出していた。




