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午前二時に会いましょう  作者: はしもと
第五章 家族の形 人の形
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人への甘え方

 


 私は父と同じ空間にいることが辛くなり隣の部屋に逃げ込んだ。ベビーベッドの上で静かに寝息をたてる赤子が目に入った。聞き逃してしまいそうなほど小さく繰り返される呼吸が命を主張している。これからこの子は生きていくのだろう。性別は分からないけど、私の弟か妹だ。楽しいことも悲しいことも幸せなことも辛いことも、せっかく生きていくのだから全部経験してほしい。強くなくてもいいから、最後には笑って死ねるようなそんな人になってほしい。



 小さな手を触ってみる。柔らかい。生きている。もう私の体は他人の体温を感じることは出来ないのだけれど、たぶんきっと温かいのだろう。いつかこの手も誰かの手を握って護っていくのだろう。だから大切にしてほしい。自分の体も心も、それを望まれているから。

 部屋の扉からは別室の明かりが漏れる。その向こう側で二人の笑い声が聞こえてきた。腹を抱えて笑うようなものではなく、ただクスクスと幸せがこみ上げてくるようなそんな微笑ましい声だった。その光景は私がいつか夢見た夢だった。叶うはずがないのに欲しがった。誰の元にもあるそんな当たり前の日常風景。


 その日私は実家に泊まった。まさか父も亡くなった娘が同じ空間にいるだなんて死んでも思わないだろう。精神的に疲れていたのだろうか。私は深い眠りについた。

 目が覚めたときにはすでに父の姿はなく、千代子が家事を始めていた。テレビの懐かしい音が聞こえてきて、私はぼんやりと時計を見た、時計の針は午前十一時を指していて、太陽は高く昇っていた。ベビーベッドの赤子と目が合った。私のことが見えているだろうか、それともただの偶然だろうか。赤子は私の方を見つめて満面の笑みを浮かべてくれた。




***




 実家を出ることにした。バレないように入ってきたときと同じように扉をすり抜けて出ていった。実家を出るとやることがなくなってしまった。映画やドラマならこの展開のまま綺麗に成仏してハッピーエンドというところだろうが、そこはやはり私の人生。最後まで期待を裏切ることはしなかつた。

 行くあてを完全に無くした私はここにいても仕方がないので、元いたアパートに向けてもう一度歩き出していた。智子は私が幽霊となってもう一度この世に現れた理由を「やり残したことがあるから」と言った。智子にも会った。岡部さんにも会った。父にも会った。もうこれ以上会いたい人はいないのだ。



 もしかすると、会うだけでは駄目だったのだろうか。会って何かを伝えないといけなかったのだろうか。智子にはもう話した。父は私を認知出来ないのでコミュニケーションをとることは出来ない。そうすると残すは智子が不思議な力を渡したという岡部さんだけだ。大穴で私の首を絞めて殺した彼氏がいるが、私にとってあの男はただの自殺装置に過ぎないので会っても成仏出来ることはないだろう。

 しかし、岡部さんに会いたいといっても彼はもう妻子持ちだ。私みたいな幽霊が会いにいっても困らせてしまうだけだろう。しかもその理由が、岡部さんのためではなく自分が成仏したいがためだけだ。そんな理由で岡部さんを巻き込むのはどうにも気が引けた。

 岡部さんとのことは未だにモヤがかかっている部分があるが、頼ってもいいのだろうか。智子の話によると私たちは両想いだった。それなら少しくらい甘えてもいいのではないだろうか。私は甘え方がよく分からなかった。甘えてしまったら、私はきっと依存してしまうタイプだ。だから他人に甘えたことはなかった。



 私は言い訳が欲しかった。岡部さんを頼ってもいい理由が欲しかった。岡部さんと関わってもいい理由が欲しかった。理由があったら、もし嫌がられても理由のせいに出来るから。私は人と会って喜ばれる要素を何も持っていない。


 電車に乗って帰ってもよかったけれど、私は歩いて帰ることに決めた。駅と駅を結びながら歩いていく。生身の人間だったら帰れない距離でも、幽体の私の体は疲れることはなかった。たくさんの人とすれ違う街の中でひとりぼっちだった。

 気付けば日は沈み、電灯が付き始める。それでも私は歩き続けた。というのも長い距離を歩くことは私にとって新鮮で楽しかったのだ。生前は、見たいものも行きたいものもなく休みの日はずっと家に籠っていたから。二度と会うことのない人と人生で一度だけすれ違う今が愛おしかった。




 そうして私は戻ってきた。深夜一時。私が岡部さんと出会ったこの街に。




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