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午前二時に会いましょう  作者: はしもと
第五章 家族の形 人の形
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悪人


「さぁ、食べようよ」

「あぁ」

 父はそう返事をすると、私と皺だらけになった母の写真の方を見つめた。

「もっと早くにオレが変われていたら……」

 そして目頭を押さえ、声を震わせた。もしかして私たちのために泣いているのだろうか。千代子は真っ直ぐに父を見つめて

「償うしかないんだよ。もう届かないとしても、方法がないとしても。将吾さんはこれからの人生をちゃんと生きて償っていくの。貴方を訴える人もいないし、貴方の罪を知っているのはもうこの世に私一人だけだから。貴方は法的に裁かれることはないけれど、だからこそその人生を掛けて償わないといけない。許されないことを貴方はしてしまったのだから」

 と静かにそう言った。泣いている父を見て随分自分勝手だなと思った。でも、どこかで喜んでしまった自分がいた。腐った血の繋がりでも私たちは親子だから。父によって潰された情が父によって作られてしまう。なんとも都合の良い脳の構造だった。




「大丈夫。私がいるから。私が一緒に生きていくから。これから将吾さんは出来る限り多くの人を救って、出来る限り多くの人を傷つけないようにするの。それしか残されていないから」

 許されることはないのだと、千代子がハッキリと父に伝えてくれて安心した。ここで「天国の二人も許してくれるよ」だなんてケーキよりも甘い台詞を吐かれ、傷の舐め合いでも始まったらそれこそ千代子も道連れにして殺してしまうところだった。これから父は償い続けるだろう。その人生を使って。少なくとも二人が共に生きている間だけは。




「……さぁ、食べようよ」

「あぁ……」

「その前に顔洗ってきたら? せっかくのケーキがしょっぱくなっちゃうよ」



 父は立ち上がり洗面所で顔を濯いだ。私はそんな父の姿を見るのが苦しくなった。自分の背負った許されることのない罪に苦しんでいる父をどのような感情で受け入れたらいいのか分からない。当然の報いだと思うし、全然足りてないとも思う。それでも一人の人生を掛けたところで、許される罪の多さはたかが知れている。父は一生をかけても許されることはないのだろう。しかし父の涙は、そのことに対する涙ではないのだろう。私と母が死んでしまったこと。ただその現実に悲しんでいるように見えた。真実は父にしか分からないが、少なくとも私にはそのように見えた。私はそのように信じてみたかった。



 私は人を殺したくなかった。

 どんな極悪人だとしても本当は殺したくなかった。どんな極悪人にも嬉しいことはあって、悲しいことはあるから。それが私に理解出来ないことだったとしても、笑ったり泣いたりする。心がある。

 その人を大切にする人がいる。その人が大切にしている人がいる。どんな人でも死んだら悲しむ人がいる。こんな私にもいたくらいだから、きっとみんなにもいるだろう。その人に罪はない。

 社会からのはみ出しものを異物のように扱い、仲間外れにしたり、虐めたり、殺したりしてコミュニティを護ることは生物学的には何も間違ってはいない。でも、そのはみ出しものがその理論に納得するのかといえばそうじゃない。そのはみ出しものが悲しまないかといえばそうじゃない。残った者が悲しみを知ろうとしないだけだ。人を殺してもいい理由なんて、人を殺す奴が勝手に作った理由だ。



 甘い奴だと誰かに笑われるだろう。だからこの世界に殺されてしまうのだと。だからこの世界から不必要な存在と認定されてしまったのだと。悪人に殺されても、この世の真理に気づけない頭の弱い奴だと。そんな風に後ろ指をさされるだろう。



 それでもよかった。人を悲しませなくて済むのなら、私は甘い奴でいたかった。間接的に誰かを犠牲にして生きる世界だ。私も他人の悲しみを無意識のうちに知ろうとしていなかったのだ。先程の千代子の言葉が蘇る。



『出来る限り多くの人を救って、出来る限り多くの人を傷つけないようにするの。それしか残されていないから』



 それがこの世界で生きていく人間の義務のような気がした。それに気づけた父は、これから誰かを救ってくれるのかな。それなら生きてほしい。私と母が救えなかった人の分まで救ってほしい。

 その条件なら、私は許してもいいと思えた。世界中の人間が父を許さないと言っても、今の父なら私一人でも許してあげたかった。




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