家族の写真
道中、とある店の大きなガラスに私の姿は映された。その姿を見て驚いた。その姿はドス黒くボヤけた二本足で歩く塊だった。智子といたときの自分が別の生物に思えるほど、私の姿は変わってしまっていたのだ。
記憶を辿り、私は実家までたどり着くことが出来た。表札は「寺田」のままなので、まだここに住んでいるのだろう。ここまでたどり着くまでにたくさんの憎しみと悲しみが私の脳を支配していた。
黒いモヤでボヤけた私は実家のドアノブに手をかける。ひねってみると案の定鍵がかかっていた。どうするべきか考えたが直ぐに答えは浮かんできた。そういえば私の体は幽体だった。扉を開けるよりももっと良い方法があるではないか。
何かの本で読んだ真似をして、全身の力を抜いてみる。ゆっくりと壁に近づき、まずは腕を伸ばしてみる。思ったとおりだ。通り抜けることが出来た。とはいったものの、壁に自ら体当たりするのは如何に幽体としても少し気が引けた。私は覚悟を決めるために大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。力んで丸くなった拳を解く。
「よし………、通るか」
せっかくだから、目は閉じないでおいた。しかし分厚い扉の中は当然光が入ってこないのでただ真っ暗な視界に一瞬なって、そのあとすぐに玄関の景色が開けただけだった。滅多に出来る体験じゃなかったので期待したが、現実はそんなものだった。
***
数年ぶりに帰ってきた実家は古びてはいたが小奇麗になっていた。いつも父が食べ散らかしたプラスチック容器は母が片していたので、てっきりゴミ屋敷になっているだろうと予想していたのだが外れてしまったようだ。もう一度扉の外にある表札を確認したがやっぱり昔のままだった。念のため脱いだ靴を隠して狭い廊下を進んだ。横目に見えた台所は整理整頓されていてシンクの中にも洗い残しの食器はなかった。
部屋に入ったところで私はこの家の変化の理由が分かった。
ベビーベッドやオムツセットといったベビー用品が一番に目に入った。よく見ると食器洗浄機の中にも空の哺乳瓶が入っている。再婚をして子供を産んだのだろうか。子供を育てられるお金などあるのだろうか。母を殺し、私も売り払ったあの父に家庭をもつことなど出来るのだろうか。
物が少なく綺麗に片付けられている部屋を見渡した。父と再婚相手らしい女性との写真が数枚飾られていた。写っている女性は三十代くらいだろうか。決して若くはないが老けてもいない。幸せそうな二人の姿がそこにはあった。
その写真のそばには三人で写っている写真が飾られている。産まれてすぐに撮った写真だろう。父は少しずつ老けていっていたが、優しい表情をしていた。そしてその横には一枚ずつ母と私の写真が飾られていた。どちらもL判の小さな写真だが、それぞれスタンド式の額に入れられていた。母の写真は一度丸められてしまったのだろうか、たくさんの皺がついている。そのたった一枚の母の写真は、あの日父の愛人に隠されたものだとすぐに気がついた。私の写真は小さい頃に撮られたものだった。随分と色褪せてしまっている。
正直のところ私は驚きを隠せなかった。昔のままの父だったら、迷わずに一番苦しい方法で殺してやろうと考えていたのにそれが出来なくなってしまった。今の父がどのようにして生きてどのようにして暮らしているのか知りたくなった。
それがまた母や私のような被害者を生んでしまうのならば、今日私の手で父を殺す。私にはそれが許されていた。人を殺しても誰も私を咎めることは出来ない。この国の法律では私を裁くことは出来ない。ただ一人私を罰することが出来る存在があるとすれば、それはきっと私だけだ。今更地獄へ落ちても構わない。今までずっと地獄の中で生きてきたのだから。
部屋の中で立ち尽くしていると赤子の泣き声が外から聞こえてきた。段々と近づいてくるその声はちょうどこの部屋の前でとまった。赤子をあやす母親の声と鍵を差し込まれたドアノブの金属音が、私だけの小さな部屋に虚しく響いた。私の姿は見えないのでドアが開かれるところを黙って見ていた。
見ていることしか私には出来なかった。




