それだけ
私たちは気付くと立ち止まっていた。
智子の涙は徐々に大きくなっていき、しまいには嗚咽が混じり始める。
すれ違っていく人たちが不思議そうに智子を見る。声をかける人はいなかった。
私のことを見る人はいなかった。もう誰にも見えていない。例えここで智子と同じように泣いてしまったとしても、私のことを見てくれる人は誰も。
そう思っていたのに、視線を感じた。その目は弱々しく光を帯びていて、とても優しい。でも私を真っ直ぐに見て離さない。離してくれはしない。
「ウチ……は……、おね……ちゃんに……生きていてほしか……た」
言葉に詰まりながら、智子は必死に訴えかけた。もう叶うはずのない願いだと誰もが知っているのに、智子はそれでも私に生きていてほしいと、そう言うのだ。生きていてほしかったとそう泣いて言うのだ。
小さく震える華奢な体を抱きしめた。折れてしまいそうな成長過程の体。肩で呼吸をしながら、トクントクンと心臓の鼓動が聞こえる。温かい音。
そして冷たい。全身で感じてみて初めて気付いた。感じることが出来なくなっていた。
私の体はもう、他人の体温を感じることが出来なくなっていた。
「おね……ちゃ……?」
これも罰なのだろう。泣いてもいい権利などどこにもなかった。
それでも零れて私の頬を伝うコレは、もっと別の理由。
私は死んでしまったのだ。というそれだけの事実が、今更になって意味を背負った。
生きていてほしいと願ってくれた人がいる世界で、死んだのだ。
四半世紀まがりなりにも生きてきたつもりだった。ある程度の一般常識も持ち合わせているつもりでいた。しかしそんなことはなかった。私は何一つとして知らなかった。知らないことすら知らなかった。そんな私の出来損ないの脳は、自分が消えて悲しむ人がいることすら知ろうとしなかった。知らなかったでは許されないことだったのに。
ごめんね……。
何に対して?
ごめんね……。
泣かしてしまったことに対して?
………。
この子の気持ちを、裏切ってしまったことに対して。
私は、自分を大切にしてくれる人の願いを叶えず、私を忌み嫌う人の願いを叶えてしまった。一体誰が幸せになったの?私は一体なにがしたかったのだろう。
自問自答と後悔を繰り返して、気付けば智子は私の腕の中で落ち着き始めていた。
根本的に思考回路が欠落している私の選べる言葉や行動では、智子を笑顔にすることは出来ない。それを知ってようやく、それが見たかったのだと気付いた。
ただそれだけだった。
「お姉ちゃん!」
「どうしたの?」
「名前を……呼んでほしいな」
「……智子ちゃん」
「うん、……それだけでいいんやで」
私の心を見透かす能力も備わっているのだろうか。智子は名前を呼ばれると微笑んだ。
私の声で微笑んでくれた。何も難しいことはいらないのだと、そう伝えるように。
私が欲しかったものをくれた。こんな私のために笑ってくれた。
***
焦る気持ちを嘲笑うかのように時間は刻一刻と過ぎていく。あれから心当たりがありそうな場所はどんな些細な場所だろうと回った。空の色が変わり、時間切れなのだと悟った。
「智子ちゃん、本当にありがとうね。ここから先は自力でなんとかしてみせるよ」
「で……でも……」
「大丈夫だよ。……たぶんきっと、自分ではもう死ねない体になっちゃったみたいだから。それにおばあちゃんも心配するよ」
「……」
納得していない表情からは悔しさも滲む。
「だってお姉ちゃん、岡部さんのこと欠片も思い出せてないやろ……」
実をいうとそうだった。
私の記憶はまだ『岡部さん』という人の情報を思い出せていない。
そこで私は一つの提案を思いつく。
「じゃあ、教えてほしいな。智子ちゃんが知っている岡部さんのこと」




