ちっぽけ
結局この日は何も成果を得られないまま、日が暮れてしまった。
近くのビジネスホテルに宿をとる。ベッドとテレビだけの簡素な部屋で一休みをしていると、智子が散策の続きをする提案をした。私は中学生一人(と幽霊)が知らない土地を夜一人歩きすることは危険だから反対したのだが、智子の熱心な訴えと「じゃあ九時までには宿に戻ると約束する」という妥協案に抵抗することが出来なかったので、私も「夜食を買いに行くついでなら」という条件を付け足し了承した。
夜八時、すれ違う人は少なく幽体の私はそわそわして落ち着かない。そんな私を見かねて智子は手を繋ぐ。まるで「これなら二人だから大丈夫だよ」と言ってくれているようだった。
到着時の曇り空は静かに晴れ渡り一面に星の輝きを覗かせる。遠い感覚で置かれている心許ない電灯の明かりが私たちの存在を示してくれる。コンクリートは昼間に溜めた熱をすっかり吐き出してしまっている。冷たい風が吹き付ける度に私たちは手を握りお互いの存在を確かめ合った。吹けば飛ばされてしまうくらいちっぽけで、いつ消えてもおかしくない存在なのは生身でも幽体でもそう大きく違いやしなかった。
コンビニにたどり着いた。ベテランの風格を持つアルバイト店員が元気な挨拶をくれる。適当に二人で分けられそうなおやつを数点カゴに突っ込む。
「何か好きなものを選んでいいよ」
と言うと智子は少し迷って可愛らしいパッケージの苺味のチョコを入れた。私はついでに煙草が欲しくなったので、智子に服の袖を掴んでもらいながら会計を済ます。そんな私たちの姿を店員は不思議そうな目で見ていて、それに対して思わず吹き出してしまいそうになるのを堪えた。
「なんかウチこの歳になっても親離れ出来ていない小学生みたいやったなぁ」
コンビニから出ると智子がそう言うので私は我慢していたものを吹き出してしまった。
五年ぶりに意識が戻ってから初めてこんなに笑った。久しぶりに笑ったのでお腹が痛くなってしまった。釣られて智子も恥ずかしそうに笑った。それが幸せだと思えた。
「吸ってもええよ」
智子は私のポケットにしまってある未開封の煙草を見つめて言った。
元々歩きタバコはしないと決めていることと、未成年に副流煙を吸わせるわけにはいかないので厚意だけを有難くいただく。
「……そういえばあの夜は二人で吸ってたんやっけ」
智子の指すあの夜がいつのことかは分からないが、そこから分かることは『岡部さん』という人は喫煙者で少なくとも一緒に煙草を吸う仲だったということだ。
分かってはいたが結局、ただホテルとコンビニを往復しただけの結果に終わった。
ホテルに戻り買い込んだ夜食に手をつける。甘い苺味のチョコレート、塩辛いポテトチップス、紙パックの安いオレンジジュース。ふと頭を過ぎらせた疑問が、脳の検問を通らずそのまま声として発せられた。
「どうして智子ちゃんは、私のためにここまでしてくれるの?」
私の視線の先に、答えるまでもない。という表情が浮かんだ。
「昔、お姉ちゃんがウチのためにここまでする以上のことを、ウチにしてくれたからやで」
あえて智子の口からその内容を語らないのは、私自身に思い出して欲しいためか、それとも言い出しにくいことなのか。理由がなんにせよ今の私には分からないが、もし思い出すことがあったならそれを楽しみの一つとして残しておこうと思った。
……智子にここまでしてもらえるような行いを、私は本当に生前にしたのだろうか。
どうにも信じられない話だった。人を信じず人から離れ、一人で生きてきた私がだ。何か変わるきっかけがあったのだろうか。もしかすると『岡部さん』という人と出会えたことで私は変われたのだろうか。
――会いたい。もう一度会ってみたい。
沸々と胸の中で湧き上がる。温かい感情が私の中を掻き乱す。ノイズがかかって見えない記憶がだんだん恋しくなってくる。
『お姉ちゃんにとって、一番大切な人だったから』
昼間に言われた智子の言葉が蘇る。段々とその言葉に重みが加わる。
……そうだ。私には大切な人がいたんだ。
……大切にしたい人がいたはずなんだ。
ただそれだけの自問自答に、私がこの姿のままもう一度だけこの世に産み落とされた理由がある気がした。




