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午前二時に会いましょう  作者: はしもと
第四章 五年後の世界で
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存在したか分からない『誰か』

 言われてみれば、この窓から見える景色も少しだけ違うように思えた。記憶が混濁しているせいだと消化していたがどうやら違うらしい。



「……五年」

 私はその突拍子のない告白に対して、過ぎ去った年月を口にするのがやっとだった。

「お姉ちゃん……なんで死んでしもたか思い出せる?」

 死因……。首を絞められたことによる窒息死。だがそれを私の口から智子に伝えるのはどうにも気が引けたので嘘をついた。

「ううん、思い出せない」

「そっか……」

 智子は泣きそうな顔をした。優しい子だ。こんな一度しか会っていない人間のために、こんなに美味しいココアをいれてくれるのだから。こんないてもいなくても構わない人間が死んでしまったことに対して泣きそうな顔をしてくれるのだから。




「お姉ちゃんは死んじゃったから、これから成仏しないとあかんねんな。普通は死んでそのまま成仏出来るんだけど、ごくたまにこの世で何かやり残したことがある人が残ってしまうことがある」

「……やり残したこと」

 そんなことあるのだろうか。

「すぐには思い出せへんと思う。でも余り時間もない。ウチに一つだけ心当たりがあるから、その人にお姉ちゃんを会わせてもええかな?」

 私から了承を取ると、智子は急いで部屋から出ていった。一階で誰かと会話をしているが内容までは聞き取れない。

 待っている間、改めて部屋の中を見渡した。智子の勉強机には高校で使用する教科書が置かれていた。

「お待たせ。急だけど今からその人を探しに行くから。お姉ちゃん自分の家の場所は分かる?」

「今はもう別の人が住んでいるけど分かるよ」

「じゃあそこまでお願い。お金はおばあちゃんにもらったから心配しんといてな。でもウチ月曜日に学校があるから日曜日の夕方までしか手伝えへん。……ごめん」

 申し訳なさそうな智子に私はお礼を言う。

 そうして私は智子と共に風来館から出発する。

 もうここには二度と来れないような気がした。





***






「……ここがお姉ちゃんの住んでいた街」

 バスから降り立った智子は小さく呟いた。

「ここにまだ岡部さんも住んでるんかなぁ。いてくれへんと困るんやけど」

「岡部さんって人を探しているの?その人が何か知っているの?」

「うん………」

 智子は俯きながら返事をくれた。

 どうやら私は『岡部さん』と呼ばれる人物に会えば、今度こそこの世からお別れ出来るみたいだ。ずっと死ぬことに憧れていた。駅のホームで人身事故の放送を聞くと羨んでいた。

 そんな私がなぜ今更未練など残してしまったのだろう。



 やりたいこともやり残したことも、もうなにもないはずなのになぁ……。




「思い出せる限りでいいから、お姉ちゃんがよく行っていた場所を回ってみようよ。もしかしたらそこで出会えるかもしれないし、何かを思い出せるかも」

 天気が良いとは言えない曇天の中、私たちは歩き始めた。全てを思い出せているかは分からないが、現状把握出来ている場所へ向かう。

 最初に立ち寄ったのは小さな公園だった。

 八人の子供たちが遊んでいる。二つのグループに分かれているようだ。それぞれ鬼ごっこや遊具で楽しそうに遊んでいる。

 滑り台とブランコとシーソーとうんていしかない小さな公園。


 私は体は自然に動いた。入り口から一直線に雲梯うんていの方へ向かう。

「お姉ちゃん?」

「……これよく覚えてる。たぶん、お気に入りの場所だ」

 私は体が思うままに、雲梯の上に登ってみる。そこに腰掛けポケットに手を入れた。……が何も入ってはいない。

「何か見えるん?」

「何も見えないよ。ただここで、こうしてボンヤリと公園を眺めていたんだと思う。特に理由はなかったけれど」

 口元が寂しくなった。煙草が欲しいな。私はここでよく煙草を吸っていたことを思い出した。そうだ、私は夜中にいつもここで煙草を吸っていた。

 雲梯から飛び降りた私は智子に一つ質問をする。

「あのさ、確認したいんだけど、私って人には見えないんだよね?」

「見える人には見えてる。あとたまにセンサー式の機械に感知されたり、写真に写ってしまうこともあるで。あとは……ウチの中にある特別な力を分け与えたときとか」

「特別な力?」

「口で説明するより、実際にやってみたほうが分かりやすくていいわ」



 智子は私の手を握った。

「今やったら他の人にも見えてんで」

 試しに私は公園で遊んでいる子供たちに挨拶をしてみる。子供たちは一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに明るい挨拶を返してくれた。

 次に智子は私の手を離した。

「はい、これでもうお姉ちゃんの姿は見えてへん」

 私は先程挨拶を返してくれた子供たちに話しかけてみる。反応はない。無視というよりは、存在を感じ取られていないような感覚だった。


 それならば私は、もしも智子と一緒にいないときに『岡部さん』という人に出会った場合、ちゃんとコンタクトを取れるのだろうか。

「大丈夫やで。岡部さんにはあの時こっそりとウチの力を渡しといたからな。

……私はお姉ちゃんがすぐに死んでしまうって知ってたからさ」

「でも……そもそも私はその『岡部さん』って人のこと覚えてないんだよ?向こうから声をかけてくれるかなぁ」

「大丈夫やと思う。……根拠はないけど」

 智子が私の手を握り直す。温かかった。



「岡部さんはお姉ちゃんにとって一番大切な人だったから」



 にわかに信じられない。生前に私が他人のことを大切に想うなんてことが本当にあったのだろうか。他人と距離をとり、他人と仲良くならないように努めていた私に、そんな大切な存在など出来たのだろうか。



「あのさ」

「なに?」

「私と『岡部さん』って人は恋人同士だったのかな」

「ウチが知っている限りじゃ恋人同士ではなかったで」



……それを聞いて少し安心した。誰かを置いていったわけではないのだ。もしかしたら誰かは私の死を悲しんでくれたのかもしれないけれど、そんなことは三日も経てば風化し忘れられてしまうほどの軽いイベントだろう。


「恋人同士じゃなかったけど」

「……けど?」

「そんな弱い繋がりよりももっと大切な何かで繋がっているように、小さい頃のウチには見えてたで」


『岡部さん』という人は、私がいなくなってどう思ったのだろうか。

 もしかしたらその存在したか分からない『誰か』だったのかもしれない。



 私にはそれを分かる術はない。

 それは生前に分かっていないといけないことだった。


 もしかしたら望んでくれたのかもしれない。

 私の母のように私に生きていくことを望んでくれたのかもしれない。


 私が知りたくなかっただけだ。それを知ることが怖くて、それを知ってしまったら生きていかなければならなくなるような気がして、私が逃げた。


 その代償を、誰かに悲しみという形で背負わせてしまった。

 今の状況はきっと、そんな私に対する神様からの罰なのだろう。



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