生きる幽霊
なんとなくここまでの道のりを振り返ると思い当たる節はいくつかあったので、特に驚くことはなく私は自分の死を受け入れることができた。
悲しく見つめる瞳に応える言葉に困っていると、女の子の髪飾りが目に入った。
それを見た瞬間、なくしていた記憶が現在から遡るように頭の中を高速で駆け巡る。
そっか……私こうして死んじゃったんだ。
自分の死因を思い出して少しだけ後悔した。結局あんな男に殺されてしまったのか。
でもきっと他殺か事故じゃないと自分を殺すことが出来ない私は、なんとなくその死に方に納得した。
理解し終えたとき、最初にした表情は微笑みだった。
ようやく叶ったのだ。ようやくこの辛い人生が終わったのだ。これからはもう苦しまずに済むのだ。そう思った。心から安心した。
それならなぜ、私はまだこの世にいるのだろうか。
「お姉ちゃん会いに来てくれたん?」
私は小さく頷いた。智子はそれを確認すると、小さな手で私を引っ張りそのまま旅館の裏口に回り建物に入っていく。
「おばあちゃんにはもう見えないから……。今日はとりあえず私の部屋に泊まっていって」
「ありがとう。ごめんね、急にきて」
「ううん、なんとなくそろそろかなぁっていうのは思ってたんよ」
従業員用の狭い廊下を通り抜け、傾斜のキツい木製の階段を登る。一段あがる度に軋む音が響いた。階段を登った先に智子の小さな部屋があった。
「私はまだ旅館の仕事があるから、それまでここでゆっくりしていって」
お手伝いから、一人前の仕事を任されるようになるまで成長した智子を見て思った。
この世界は今、私が死んでからどのくらいたったのだろうか……と。
***
することもなく暇を持て余した私は、智子の部屋の中で出来るだけ記憶を思い出すことに集中した。逆再生でフラッシュバックされていく記憶の中に、黒いモヤがあることに気付いた。それはまるでモザイクのように特定の何かの存在を消している。それがどうしても思い出せなかった。思い出せないくせに、それが自分にとって必要な存在だったということはなんとなく覚えていた。
でも、私はそれを思い出すことが怖かった。モザイクをとってしまったら後悔する気がしたのだ。だからもうずっと、消えてしまうまで、このままでもいいような気がした。
生きることも死ぬことも自分の意思で出来なかった人間にはお似合いの状態だ。生前の自分はまるでリビングデッド、生きながら死んでいるゾンビのような生き物だと揶揄していたが、しかしどうやら私の正体はそれすらも出来ない幽霊だったようだ。
いつの間にか日が暮れていた。外の景色は色を変える。たくさんの家庭から溢れて溶ける幸せな光が、仕事で疲れて帰宅するサラリーマンを温かく迎えている。どこからか漂う懐かしい香り。カレーの香りがした。遠くでテレビの声がする。子供たちの笑い声。温かい家族。それがたくさん集まって、この街が出来ている。
窓辺に持たれて、幽霊の体でそんな世界を覗いた。私はもうどこにもいないのだ。いや、初めからいなかったのだ。物理的な距離はこれほどまでに近いのに、私には手に入らないものだった。全てを諦めて、私は今ここにいる。
―――ズキン。と記憶が痛んだ。何かに怒られたような気がした。
「お待たせお姉ちゃん」
いつの間にか智子が温かいココアを二人分持って後ろに立っていた。
思い出していた記憶の世界とは若干の違和感があった。
「ウチのこと思い出せた?」
こうして落ち着いて智子を見ると、少し背が伸びているように思えた。
「ごめん……ぼんやりとしか思い出せてないんだ」
「そうやんね。だってお姉ちゃんの姿あの頃のまんまやし」
私が不思議そうな顔をしたのだろう。それに対して智子は悲しそうな顔をした。
智子がココアを差し出す。温かくなったマグカップを受け取る。智子は落ち着かせるために一口運び、静かに息を吐いてこう言った。
「あのときから、もう五年経ってる」




