寺田かりんの話③
高校生になってもこの生活は続いた。もはや普通のアルバイトでは到底父親の浪費に追いつく事は出来なくなっていた。
この生活を続けることで私は高校にも通えることが出来た。高校生になることに生きていくための必要性は感じなかった。しかしみんなと同じように高校生となることでまだ自分は戻れるのではないかという淡い期待を持つことが出来た。ただそれだけのことが私の精神の拠り所となっていた。
父親はどこで見つけてきたのか、新しい女を作った。その女は私のことをあからさまに嫌っている態度をとった。気づけば私の家の私物は目に付くような位置で壊され汚されていた。私の寝具はいつしか女のものとなり、家での睡眠はだんだんと不足していった。
***
「早く死ね」
私は私の家でよく知らない女に暴言を吐かれている。名前も知らないような女だ。父が連れてきた愛人である。どんな逆境だろうと気丈に振舞っていた母親とは似ても似つかない人間だった。
私はもうこの歳になると色々察することも出来る。母はきっと父に何か離婚出来ない弱みを握られていたに違いない。そして私を産まされいよいよ逃げ場をなくしてしまったのだろう。死ぬ前に私を殺して逃げればよかったのに……とも考えたことはあるが、それが出来ない母だということは知っている。母が私のことをあの男との間に産まれた子だとしても心から愛していてくれたことは知っている。だからそんな考えが思考に浮かぶことは二度となかった。
私は自宅で唯一使うことの出来る箪笥の引き出しを開けた。私の残り少ない私物は全てこの小さな引き出しに入っている。何気なく中身に目を移した途端、私の血の気がひいた。
「………ない。お母さんの写真が……ない」
母の写真がなくなっていた。私の唯一の心の支えだった母の写真が引き出しの中から消えていた。犯人は分かっている。私は反射的に女の方を見る。
「なによその目は? いいの? 私のダーリンにまたお仕置きお願いしちゃうよ?」
一度私は今回と似たような状況のときに、下着が全て捨てられてしまったことがあった。その時に私はこの女に対して切れて戦う姿勢を見せた。しかし結果的にそれが悪かったのだ。
その日の晩、父が帰宅してから私は意識が無くなる程の暴力を受ける。その日のことは余り覚えてはいないが、起きたときに自分から出た血液が頬にべっとりと張り付いて乾燥していたことと、全身が蚯蚓腫れを起こしていたことからある程度のことは予想が出来た。そして私は父を見るだけで全身の力が入らなくなるようになり、女はそれを知って私に対する嫌がらせを日々続けているのであった。
どんなことにも耐えられる自信はあった。しかしこれだけは許せなかった。悔しがる私の顔を満足そうに眺める女を見て分かった。この女にとって私はただの暇つぶしの玩具に過ぎないのだと。どうすれば私の心を折ることが出来るかというただの遊びだったのだ。数年後にはこの女は私のことすら忘れているのだろう。しかし私はもう取り戻せないものを奪われてしまった。この女のために悔しがることも馬鹿らしくなったので微笑むことが出来た。
「ううん、なんでもないです。気を悪くされたのならごめんなさい」
と私はそう言った。全身が張り裂けそうになる屈辱を受けても私は生き残るためならなんでも出来た。生き残った先のことは考えられないくらい、私は生きることに必死だった。
そんな私の心境を見透かすことすら出来ない女は
「分かっているのならいいのよ」
と満たされたように笑った。




