寺田かりんの話②
私が中学にあがる頃、母は過労で亡くなった。診断をするまでもなく過労死だった。病院の母の死に顔は幸せそうで、この時私の中で死ぬことは救いなのだと理解する。
そして妻を亡くして私と二人きりの生活になった父は、そんなことで真面目に改心して働き始めるという都合の良い話はなく、家庭内暴力は母の分も全て私に向くようになっていた。
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父が欠伸をした。私の体は強張る。父がおもむろに立ち上がった。私の体は強張る。私と父はそんな関係だった。そんな私は父に一瞥され「邪魔だから死ねばいいのに」と顔を会わせる度に言われた。
「早く死ね」「邪魔だ」「消えろ」「気持ち悪い」「ゴミ」「なんで生まれてきたの?」「生きている意味ないだろ」「自殺しろ」「生きているだけで害悪」「存在がダメ」
父の余り語彙がない頭で思いつく限りの暴言を吐かれ続けた。気にしていなかったが、それは徐々に私の精神を蝕んでいく。母の保険金での生活も散財する父のせいで長くは続かないだろう。一体いつまで私は生きていくことが出来るのだろうか。そんなことを考えていると珍しく父が暴言以外の言葉を私に言った。 それは今までの暴言よりも暴力的な言葉だった。
「金持ちの親父を紹介してもらった。お前そこで稼いで家に金を入れろ。毎日放課後にそいつの家に行け」
父は私を見ず知らずの男に売ったのだ。
「生命保険は入れといたから死にたくなったら早く死ねよ。死ぬ場合は自然にトラックに飛び込め。分かったな」
父は私の全てを自分のために使うつもりだ。悔しくて涙が出そうになる。こんな父にも
一つだけ聞いてみたいことがあった。「どうして私を産んだの?」と。聞いても傷つけられるだけだから聞くことはないのだけれど。
教えられた住所に約束の家に着く。立派な洋館だった。四方を高い塀で囲まれている。中には三階建ての立派な建物とよく手入れされている広くて綺麗な庭。執事と思われる黒いスーツを来た初老が迎え入れてくれた。長い廊下を歩き辿り着いた部屋の扉は重く分厚い。
部屋の椅子に座っていたのは小太りの中年の男性だった。髪と髭は伸びきっており頭垢が溜まっている。
「よく来たね。寺田かりんちゃん。僕のパパから話は聞いているよね?これから毎日僕の遊び相手になってくれるんだよね。よろしくね」
ニヤニヤとその男は笑っていた。
「お坊ちゃま。今回はどうか加減して遊んでくださいませ」
「分かっているよ、それでも前の子は弱すぎでしょ」
話のオチはすぐに予想出来たのだが、不安になって聞いてしまった。
男は何の躊躇いもなく言う。
「自殺した。一ヶ月で。せっかく高い金払ってるのに」
私は生きていることを辞めてしまいたくなる程の屈辱を味わった。契約の時間が終わる頃には私の意識は朦朧としていた。ロビーで執事が封筒を私に手渡す。
「本日は三時間でしたので一万円となります」
中学生の私にとって一万円という大金を手にとることは初めての経験である。それは紙幣が一枚だけの風が吹けば飛んでいきそうな軽さだったが、私が初めて命を削って稼いだお金でどんなものよりも重たく感じた。
悔しくて家につくまでに涙が出てきた。気分が悪くなって電信柱の根元に嘔吐する。行き場のない苛立ちと不甲斐なさが私の内側を蝕み壊していく。これがこの先ずっと続くのなら私はもう早く死んでしまった方が幸せなのかもしれない。
家に帰ると父は無言で手を差し出した。朦朧とした思考でも理解出来る。今まで何回もその光景を見てきたからだ。私は鞄にしまった一万円の封筒を大事に取り出し父に手渡した。父はこちらを一度も向くことはなく、封筒ごと握り締めズボンの後ろポケットにねじ込んだ。
「こんな薄い封筒じゃ全然足らねぇよ、全然稼げない無能が」
この一連のやり取りで私は生きていく気力をなくした。
父は私をこの為だけに母が死んだあとも育てていたのだと知った。




