約束
朝食後、自室に戻り帰り支度を始める。
「これで本当に帰るんだね、早かったね」
寺田は旅行にいらない物ばかり詰めた大きなリュックを背負った。
初めは狭すぎて驚いた部屋も、三日経つと愛着が湧いてくるらしく帰る頃には淋しい気持ちになる。
窓の向こうの空は今朝と変わらず晴れ渡り、遠くで同じリズムを繰り返し鳴く鳥の声が聞こえた。
「忘れ物はありませんか?」
最後の確認。扉の前で振り返る。なんとなくもう二人で来れない気がした。
「じゃあ、帰ろう」
重そうなリュックを背負う寺田に続き、狭い廊下を歩く。
音が軋む。その音に気付いたのか女将さんと智子が受付から顔を出した。
「ありがとうございました。岡部様、寺田様。またお越しくださいね」
「お姉ちゃん、おじさん、ありがとー」
無邪気な笑顔で見送ってくれる。その顔は、心なしか来たときよりも幸せそうな気がした。
「智子ちゃんこれあげる」
寺田が手に持っていた紙袋を智子に渡す。
「なんなんこれ?」
「プレゼントだよ」
「えぇーー! ほんまに?! ありがとうめっちゃ嬉しい」
大きく開き、光をいっぱいに吸い込んだその目は、キラキラに輝いた。
興奮気味に体を揺らし、紙袋から綺麗に包装されたプレゼントを取り出す。
「あけてもいい?」
「いいよ」
寺田の許可をもらい、智子は包装紙を解いていく。中からは小さくて可愛らしい箱が出てきた。
その中にはヘアピンが入っていた。可愛らしいピンクの花のピン。嬉しそうに智子はそれで髪を留めてみせた。
「どう? 似合ってる?」
「うん、とっても」
えへへ、と恥ずかしそうに笑った。その笑顔は幸せで溢れていた。
「じゃあそろそろ行こうか。新幹線の時間もあるし」
それを聞いて淋しそうな表情をした智子に後ろ髪を引かれる思いになった。
寺田は体を屈めて同じ目線で智子の頭を撫でる。
「また……会いに来るからね」
智子はチラっとオレの方を見た。その後すぐに目線を寺田に戻した。
「絶対……会いに来てな。うちずっと待ってるから」
「ああ、約束するね」
指切りを交わした。
「おじさんも! 握手!」
差し出された手は小さかった。その小さな手をオレの手が包み込む。智子は両手でオレの片手を優しく包み込んだ。
「お姉ちゃんと仲良くね」
「あぁ、分かったよ」
そうしてオレたちは宿を出た。
※※※
新幹線の中。二人席の通路側にオレは腰掛けた。寺田は隣で流れゆく景色を何も言わずに眺めていた。京都駅を出てから数分後、だんだんと景色は自然に溢れてくる。
人も車も殆どいなくなっていく。広がる田畑の隣にポツンと佇む建物がなぜかとても寂しく思えた。
「帰るんだね」
寺田が窓を見ながら小さく呟く。同じ声量で「ああ」と返した。
「楽しかったよ、この三日間」
「そりゃあよかった」
「たまにこういうことがあるから、死ななくてよかったなぁって思えるときがくるよ。でもさ、次にまたこういう思い出に残る幸せが来てくれる保証はどこにもないんだよね」
窓に薄く映った寺田の表情はどこか虚ろで、でも幸せそうで。
それはまるで消えていく今の幸せの最期を噛みしめているようだった。
「次もあるよ。絶対」
「……え?」
「オレがいるから」
窓に映った寺田の顔が苦く歪むのが分かった。不満そうに口から息を吐いた。窓ガラスがほんのりと曇る。
「岡部さんがいてもなぁ……」
「ま…まぁな……」
寺田の隣で、窓ガラスに映っているおっさん顔を見て改めて自分でも思う。
確かにこんなおっさんに「オレがいるから」って言われても下手な冗談にしか聞こえない。
そんな心情が顔に出ていたのか。振り返って寺田は
「そんな困った顔しないでくださいよ」
とクスクス笑った。
「何かやりたいこととか、行きたいとことかないのか?」
「んー…、特にないかな。きっと楽しいと思えることはたくさんあるんだけど、私はそれを見つけるのがどうも下手クソみたいで」
「じゃあ、今度またどっか行こう」
「どこへ行くの?」
「お前が楽しいと思える場所、たくさん連れてってやるよ」
「……あの子はもういいの?」
「あの子って?」
「職場の藤井景子ちゃん」
なんで今このタイミングで職場のアルバイトの藤井の名前が出てくるかはオレには分からなかった。
「……関係なくないか?」
「……まぁ岡部さんがそう言うなら」
そうしていつもの柔らかい表情で
「楽しみにしときます」
と寺田は言った。




