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午前二時に会いましょう  作者: はしもと
第二章 京都旅行
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作ってくれた笑顔

「智子ちゃんに渡すのは明日ここの宿を出るときにしよっか」


 部屋で荷物整理をしている寺田がそう提案してきた。オレはいつでもよかったので無条件で承諾した。小さな紙袋に包まれたプレゼントを明日渡し忘れないようにカバンの上に置いた。

 つけっぱなしのテレビからは騒々しい笑い声が響いている。

「旅館で見るテレビって不思議な気分になるね。チャンネルとかも全然違うし、遠いところまで来たんだなぁってさ」

 机の上に置いてある煎餅をバリバリ食べながら寺田はそんなことを呟く。

「……そうだな。ってあぁ、それオレの分の煎餅」

「えっ、岡部さんこれ食べたかったの? 夜になっても食べないからもういらないかと思ってた」

「寝る前に食べようと思ってたんだよ……」

 寺田はそれを聞いて呆れたような顔をする。オレは寝る前に温かいお茶を飲むのが好きなんだ。それのお供にしようと密かに楽しみにしてたんだ。悪かったな分かりづらい趣味してて……。

「……半分まで食べちゃったけど、そんなに欲しかったなら食べる?私の食べさしだけど」

 差し出された半円の煎餅は見事に寺田がかじった跡がついていて、なんというかその続きを本人の横で食べるのも……。


「ちょっと、なに変なこと考えてんのよ!中学生じゃないんだから辞めてよねっ」

 何故か顔を真っ赤にして焦っている。それに釣られてオレも顔が熱くなる。

「…………」

 人二人が入ると余裕がなくなる狭い部屋で、沈黙が流れる。唯一の救いは付けっぱなしのテレビだけだった。こいつがなかったら息遣いまで聞こえてきそうで。

「そ……、外に煙草でも吸いに行きますか」

 寺田により落とされた細い糸にしがみつくように、オレもその提案に全面的に乗った。



***



 宿の前にある小さな喫煙所スペース。そこで同じ銘柄の煙草を二人並んで吸う。

「あっという間でしたね。もう明日帰りですか」

 細く遠くまで届くように煙を吐く。

「こういう旅行とかって気がついたら帰りの電車の中だったりするよな。出発前はあんなに待ち遠しかったのに」

「うん……、ほんと今こうしているのも夢みたい。不思議ですよね。今自然に岡部さんが私の隣にいることもすごく不思議です。岡部さんと出会ってなかった頃が思い出せないくらい……」

「………」

 そんなことを恥ずかしげもなくごく自然に寺田が言った。そういえばオレも寺田と出会うまでは、何を楽しみに生きていたのだろう。寺田と出会うまでは誰と遊んでいたのだろう。そんな簡単なことも忘れてしまうくらい、寺田の存在は大きかった。いつの間にかオレの中で大きくなってしまっていた。


 そんな風に少し物思いに耽っていると、宿の中から騒がしい音が聞こえてきた。

 勢いよく開かれた玄関の扉、駆け出していく少女、そして大きな声で

「おばあちゃんの……、アホォーー!」

 智子がオレたちの横を走り抜けていく。数秒遅れて女将さんが顔を出す。

「まったくあの子は……、時間も遅くて危ないのに……」

 喫煙所にいるオレたちの存在に気がついた女将さんはペコリと小さく頭を下げて「すみませんなぁ、お騒がせしてしまいまして」と言った。

「あの……、よかったら私たちで探しましょうか?おばあちゃんいないと宿に誰もいなくなっちゃうし何かあったとき困るじゃないですか」

 と、寺田が提案したが

「いえいえ、お客様にご迷惑をお掛けできませんのでお気持ちだけ受け取らせて頂きます。ありがとうございます」

 と、キッパリ断られた。

「この時間ですのでお客様からのお問い合わせなどもないと思いますので、少しだけ留守にさせて頂きます」

 そう言い残し、女将さんは夜の京都に駆け出していく。

「……まぁこんな時間だしお客さんから何かあるわけでもないから大丈夫だろ」

「でも一応帰ってくるまで待ってましょう」



 寺田が新しく箱から一本煙草を取り出して咥える。

「いいですね智子ちゃん。仕事よりも自分のことを優先してくれる人がいて。追いかけてくれる人がいて」

「………」

 ふっ…と静かに笑ったような気がした。伏し目勝ちなその横顔を黙ってみることしか出来なかった。よく見ると整っているその横顔に見とれてしまったのだろうか。それとも、寺田の存在自体を儚く感じてしまったのだろうか。

「あのさ……、お前が前に一度話してくれたよな。『今まで生きたいと思えたことが一度もない』って。今でもそう思うのか?」

 一瞬きょとんとした寺田は、何かを察したのか柔らかい表情をして

「……生きていたい。って言うと嘘になりますね。残念ながら」

「……でも」続けて寺田は言葉を紡ぐ。

「死ぬのって怖いじゃないですか。だからまだ生きているんです。こんな私を幻滅しませんか?生きることも死ぬことも禄に出来やしない。どっちも嫌だ嫌だとダダをこねている間に大人になってしまったただの子供です。私は私が嫌いですよ……」

「オレは好きだよ。寺田のこと」

「はぁ……どうも」

 表情を変えることもなく、寺田はオレの言葉に応える。まるでそれが今日一日だけで消えてしまうような、そんな受け取り方をする。


「私のことをもっと知ったら、めんどくさくて嫌いになりますよ。だってこの世界には真っ直ぐ伸び伸びと健全に育って、正しい価値観を持ち、自然に笑って自分のことをちゃんと愛して、他人のことを心の底から大切にして愛せる人間がごまんといますから。私の気まぐれで今こうして二人でいれるんじゃないんですよ。

……岡部さんの気まぐれで今こうして二人でいれるだけなんです」

 壁にゆっくりともたれかかりながら、肺に入れた煙を吐き出す。その煙で本音を隠すように、いつものようにヘラっと笑って

「……って、なんですかこの空気。まさか今の話本気にしちゃったんですか?冗談ですよ」

 オレはなんて応えればいいのか分からなくなった。だから思ったことを子供みたいにそのまま話した。


「あのさ、死ぬのが怖かったら、無理に死ななくていいんだぞ」

「……うん、そだね」

 前髪で寺田の表情がよく分からなかったけど、少しだけ声が震えていたような気がした。あくまで気がしただけで、そのくらいの微かな返事。

 そして


「なんだか少しだけ今、生きてみてもいいかなぁって思えたよ」と

 困った顔をしながら微笑む。そんな作ってくれた笑顔も寺田の優しさなのだろう。


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