the past story-2:ウワサ話
今更ですが、サブタイトルがthe past storyとなっている物語は、砂智が高校生のときの物語です。
昨日、あの古びたバス停で出会った先輩は、僕の学校では有名な人だったらしく……。
「砂智、加藤先輩を知らなかったの?」
僕の友達、中谷 守尚は目を丸くして僕を見た。その目は僕を、何かの絶滅種の動物を見るような目だった。
「気をつけろよ。あの人の目に止まった男は骨の髄までしゃぶられるってウワサだぜ。しかも、その虜になった男は数知れず。その中に教師がいたとかいないとか」
守尚は小声で僕に教えてくれた。
「骨の髄って大袈裟な」
僕は内心、うろたえながらも顔の表面上は笑顔を作って言葉を返した。
「まぁウワサ話はさ、ちっちゃいことが大きくなって広まるもんだけどさ。でも、ここだけじゃなくて他校にも、あの人の男がいるのは本当らしいよ」
そう言って守尚はきょろきょろと周りの様子を伺った。今は昼休みで生徒それぞれが、弁当を広げている。僕は首を傾げて守尚を見た。
「どうしたんだよ?」
「いや、もしかしたら俺らのクラスに、あの人の男がいるかもしれないからさ。用心しないとな」
守尚は秘密のスパイのように目を光らせている。
「大丈夫だと思うけど……」
僕はずずっと音を立ててオレンジジュースを飲んだ。
守尚からの情報で分かったことは、とにかく、何だか凄くて危険な人だってことだ。
(確かに、男慣れしてるって感じだった)
僕は昨日の先輩を思い出した。すると、あの雨で濡れた先輩の胸元が目に浮かんで、慌てて頭を振った。
(何だかなぁ……柔らかそうな……って、違う!)
一人ノリツッコミをして僕は他のことを考えようと窓の外を見た。運動系の部活の生徒なのか、昼休みなのにグランド整備をしている姿が目に入った。次に目線を正門の方へ移すと、二人の男女が何やら言い合いをしているのが見えた。
(……あれ、昨日の?)
僕は少し身を乗り出して見てみた。やっぱり昨日の先輩だった。と言うことは、隣にいる男は彼氏の一人ってことか。
「あ、あの男子生徒は三年だよ。確か佐川先輩」
守尚が僕の目線の先を見て教えてくれた。
「その佐川先輩も有名なわけ?」
「そりゃもう。あの加藤先輩が一目ボレして、自分から告白した相手だからね」
「ふーん」と、僕はその佐川先輩を見た。男の僕から見ても、顔はいわゆるイケメンで、女の子が好きになるのも理解出来る先輩だ。そう考えると、随分、男慣れしてる加藤先輩も、普通の女の子……なのかもしれない。
呑気にそう考えていると、ばちんと皮膚が弾かれた音がした。守尚が口を開けて「うわ、修羅場?」と、声は強張っているが顔は好奇な表情をした。
なんと加藤先輩が佐川先輩の頬を叩いたのだ。他のクラスメートも気付いたのか、みな守尚と同じ顔をして二人を見ていた。
佐川先輩は逃げるように……と言うよりは開き直った様子で校舎の中へ入っていった。加藤先輩はしばらくその場にたちすくみ、ふっと顔を上げた。
(あ、やばっ)
この様子を盗み見ていた誰もがそう思っただろう。僕も慌てて目を逸らそうとしたが、もう遅かった。加藤先輩はがっちりと、僕の居場所を捕らえて手招きしている。さっきまでの様子を見ていたクラスメートの視線が、一瞬にして僕に向けられた。
「砂智、加藤先輩と……?」
「違う! そんなことないし」
僕は加藤先輩を無視して残りの弁当を口の中に流し込んだとき、短くて長かったような昼休みが終わった。
日が沈み、僕は夕日に照らされた教室にいた。
守尚と帰る約束をしていたのだが、その守尚がなかなか帰ってこない。守尚が所属する野球部のマネージャーに呼ばれて、それ以来帰ってこないのだ。
無視して先に帰ってもいいのだけど、学校の帰り道で僕の家に寄り、守尚に借りた漫画を返す予定なのだ。
(また明日でいっか)
僕はすでに帰り支度を終えた鞄を持って教室を出ようとしたとき、僕の目の前に加藤先輩が現れた。
「!!」
「昼休みのときは、どーも」
加藤先輩は腕を組んで仁王立ちしている。僕は目を下に落して、先輩の横を通り過ぎようとした。そんな僕の腕を先輩が引っ張った。
「何で無視するの?」
「べ、別に無視したわけじゃないです」
先輩の手は小さくて冷たかった。僕はちらりと先輩を見た。バス停では分からなかったけど、僕と先輩はあまり背が変わらない。もっと背が高いと思っていた。
「いいや、絶対無視した。あたし、ちゃんと見てたし、キミと目が合ったもん」
(合ったもんって、子供みたいな……)
僕は少し笑って先輩に聞いた。
「僕に何か用ですか?」
「うん、謝ろうと思って」
先輩は僕を捕らえていた手を放した。
「昨日はごめんね。あたし、あの日はちょっと参ってたから」
「い、いえ別に僕は……」
健全な男子高校生の性なのか、僕の脳は頼んでもいないのに、昨日の情景を生々しく見せてくれた。
「僕は大丈夫ですから」
「ほんと? 良かったぁ。怒ってたらどうしようかと思ってたんだ」
少し暗い顔をしていた先輩の顔が、ぱっと花が咲くように明るくなった。その顔を見て僕の心臓がどきっと跳ねた。動揺しているのを見破られないように、僕は慌てて何か言葉を続けた。しかし、それで出た言葉がいけなかった。
「昼休みの相手って……」
「え?」
明るくなった先輩の顔が一瞬、動かなくなった。
非常にマズイことを聞いてしまった。何か話そうと考えて、選んだ言葉がこれだなんて。なんて、なんて僕は無神経なんだ。
「あ、いや、あの……僕、もう帰りますから」
僕はまたまた顔を赤くして、その場を立ち去ろうとした。
「颯太ね、浮気してたんだぁ」
先輩のやけに色っぽく聞こえる声が僕を振り向かせた。先輩は首を落してぽつりと呟いた。
「なんで好きな人に、好きになってもらえないんだろうね……?」
僕は何も答えられず、しばらく無言の時間が流れた。
……驚いてしまった。まさか、加藤先輩からそんな言葉が出て来るなんて、守尚の情報からは想像出来ない。
(ウワサはウワサ……ってこと?)
僕はさっきよりも一回り小さく見える先輩がとても愛しく思えた。
ただ好きな人に想われたいだけなのに。たった一人の人に想われたいだけなのに。
……先輩はただ、不器用な人のかもしれない。そう感じたとき、僕の心がぱちんっと音を立てた。
何か、新しい何かが僕の中で生まれた瞬間だった。