727日目の静観
見つめるしか能がないのだ。
あの人たちは言葉を持っているという。
意にそぐわない事には反論できて、他人を屈服させるほどに強く、自分の意志を主張できるらしい。
この前、骨と皮だけになった長老が語った。
それと打って変わって、ボクは、ボクらはなんと低級であろうか。
見つめる事でしか思いを伝えられない。
あまつさえ言葉を知らない私が、ここ最近は呻くこともできなくなってしまった。
二年前なら、呻けば誰かがやってきた。
だから終日延々と鳴き続ける事はなかった。
それなのに、今はもう誰もやってこない。
ボクを買ったあの人たちも、とんと見かけない。
朝と夕方にボクを撫でに来た、小さな子たちの笑顔がもう思い出せない。
ボクの頭にあるのは、怯えた顔で逃げ惑う人たちの姿だ。
思い出すだけで恐ろしくなる、そういう顔をしていた。
そういえば最近、別の表情を見た。久しぶりの事だった。
実際にはほとんど見えてはいなかったけれど、あれは見たことのない顔だった。
笑っていなかった。
怖がってもいなかった。
もはや悲しんでも、怒ってもいない。そういう風に見えた。
あの白い被り物がなければ、もっとはっきり見えたのだけど不思議な事に、最近増えだした道行く人は必ず、あの白い被り物をしている。
そして遠いところからじっと見てくる。
たまに何か黒い機械を抱えて、それをこちらに向けてくる。
あの人たちなのか、分からないけれど、とにかく久しぶりに見たから、ボクは伝えたかった。
どうしたの。
何が起きたの。
なぜみんなはいなくなったの。
その白い被り物は何なの。
会いたい。
みんなに会いたい。
あの人たちに、小さな子たちに。
何も変わらなかった、二年前のこの町に。
どれだけ喉を力ませても、何も出てこない。
かろうじて、薄い息と涎とがこぼれ出てくるのみ。
あの遠い姿に見えるとは思えない。
ボクには見つめるしか能がないのだ。
あの言葉を操れる人たちは、何を思って見ているのだろう。
無言で視線を向けてくるボクたちを、見つめ返してくれているのだろうか。