女将の策略
「……」
意識が浮上してくる。
「…………」
感覚が鮮明になってくる。
「……ん?」
仰向けに寝ているらしい身体の上、右、左の三方向から柔らかい膨らみが当たっていることに気付き、目を開ける。
「……っ」
数回瞬きした後、視界がクリアになって状況を把握する。……梨華が上、アリシアが左、会長が右に添い寝していたのだ。
アリシアと梨華はいつものことなので分かるが、会長がいるのは何故だろうか。……考えても分からないか。
「……もう夜か」
窓から月明かりが射し込んでいるのを確認して、呟く。……運動したから風呂には入りたいよな。さすがに着替えさせなかったのか格好もそのままだ。
「……」
俺は三人を起こさないようにソーッと起き上がる。腕を抱えるような形の左右二人はゆっくり腕を抜くだけでいいが、上に乗っている梨華は注意が必要だ。どうやら梨華とアリシアは風呂に入ったらしく、浴衣に着替えていた。おそらく旅館にあったヤツだろう。……何故かブラジャーを身に着けてないようで、かなり理性が刺激されたのは言うまでもない。
「……ふぅ」
俺は無事に脱け出すことに成功し、ホッと一息つく。どうやら俺の部屋らしく、会長はまだ風呂に入ってないようだった。会長のことだから、心配してくれたんだろう。多分。……俺まだ会長と直接会ってから一日目なんだが。まあ入学式で挨拶する時に俺と仲良くするように、とかそんなことを言ってたから、悪い人じゃない。むしろ優しい人のようだ。多分会長自身もどうしたらいいか迷っていたんだろう。
ただ、ちょっと茶目っ気があるというか何というか……。
それは兎も角、今は風呂だ。一応汗や何かは拭き取ってくれたらしく、ベタベタはしていない。だが拭き取っても匂いまでは取れる訳じゃないので、汗臭いといえばそうだ。
「……風呂行くか」
確か一階に大浴場があったと思うので、タオルや下着などを持って、浴衣を忘れずに持っていき、一階に向かった。
「……あら、弥生月さん。今からお風呂ですか?」
一階に向かうと女将がいて、柔らかな微笑を浮かべてきた。……まだ起きてたのか。現在時刻は午後十一時。修学旅行とかだったらとっくに消灯時間になって寝静まっている時間帯だ。もちろん寝たフリをして夜更かしに挑む生徒はいるだろうが。
「はい。今からでも入れますか?」
「大丈夫ですよ。でもここは姫神学園の生徒しか来ませんので、女湯しかないのです。会長の音緒さん以外は入られましたから、今は誰もいませんよ」
「ありがとうございます」
俺が聞くと女将は丁寧に答えてくれた。俺は礼を言ってその場を去り、大浴場に向かった。
脱衣所には忘れられた下着が置いてあるなどということもなく、無事に大浴場に入った。一応出る時に身体を拭く意味も含めて、タオルは持っておく。一度揃っているモノを見てから洗顔料などを持っていこうと思ったんだが、揃いすぎてる程に揃っている。……俺はあんまり持ってないし、ズラリと並ぶそれらの数は、何故か十個以上にも及ぶ。何のために使うのかよく分からないモノまであるが、きっと女子のために作られた旅館といっても過言ではないので、女子は身だしなみに気を遣ってる、ということだろう。
……だが、と俺は気付く。
これらは女子が使うためにいい匂いがするモノなどじゃないのか?
まあ別にいいけどな。キューティクルがどうのこうのとか全く分からないので、どうでもいいし。可愛いから卒業したところで何がいいのかは、全く分からない。シャンプーを変えたと言われても、匂いじゃなきゃ見分けられる訳がないと思う。
女性の苦労は、男の俺には到底理解出来ないモノらしい。
汗を掻いたので少し念入りに身体と頭を洗う。その後よく泡を流してから風呂を一つ一つ試していく。旅館の大浴場にしては風呂の数が多かった。露天風呂まであるんだから、さすがは姫神学園御用達、といったところか。
通常の風呂、熱め、温め、水風呂、ジェットつき、美容効果のある風呂、サウナ。中にはこれだけの設備がある。かなり広く、身体を洗う場所も三列あってかなりの数が一気に洗える。おそらく男湯を作る必要がないからここまで広く出来るんだろうな。普通に二つ分のスペースを女湯だけで埋めるというのは広すぎる気がしないでもない。
露天の方がお椀みたいな風呂や浅い風呂、何らかの効果がある風呂など様々な風呂が規模は小さいものの、数多く並んでいる。
「……あーっ」
今日何度目か分からないが、露天風呂にあったお椀型の小さな風呂に入ってあまりの気持ち良さに思わず声を上げてしまう。……やっぱり風呂はいいな。風呂こそ日本人最大の発明だろう。日本庭園も素晴らしいが風呂はやっぱり最高だ。個人的に馴染み深いのは風呂だろうからな。
ガラッ。
「……っ!」
そうして俺が風呂を堪能していると、不意に中から扉が開けられて、ビックリしつつも顔が湯に浸からないギリギリまで身を沈めて隠れる。……何故隠れたかって? チラリと見た扉越しのフォルムが女性のモノだったからだよ。まあここには俺以外に女性しかいないため、侵入者じゃなきゃ女性だろうが。
「……」
俺が入っているお椀型の風呂は露天風呂でも奥の方にある。そう簡単に見つからないとは思うんだが。
「……誰かいるの? 何か人の気配がするんだけど」
……あっさり見つかってしまった。そりゃそうかもしれない。だって俺はさっきまで風呂を行き来していて、乾きかけていた床が水浸しになっていたんだからな。つい最近誰かが風呂に入ったことは明白だ。ってかこの旅館の構造上、女将のとこを通る以外に大浴場に来れることはないんだが、何故女将は俺がいることを告げなかったんだろうか。
声からして、会長だった。
「……か、会長ですか?」
俺は躊躇したが、隠れたままで水面ギリギリで仰向けになり、声をかけることにする。……隠れたままバレて殺されるよりは、白状して見逃してもらえるように説得した方がいいんじゃないだろうか。
「……っ!? た、大河君!? な、何で女湯に……」
会長はやっぱりというか、かなり慌てふためいたようだ。……転ばなかったようだが、短く悲鳴を上げていることから推測するに、滑ったんじゃないだろうか。
「……だ、大丈夫ですか、会長?」
「……だ、大丈夫よ。それより何で女湯にいるか、説明してもらおうかしら?」
俺が声をかけるとすぐに話題を変えられた。
「……じ、実はですね」
俺は会長に一から説明していく。目覚めた後風呂に入ってないことに気付いて部屋を脱け出したこと、女将に聞いて誰も入ってないから使っていいと言われたことなど。
「……そ、そうだったの。そういえばここは女湯しかないんだったわね。ホテルと違って個室にシャワーがある訳でもないし、大河君は悪くないわよね」
事情を聞いた会長は、嘆息混じりにそう言ってくれた。
「……す、すみません」
「……大河君が謝る必要はないわよ。全部あの女将のせいだから」
俺が謝ると、どこか苛立ちの混ざった声が聞こえた。
「……そ、それにしたって、何で女将は俺が入ってることを言わなかったんでしょうね?」
俺はとりあえず会話することで会長の怒りが収まったりしたらいいな、と話を続ける。
「…………」
「……会長?」
すると会長は何故か黙ってしまった。どこか気まずそうな雰囲気さえ感じる。
「……どうかしたんですか?」
話題を切り換えるべきかとも思ったが、そう尋ねた。
「……ええ。もしかしたら、それは私のせいかもしれない」
「……えっ?」
まさかの言葉に俺は驚く。……ってか額の上にタオルを置いてる状態だからもう起き上がりたい。このままだと逆上せそうな気がする。
「…………その、ね? 隣と見せかけて一つの部屋っていう悪戯したでしょ?」
会長はしばらくの沈黙の後、そんなことを言い出した。……思い出すと恥ずかしいのは俺よりも会長の気がするんだが、まあいいか。
「……はい。二つドアがあってすっかり騙されました」
俺は無難そうな答えを返す。
「……そうね。それで、さすがに同年代の男女を同じ部屋にするのは大人からしたら許容出来ないでしょ? 寮は一人部屋がなくてギリギリの個数しかないから良くても、旅館だったら個室にしてあげた方がいいじゃない?」
会長は俺と梨華、アリシアが同じ部屋だということを知っているようだ。……ってかもうすでに色々誇張されて広まっているらしい。俺としては構わないというか嬉しい噂ばっかりなんだが、梨華やアリシアにとっては迷惑だと思われる噂だ。
「……そうですね」
それがどう今の状況に繋がるか分からなかったが、頷いた。
「……そ、それで、二つの部屋に見えるけど実は繋がってて一つの部屋でしたってやるには、私と大河君がその……付き合ってるってことにしなきゃいけなかったのよ」
「……はあ?」
俺は会長の恥じらうような小さな声に、驚いて起き上がりかけた。何とか踏み止まったが、危なかった。
「……ご、ごめんなさい。だから女将も私と大河君なら一緒に入ってもいいって思ったんじゃないかしら」
聞き返した俺に、会長は慌てて謝りながら結論を出した。……なるほど。あのドッキリをやるために恋人だと偽り、恋人だと思っている女将は一緒に風呂入っても問題ないと思って、俺が入ってることを会長に告げなかったと。
「……いや、恋人同士でもあんまり一緒に風呂入っちゃいけないと思うんですけど」
もし変な気を起こしたりしたらどうするんだろうか。そういうことをする気ならまだしも。
「……そ、そうよね」
会長は言いつついい加減身体が冷えたのか、チャプッとどこかの風呂に入る。そこまで近くないが、一番遠いという訳でもなさそうな風呂だと思われる。
「……じゃあ俺はこのままここにいますんで、会長から上がって下さい」
「……う、うん。ホントにごめんね?」
「……いえ。別にいいですよ。でもあんまり待たせないで下さいね? 俺もう結構逆上せそうなんで」
「……そ、そう。じゃあ一旦サウナに入ってくるから、そしたら出てもいいわよ」
「……助かります」
会長の有り難い申し出に従い、大浴場を出た。……脱衣所で俺の男子用のヤツの横に、女子用のそれが置いてあった。着替えのために持ってきたのだろうショーツと浴衣も、だ。
……えっ? 何これどういうこと? 会長は俺の服やバスタオルがあったことに気付いてて、風呂に入ってきてた? 隣にあって気付いてないってことはないだろう。ってことは、どういうことだ? 会長は俺が入ってることに気付いてて入り、慌てふためいた演技をした? 一体何のために? ってか思えば俺が部屋を出てから会長がと露天風呂に入ってくるまでのタイムラグが少なすぎる。俺が起きてから起きて、すぐ風呂に行って俺の後を追うような形になったとして、俺が脱衣所から風呂に行って身体を洗い、風呂を一つ一つ堪能してから露天に行った。その後に脱衣所から風呂に入ってきたんだろう。で、俺が露天風呂を堪能してると会長が露天に来た。普通に入ってたら有り得ないことかもしれない。
まさか会長は、俺が入ってると知っててわざと入ってきたのか?
……いやいや、まさかそんなハズは。
俺は逡巡する思考を振り払い、深く考えないことにして部屋に戻った。……ドアを開けると梨華が立っていて驚き、そのまま抱き着かれて眠ってしまったので仕方なく一緒に寝ることにしたのは余談である。
俺達の合宿初日はこうして終わり、翌日からは本格的な特訓が始まった。二日に一度のペースで三時間の休憩タイムが入り、その時は大体の人が水着になって遊んでいた。
そしていよいよ、作戦の前夜になった。




