[第一話] Re.Set
朝。とある町の中心に位置する大きな病院。
朝日を浴びるその佇まいは他の町のそれとはあまり変わらないだろう。 そのうちの一室。
個室であるその病室のベッドの上には一人の少年の姿があった。
彼の名前は藤堂アラト。
少し茶気の含む黒髪で病人である証の服に身を包んでいる。
両足はぐるぐる巻きのギプスで固められていた。
「……はぁ」
もはや本日何度目かわからないため息を吐き出す。
外を眺めればとても綺麗な青空が広がっており、その下を鳥たちが飛び回る。
いつもと変わらない。変化があるとすれば天気や気温の違いだけ。
やることは毎日同じこと。
――つまらない。
足が動かず、一人ではとても外を歩くことさえもできない。
それ以前にそんな気分にさえならない。
外の陽気とはまるで正反対、彼の心は曇り空だった。
何も……何も変わらない。
「……いや、変わってしまった、か」
彼は自重気味に呟いた。
その表情には笑みが浮かんでいるが、それは貼り付けられたただの仮面のようだった。
***
夕方。
日が傾き、部屋には西日が差し込み病室は夕焼け色に染まっていた。
「…………」
アラトはただ黙々と本を読んでいる。
一言も話さずに、しかし、その本を心から楽しんではいないようだった。
するとその時、コンコンッと乾いた音が部屋に響いた。 あの人だな……。
「……どうぞ」
何となく予想はついている。
そういう風な感じを思わせる素振りでアラトはノックに答えた。
スライド式の白い扉が開かれ、現れたのはやはり考え通りの人物だった。
「やあ、アラト君。お加減はどうだい?」
「特に異状はありません。いつも通りですよ、おじさん」
おじさん――紅坂恭平はよくアラトのお見舞いに来ている。
おじさんと呼ばれているため中年を連想しがちだが、彼はそこまで年をとっているわけではない。
年は三十後半で、過去に鍛えていたのか引き締まった体つきをしている。
それでいて身長も高く、まさに“格好いい大人の男性”に見える。
お婆ちゃん格の女性からは絶賛されているとのこと。
仕事帰りなのかスーツ姿で今日は来ていた。
いつもなら私服でラフな格好をしているイメージが強いために新鮮に感じることができる。
しかし、これは“いつもとは違う”ということを意味し、“何か違うこと”が起こるかもしれない。
そういう風にも考えられないだろうか。
「実は……今日は君に渡したいものが見つかってね」
いつも通りなら他愛もない会話をして、花瓶の花を取り替えると帰ってしまう恭平だったが、今日はやはりいつもとは違ってそんなことを口にした。
渡したいもの?とアラトは首を傾げつつ尋ねる。
彼はズボンのポケットから小さな紙包みを取り出す。
それをアラトに手渡すと、開けるように促した。
アラトがそれを丁寧に開けると、中から青い石のペンダントが顔を出した。
「おじさん、これは……!」
アラトの表情が驚きに染まる。
それと共に昔の記憶の中の一人の少女の姿が鮮明に頭に思い浮かぶ。
その反応に恭平は懐かしむように目を細めて頷いた。
「そう。……それはあの子――春のペンダントだ」
春。アラトの幼馴染みの少女の名前。
その名は……なるべく思い出さないようにしていた。
思い出したくなかった。
考えたくなかった。
彼女はもう、この世にはいないから。
三ヶ月前。
とある事故が起きた。
夜、雨の中道端で猫を避けようとしたトラックがスリップを起こし、その場にいた二人の男女を撥ね飛ばすという事故。
その二人こそアラトと春だった。
アラトはなんとか一命を取り止めたが、下半身を骨折。
対する春は、即死だった。
それから月日は流れ、現在に至る。
「……これを俺に?」
「ああ。君に持っていてほしい」
紅坂恭平。彼は彼女の父親だ。
だからこそアラトにはわからなかった。
手渡されたペンダントは春風の形見。普通なら誰かに渡すことなどないだろう。
「……本当に、いいんですか?俺なんかがもらって」
アラトはまだ腑に落ちないらしい。
それだけ重大なことだと理解してるが故にだ。 しかし、恭平は何も言わない。
ただ優しい笑顔を浮かべて首を縦に振るだけ。
「……どうして……どうして俺なんですか?」
春風の形見。それを持っていられるのは嬉しい。
しかし、それ以前に自分が持っていたらいけないものだとアラトは思っていた。
あの日、春が死んだのは――
「俺の、せいなのに……」
涙が溢れ出す。
思い出してはいけない記憶。たくさんの思い出と共に。
「あれは君のせいじゃない。ただの事故なんだよ」
「……違うんです。あの日の前、俺たち喧嘩してて、それで――!」
自己嫌悪、過去への後悔が心を捕らえる。
だが、体を包む暖かさにそれは止められた。
「……いいんだ。……もう、いいんだよアラト君」
「うっ……!ぅぁああ……!」
心に残された傷は深く、今だ癒えることはない。
自然と涙が溢れ、そして落ちていく。
いくら謝ったところでもう彼女は戻ることはない。
もう、何もかも遅いのだ。
***
「…………」
夜。
窓越しに外を見上げてみれば満天の星空。
月明かりに照らされて電気をつけなくとも部屋は優しい光で満たされていた。
アラトは受け取ったペンダントを眺める。
月の光を受けてキラキラと光るそれはとても綺麗だった。
「……春。俺ってホントにダメだよな」
目を閉じ、瞼の裏の闇の中に佇む一人の少女。 彼女に向かってアラトは声をかける。
返事はない。ただ悲しそうな顔をしているだけ。
「そんな顔するなよ。……こっちまで悲しくなるじゃんか」
目尻から再び涙がこぼれる。
渇れることは、もうないかもしれない。
電気のついていない病室には涙を拭う音だけが響き渡る。
それを見る者も、いないはずだった。
――ズバンッ!
突如、部屋の窓が独りでに開いた。
当然アラトは驚き、飛び上がる。
「君が、藤堂アラト君ですか?」
何が起こっているのか理解が追い付かない。
部屋にはアラト以外誰もいないはずなのに少女の声が聞こえた。
「……だ、誰だ」
声の主に尋ねる。
彼の声は恐怖に震えていた。
すると、窓から――四階の窓あるはずの外から人が入り込んできた。
「…………」
「こんにちはー。あ、もう“こんばんは”か」
「…………」
絶句。
目の前に現れたのは一人の少女。
月明かりに輝く金色の長い髪の毛。
白の生地に紫のラインが走る衣装。
その服と同じデザインの帽子を頭に乗せ、アラトに向かって笑いかけている。
何者かわからない。
しかし、美少女だ。
無性にも胸が高なってしまった。
「藤堂、アラト君ですよね?」
重ね重ね、むしろ確認に近い少女の問い。
アラトはそれに頷くだけで答える。
全てが謎の目前の少女。
全く得体の知れない、と表すこともできるかもしれない。
アラトの頷きに満足そうに微笑み、再び口を開いた。
「私はミスティーレ・コン・グラチェリア。ミスティと呼んでください」
金髪の美少女――ミスティはそのまま続ける。
「実は今日、君に折り入って頼みがあって来ました」
「ちょっと待ってくれ。お前どうやって来たんだ?ここ四階だぞ?」
本題にはいる前にまず解決しておきたいことがある。
彼女の正体だ。
「流石に幽霊や妖怪とかじゃない、よな……?」
ちなみにアラトは幽霊の類いの存在を認めてはいない。
だからこそこんな状況に置かれて焦っているのだ。
人は未知なるものが現れるとまず恐怖するのだが、それは無知だからである。
今のアラトの状況も同じで、得体の知れない存在をそのままにしておくわけにはいけないのだった。
「大丈夫ですよ。私は歴とした人間です」
苦笑してそう答えるミスティの言葉にとりあえず安堵した表情を見せるアラト。
「――――まぁ、この世界の人間じゃないですけど」
「聞き捨てならないなオイ」
「えっ?何がですか?」
「確かに俺は幽霊の類いの存在は信じてないが異世界人とかも同じなんだよ!」
「でも私、本当に違う世界の人間なので……」
そう言ってミスティはごめんなさい、と頭を下げる。
「いや、謝られても困るんだが……」
「ありがとうございます?」
「お礼も違うだろ」
そこでアラトは呆れて一つため息をつく。
「まあ、それはもういいよ。で、その異世界人が俺に何の用だよ?頼みがあるって言ってたよな?」
自分は頼み事をされるほどの人間ではない。とアラトは思う。
足が動かせない彼には人間が行う行動のほとんどが制限されているからだ。
たとえ怪我をしていなくてもそう思っている。
「まあ、見ての通り俺は足が動かないんだ。だからできることも限られてると思うけど」
しかしミスティは笑顔を見せ、
「そんなこと、少しも問題になりませんよ」
と言う。
そんな呆気ない返答にアラトは首を傾げる。
(そんな簡単な頼みならどうして俺なんかに……?)
それは当然の疑問だった。
足を動かせない自分にでもできることなら他の人の方ができるだろう。 それなのになぜ――
「何で俺なんだ?」
一瞬キョトンとするミスティ。
どうやら突然のアラトの問いに理解が追い付かなかったらしい。
「何でって……君しかできないから、ですよ」
「足が動かない俺なんかに出来ることならもっとできる人が他にもいるんじゃないのか?」
もっと他に代わりがいるじゃないか、とアラトは続けた。
しかし、ミスティはそれに首を振って否定する。
「いいえ。これはアラト君だけにしか頼めません」
「……どういうことだ?」
わけがわからないといった風にアラトが漏らす。
そして、ミスティが意を決して口を開いた
「それは……君には強い“願い”があるからです」
「“願い”……?……ますます訳がわからなくなったぞ」
願い、といったら願い事の“願い”なのだろうがそれが自分にある、とはアラトは断言できない。
なぜなら、それはいくら願ったところで叶うものではないからだ。
「君には一緒に来てもらいたいんです」 今まで考え込んでいたアラトだったが、その台詞に顔を上げた。
「一緒に、って……」
一瞬、ある考えが脳裏に浮かぶ。
いやいや、そんなことあるはずない。アラトは頭を振ってすぐさまその考えを消した。
(一緒に異世界に行くなんてありえないだろ。ただ別の場所に連れていきたいだけだ)
アラトは自分に言い聞かせ、一人納得する。
しかし、その予想は的中となってしまうのだった。
「私たちの世界――“パラシア”に!」
「……………………え?」
長い間をおいてようやく出てきた「え?」
「パラシアに、ですよ。異世界に来てもらいたいんです」
そんな馬鹿な……。アラトはガックリと項垂れる。
「……本当に行くのか?」
念のため尋ねてみる。
それにミスティは満面の笑みで頷くだけであった。
「でもどうやって?」
「それは私に任せてください」
そう言うとミスティは懐から銀色の細長い棒状の物を取り出した。
装飾の施されているそれはまるでオーケストラの指揮者が使う指揮棒のようで、ミスティはそれを空中に円を書くように振る。
それを見てなにかをしでかすつもりだとアラトは考え、慌てて口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!何なんだよお前!いきなり現れて一緒に来てくださいなんて……。パラシアって何だよ!?何で俺が行かなくちゃいけないんだ!?」
その様子を見、ミスティは指揮棒――タクトを振るのを止めた。
そして、アラトのことをまっすぐ見つめると口を開く。
「アラト君。君には強く大きな、そして決して叶えることのできない願いがあります」
「…………なっ!?」
アラトは思わず口をつぐむ。
自分の願い……。それをミスティが知っているようだから。
「――その願いを叶えてみたい……できるなら叶えたい、と思っていますよね?」
「………………」
言葉がでない。ただ俯いて黙り込むだけ。
彼女、ミスティに心の内側をすべて見破られているような。
そんな口ぶりにどうにも受け入れがたい気分になってくる。
「私と一緒に……。パラシアに一緒に来てくれれば、叶えることができますよ」
「…………えっ!?」
アラトが驚くのを見てミスティはそのまま言葉を紡いでいく。
「アラト君。君にはパラシアに来れる資格があるんです。その胸の内の願いを叶えませんか?」
「…………」
すぐには頷けない。
訳もわからない謎の少女の言葉が嘘のようには思えない。
確かに、アラトの心にはある願いが常に、深く刻み込まれていた。
――――幼馴染み、春の蘇生。
それがアラトの願い。
決して叶うことのない夢。
それが今、叶うと言われているのだ。
しばらく沈黙が続き、やがてアラトがそれを破った。
「俺は何をすればいい?ただ俺がそこに行くだけで願いが叶うのか?」
「……ごめんなさい。それについてはここでは説明できないの」
「……なんでだよ?」
「もし方法を知って、もしそれが危険なことだったらついてきてくれないでしょう?そうなったら困るから言えないんです」
「……つまり、その方法って危険なことって訳だな?」
「はわ!どっどうしてわかったんですか!?」
こいつバカだ……。と、心のなかで呟きながらアラトは小さく笑った。
「本当にその方法で願いが叶うんだな?」
慌てふためいているミスティに向かってアラトは問う。
最後の確認として。
「えっ?あ、はい。きっとどんな願いでも」
そのミスティの答えを聞いてアラトは目を瞑る。
(……春)
心の中だけにいる幼馴染み。
彼女が生きている世界。それをどれ程望んだのかわからない。
(ごめん。俺にはやっぱりお前が必要みたいだ)
「……行くよ」
「え?」
「お前に、ついて行く」
「ほっ、本当ですか!?」
ただ、今だけは……。
この願いを叶えてみたい。
そう思うの、許してくれよ?春。