そうでなければ起こりそうもない出来事。
体育館の片隅でぼんやり座っている私をよそに、クラスメイトたちはプールで楽しそうに水をかけ合ってはしゃいでいる。
私? 別に楽しくなんてない。
九月の暖かい空気が肌に心地よいのは確かだけど、授業そのものは相変わらず退屈だ。気づけば意識はふわふわと漂い、想像の世界へと逃げ込んでいた。
水面に反射する光、クラスメイトたちの表情が作り出す雰囲気……完璧な一枚を切り取るための条件を、頭の中で勝手に組み立てていく。
そのとき、視界に“フレーム破壊要因”が映り込んだ。
さっき私の視界を塞いだ、あの山田くんである。思わず顔がしかめっ面になる。
「……だめだ、これじゃ使えない」
誰にも聞こえないように小さくつぶやいた、その瞬間。
「まこ〜〜〜!」
遠くから私の名前を呼ぶ声がした。
意識が現実に引き戻される。声の主は、私の“自称”親友、鈴木結衣。
「まこーーーっ!」
さっきよりも大きい。うるさい。
「……なに、鈴木」
わざと感情を殺した声で返す。が、
「おいでよ、プール入ろうってば!」
彼女のテンションは相変わらず天井知らずだ。
私は首を横に振る。百回くらい振る。
本当は泳ぐのが嫌いなわけじゃない。八歳の頃までは大好きだった。
でも今は違う。あの、女子の体ばかりジロジロ見る豚みたいな男子どものせいで、泳ぐのが心底嫌になった。
鈴木がじーっと私を睨む。こわ。
と思った瞬間、背後から影が近づいてきて——
ふわっ。
体が浮いた。
空が、やけにきれいに見えた。
次の瞬間、私はプールに投げ込まれていた。
——ばしゃん!
水面から顔を出すと、鈴木が満足げにニヤニヤしていた。
「……ば、ばか」
小声でつぶやく。
そんな私の心の中の大荒れとは裏腹に、鈴木はぷかぷか近づいてきて、
「最初から入ればよかったのに、まーちゃん」
その子供みたいな口調と表情。
“まーちゃん”。小学生の頃から呼ばれているあだ名だ。嫌いじゃないけど、公の場ではやめてほしい。
彼女は私が立ち上げた写真部の部員でもある。地味な部活だけど、意外と人はいる。六人。うち二人は幽霊部員だけど。
「ほらほら、もうすぐ授業終わるよ! 部活の準備しなきゃ!」
「じゃあなんで投げたのよ……」
言いかけてやめた。
「……もういい。着替えてくる」
「そんな怒らないでよ〜」
「別に怒ってない。ただ、余計な手間が増えただけ」
そう言いながら更衣室へ向かい、急いで着替えた。
その後、鈴木と一緒に校舎の東棟にある部室へ向かう。遠いから毎回面倒だけど、部長として、そして写真好きとして行かないわけにはいかない。
部室に着くと、なぜか妙なざわつきがあった。
いつものメンバーは揃っている。
書記の山田壮太。オタク。さっきの“視界の邪魔者”。
……まあ、あれは冗談だけど。
次に会計の小路晴樹。山田の親友で、彼よりはずっとまとも。
そして部員の綾芽のどか。控えめだけど、誰よりも貢献してくれる子だ。
そののどかが、珍しくそわそわしていた。
「わ、私……その……人を一人、誘ってみたの……」
「も、もえぇぇぇ!!」
隅の二人のバカが騒ぐ。
「うるさい!」
怒鳴ろうとしたそのとき——
コン、コン。
部室の扉がノックされた。
静まり返る部室。私がそっと扉を開けると——
そこに立っていたのは、藤野恒生。
中学時代のサッカー部のエースで、今も学校でトップクラスの人気を誇る男子。
「えっと……ここ、演劇部で合ってる?」
誰も返事ができない。
私たちはただ、のどかを見て、藤野を見て、またのどかを見て、藤野を見て——
のどか
藤野
のどか
藤野
のどか
藤野
延々と繰り返す。
あの控えめで人見知りののどかが、藤野恒生と同じ空間にいる。
それどころか、彼を部室に連れてきた。
……これは、もはや事件だ。
第一章 終了




