婚約破棄
「お前とはやっていけない!婚約破棄だ!」
目の前で婚約者が叫ぶ。いや、もう婚約者だった、が正しくなってしまったけれど。
彼の隣では、美しく着飾ったご令嬢が瞳を潤ませて彼を見つめている。確か、男爵家のカミラ様だったかな?
それにしても、こんなに人の多い夜会で見せしめのように婚約破棄を告げるなんて、彼は本当に次期伯爵としての教育を受けていらっしゃるの?あまり女性に恥をかかせるような真似はしないで貰いたいのだけど。
「お前がカミラを陰で虐めているのは皆知っている。人気のないところに呼び出して大人数で詰めたり、池に突き落としたり、彼女の物を壊したり……」
……特にしていないけれど。そもそも、私とカミラ様はそこまで関わりはないはずだ。学園でも、私は基本一人で過ごしていますし。どこからそんな話が生えてきたんでしょう。
「その話はどこから?」
「カミラから聞いたに決まっているだろう。彼女が涙ながらに訴えて来たのだ!あぁ、可哀想なカミラ……。もう大丈夫だからな、これからは俺が守ってやるから」
「ロッキーさま……。ありがとうございます、もうカミラ、怖くて……」
あぁほら、周りの貴族たちが皆、私たちに注目している。会話の内容は聴こえないけれど、皆ひそひそと何か言っているのは分かる。
先程までの賑やかな喧騒はどこへいってしまったの?今では流れる音楽しか聴こえない。……演奏をしている音楽家たち、彼らは流石のプロです。
「……分かりましたわ」
私は彼に向かってそう告げた。もともと政略的に婚約を結ばされただけであって、別に彼のことは好きでも何でもありませんし。早くこの空間から出ていってしまいたい。
周りの喧騒が一気に戻ってくる。もはやひそひそどころの騒ぎではない。
「お話はそれだけ?では、私はもう帰らせていただきます。侯爵に、この事を伝えなくてはいけませんから」
身を翻して、会場から足早に出ていくことにした。ヒールを鳴らしながら、出入り口に向かって一直線に歩く。
あぁ、勘違いだとしても怖がらせてしまったのなら申し訳ない。女性を怖がらせるなんて、最低だわ。
どうしていつもこうなんだろう?私は、ただ女性たちを愛しているだけなのに!
「お嬢様?お早いですね」
表に止めてあった馬車に近寄ると、驚いたように御者が煙草を地面に落とした。最近入ったばかりの、若い御者だ。
せっかく休憩していたのに、また働かせるなんて。そう思わないでもないけど、彼は馬車を走らせるのが仕事なんだから。
「家に帰ります。馬車を出してくださいな」
「ハイハイ、分かりました。……煙草吸い終わってからでもいいですか?」
「ハァ、早くしなさいな」
御者は新しい煙草を箱から取り出し、指先から炎を出して火をつけた。
煙草って美味しいのかしら。それとも、何かメリットでもあるのかしら。
「ねえ、それって楽しいの?」
待っている間は暇なので、御者に話しかける。御者は首を振って、灰を地面に落とした。
「お嬢様が女の人を見て楽しんでいるのと一緒ですよ。特に何ももたらさないけど、ただやっているだけです」
「まあ、それと一緒にしないで頂戴。私のは心が満たされるのよ」
「じゃあ違いますね。……何かありましたか?」
何もないわよ、と首を横に振り、馬車の後ろに乗り込んだ。柔らかいクッションが私の体を受け止める。
自分では分からなかったけど、かなり疲れていたらしい。座った瞬間、足がじんじんと痺れてきた。
「それじゃあ、出しますよ」
御者の声が聞こえて、少ししたあとにゆっくりと馬車は動き出した。ガタガタと揺れる馬車の中で、ぼんやりと先程の婚約破棄のことを考える。……いえ、ロッキー様とカミラ様のことかしら。
もともと、私とロッキー様が婚約したのは今から四年前。私が十二歳で彼が十四歳の頃だ。
出会った頃から彼は高圧的だった。家柄的には私の方が上なのに、何故そんな態度だったのかは分からない。
私たちを引き合わせた仲人も焦っていた。もともと、女性を軽視するような方だったんでしょう。
カミラ様にはそんな対応をしていないことを祈るばかり。女性の笑顔を曇らせるような方は、絶対に良くない方だから。
そんなことを考えているうちに、家へ辿り着いた。
誰かに迎えられる前に走って部屋に飛び込む。すれ違った侍女にとても驚かれたが、気にしない。
「自由だ〜〜!!」
ベッドに飛び込んで、ゴロゴロと転がる。この年頃の令嬢にとって婚約者がいないのは致命的だと思うが、そんなことはどうでもいい!
家に帰った途端、そんな気持ちが湧き出てきた。もう男性のために何か考える必要はないのだ。やったー!
そんなふうに喜びを噛み締めていると、コンコンとドアがノックされた。
「イリューシア、いるか?」
お父様の声だ。どうやら侍女か誰かが知らせたらしい。それか、私が部屋へ駆け込むのを見たのか。時間差的に前者だろう。
「いますよ、どうかしたの?」
ドアを開けて、お父様を招き入れる。付け忘れていた明かりを付けて、お父様に椅子を進めた。その正面の椅子に座り、口を開く。
「それで、どうかしたの、お父様」
「いや、イリューシアが夜会に行って早く帰ってくるのは珍しいだろう。それに、侍女たちからお前が慌てて部屋に飛び込んでいったと聞いたぞ。大丈夫なのか?」
どうやら私のことを心配して見に来てくれたようだ。そういえば、お父様に婚約破棄のことを伝えようと早く帰って来たんだった。早くあの場から離れたいのもあったけど、一番の理由はそれだった。
「ただ婚約破棄されただけで特に何もないよ、大丈」「婚約破棄!?」
言い終わる前にお父様の声が重なった。そんなに意外だったの?むしろ、お父様は「いつか婚約破棄くらいされると思っていた」とか言いそうだったのに。
随分と衝撃を受けているようで、そちらのほうが驚きだった。
「ええ、婚約破棄よ。これで晴れて自由の身ね!」
嬉しくって笑いが漏れる私とは対象的に、お父様はどんどん顔を険しくしていく。
聞いたこともないような低い声で、「どちらから婚約破棄を申し出たのだ」と聞かれた。
「勿論、ロッキー様よ。別に、私が婚約破棄をする理由はないじゃない。言われたら受け入れるけれど」
「理由は」
「私がカミラ様を虐めていたのが原因ですって」
「冗談だろう、イリューシア。お前が女性を虐めるなど、ありえない」
そうよねぇ、と頷いていつの間にか侍女が運んできていた紅茶を一口飲む。観察しているだけで、基本的には女性とは関わりが無かった。変な噂のせいで、怖がられてはいけないと人一倍気をつけていたはずなのに。
「……それで、イリューシアは婚約破棄を受け入れるということでいいんだな?」
「ええ、それで結構よ。私、男性と関わるよりも女性と一緒にいたほうが好きだわ」
そうだろうな、とお父様も紅茶を口に運ぶ。
「それでは、後のことはこちらでやっておく。イリューシアはもう休みなさい」
夜会で疲れているだろう、とは言われなかったが、お父様が気を遣ってくれているのは分かる。疲れているのは事実なので、その言葉に甘えることにした。
「ええ、そうするわ。おやすみなさい、お父様」
「おやすみ、イリューシア」
お父様が出ていったあと、ベッドに戻ってもう一度横になる。今度は気持ちも落ち着いていて、明日からの生活に心をやることが出来た。
明日から、学園ではきっと目立ってしまう。あの夜会には、学園の生徒も、その親たちもたくさんいた。やはり、見せしめだったのかしら。
「ま、そんなに変わらないわね」
もともと、学園ではあまり誰かと関わることなく過ごしてきた。さらに遠巻きにされるだろうけど、気にしていてもしょうがない。
「そういえば、明日から転入生がいらっしゃるとか言っていたかしら」
貴族ばかりのあの学園で、唯一と言ってもいい平民の女の子。平民が殆ど持たない魔力を、とても多く宿しているのだとか。
どんな子なんだろう、できれば少しでも関わりが持てればいいんだけれど。難しいかもしれない。
「はぁ、どうしたらいいんだろう……」




