1.
「人の国がこの世に一つきりではないように、妖精の国もまた、世界中にいくつもあるのだよ」
妖精博士のおじさんは、丸眼鏡を指先でちょっと摘まんで目からずらしてコートのポケットから取り出した小瓶を顔の前まで持ち上げ、目をすがめて見たり、また眼鏡をかけ直してから見たりしていました。
ニコラスは早朝の空気に冷えた両手を、綺麗に継ぎの当てられたズボンのポケットに突っ込み、一見空っぽに見えるその瓶の何がそんなに面白いのかと訝しみました。
「これには、妖精を閉じ込めてあってね」
おじさんは、小瓶を胸ポケットに仕舞うと言いました。
「生まれたばかりの人の子を、拐っていく妖精なのだよ」
「そんな悪い妖精がいるのか?」
「この妖精が特別悪いわけじゃない。むしろ、人を拐うのが悪いこととは学んでこなかっただけで、それ以外は心優しい良い妖精なのだ。さっきも言ったように、妖精の国にも色々とある。風習や文化、容姿や身長も人間の国以上に多種多様だ。その中で、弱い妖精の子が生まれると、代わりに元気に生まれた人の子を拐って取り替えてしまうという文化を持つ妖精の国がある」
「やな感じだな。弱くたって、家族じゃないのかよ」
「その通りだと、私も思う。ときに――」
妖精博士は、パン屋の列が流れるのに合わせて一歩進みました。ニコラスも、その後ろに空いた隙間に人が割り込まないうちに二歩大股で進みました。
「――私は、妖精の国へ行かなければならなくなってね。赤子を取り返してくれと頼まれてしまったから」
前列が捌けて、焼きたてのパンを手にしたおじさんはお金を払うと横へ避けます。ニコラスがパンを買っているうちに潜めた声が町の賑わいに紛れて微かに届きました。
「もし私が一週間のうちに帰らなければ、四つ葉のクローバーを探すとよいだろう。君の妹のお守りになるだろうから。それじゃあね」
気がついた時には、妖精博士の姿はどこにも見当たりませんでした。
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