第8話 人間ではない視点
目を開けた瞬間、
俺は「立っていなかった」。
上下も、前後もない。
体があるのかどうかも、はっきりしない。
だが――見えている。
街が、地図のように広がっていた。
いや、地図じゃない。
流れだ。
人の行動、感情、選択。
それらが線になり、束になり、
巨大な螺旋を形作っている。
「……これが、世界か」
声に出したつもりだったが、音はなかった。
代わりに、意味だけが伝わる。
――正確には「運命の流れ」だ。
案内役の声。
だが、もう“外から”聞こえない。
同じ層にいる。
姿を見ると、彼はもはや人型を保っていなかった。
輪郭は曖昧で、
無数の線が重なった影のようだ。
「俺は……どうなった」
――中心の一歩手前だ。
――君は今、世界を支点として見ている。
俺は、ある一点に意識を向けた。
病室。
妹が眠っている。
呼吸、心拍、微かな不安。
それらが数値と重みとして、はっきり分かる。
次に、街の事故現場。
怒り、焦り、恐怖。
それらが絡み合い、
破裂寸前の塊になっている。
理解した。
今まで俺が見ていた「犠牲」は、
ほんの表面だった。
世界は常に崩れかけていて、
誰かが、どこかで、
重さを引き受けていた。
「……お前が、それをやってたのか」
――そうだ。
――そして、限界が来た。
案内役の“存在”が、わずかに揺らぐ。
――君は私よりも深く見ている。
――だから選ばれた。
怒りが湧いた。
「選ばれた?
ふざけるな。
ただ見てしまっただけだろ」
――それが条件だ。
俺は、螺旋の中心を見た。
そこには、
巨大な空洞があった。
何もない。
だが、すべてが引き寄せられている。
――あそこへ行けば、
――君は完全に“機能”になる。
「戻る方法は?」
案内役は、初めて即答しなかった。
――ない。
「じゃあ……俺が拒否したら?」
――世界が、段階的に壊れる。
――まず街、次に国、最後に――
「分かった」
俺は遮った。
「もういい」
自分の“境界”が、薄れていくのを感じる。
感情が消えるのではない。
広がっていく。
「最後に一つだけ教えろ」
案内役に向けて、問いを投げる。
「お前は、後悔しているか」
長い沈黙。
――している。
――だから、君には同じ道を歩ませたくなかった。
俺は、はっきり笑った。
「じゃあさ」
意識を、螺旋の流れ全体に広げる。
「俺は、
違うやり方を選ぶ」
案内役が、初めて動揺した。
――不可能だ。
――中心は、代替を許さない。
「許さなくていい」
俺は、中心ではなく、
螺旋そのものに触れた。
一つずつ、流れをほどく。
犠牲を“集中”させる構造を、
分散させていく。
痛みが走る。
存在が削られる。
だが――
世界の揺れが、止まり始めた。
――やめろ!
――君が壊れる!
「それでいい」
俺の輪郭は、もう曖昧だ。
「誰か一人が背負う設計が、
間違ってたんだ」
螺旋が、形を変え始める。
急な渦ではなく、
緩やかな流れへ。
案内役の存在が、静かに崩れていった。
――君は……
――本当に……
その声は、最後まで届かなかった。
俺は、もう人間ではない。
だが、世界は――
まだ、続いている。




