個性を4倍に
カフェの店内は木の温もりがある内装に、ジャズが静かに流れてる。
「マンネリ化……してると思わない?」
もう一度聞かれ、俺は一瞬返事に詰まった。マンネリ化? どこが?
「えっと……どういうところが?」
そう尋ねると、美月さんは少し考えるように視線を落としてから、俺の顔を見た。
「聞いてる側からは、そう感じない?」
俺は首を傾げながら答えた。
「そうですね。クリクリの曲、どれも最高だと思いますよ」
それは本音だった。昨日のライブも最高で、新曲も良かった。
「うん、アタシもそう思ってる。でも……それって、アタシが好きな曲ばかりなんだよね」
その言葉に、俺は少しだけ悩んでから問い返した。
「それって……悪いことなんですか?」
美月さんはふっと笑って、グラスの中を見つめた。
「アタシにとっては、悪いことじゃないよ?でも、聞いてる人にとっては……」
言葉が途切れた美月さんに、俺は思わず聞き返す。
「……聞いてる人にとっては?」
「なんて言うのかな……もっと新しいものも、欲しくならない?」
その言葉に、俺はようやく美月さんの言いたいことがわかった気がした。
彼女は、自分の“好き”だけじゃなく、誰かの“聴きたい”にも応えたいと思ってる。それって、すごく誠実な姿勢だと思う。俺は、そんな美月さんの考え方が好きだ。
「……美月さんのそういうところ、すごく素敵だと思います」
俺がそう言うと、美月さんは一瞬固まった。
目をぱちぱちと瞬かせて、ストローを持つ手がぴくりと揺れる。
「え、えっ……な、なにそれ……!」
顔がみるみるうちに赤くなっていく。耳まで真っ赤だ。
「ちょ、ちょっと待って……急にそういうの言うの、ずるいってば……!」
ストローを口元に持っていくけど、飲むふりだけで、実際には口をつけてない。完全に動揺してる。
俺はそんな美月さんの様子を見ながら、首をかしげた。
「俺、なんか変なこと言っちゃいました?」
「変じゃないけど! でも! ……もう、マコトちゃんのそういうとこ、ほんと反則……!」
そう言って、テーブルに突っ伏しそうな勢いでうずくまる美月さん。
俺はちょっと笑いながら、クリームソーダをひと口飲んだ。
「いや、だって本当にそう思ったから言っただけで……。ほら、バンドのこと真剣に考えてるし、そういうのってすごいなって」
美月さんは顔を伏せたまま、かすかに肩を震わせてる。笑ってるのか、照れてるのか……よくわからない。
俺は特に深く考えず、続けた。
「俺にも手伝えることあったら言ってくださいね。美月さんが言うなら、きっと正しいと思うし」
美月さんは急に顔を上げて、目を輝かせながらこちらを見た。
「ちなみに、曲は誰が作ってるんですか?」
俺は自分に出来ることがあれば、手伝いたいと思った。
「アタシが歌いたいメロディを作って、歌詞のせてみんなの前で披露するでしょ。それからみんなで曲にしていく感じかな?」
なるほど。中心にいるのはやっぱり美月さんなんだ。
「歌詞も美月さんが?」
「そうだね」
「編曲する時に、大きく変更とかありますか?」
「演奏方法はいろいろ話し合うけど、だいたいアタシの好きな感じになるよ?」
美月さんはさらりと言ったけど、バンドの方向性を引っ張ってるのは彼女なんだなと改めて思う。
「わかりました」
そう言ってから、俺は少し考えた。
「少し難しくなるかもしれませんけど……歌詞から作ってみるっていうのはどうですか?」
美月さんはグラスを置いて、首をかしげた。
「うーん、歌詞からか……」
俺は続ける。
「いや、美月さん以外のメンバーに作詞してもらうんです」
「え?」
「その詩を見ながら作曲を進めていくなら、個性は4倍になりませんか?」
美月さんは目をぱちくりさせて、そしてぱっと表情が明るくなった。
「え? なにそれ、面白そう!」
その笑顔に、俺はちょっとだけ安心した。俺の提案が的外れじゃなかったみたいだ。
「みんなの言葉から曲が生まれたら、聴く人にももっと届くかもしれませんし」
「うん……それ、やってみたいかも」
美月さんがスマホを取り出した。
何気ない仕草なのに、どこか“始まるぞ”って空気が漂ってる。俺はなんとなく身構える。
「リョウくん。ヒマ?」
第一声から軽い。というか、距離感が近い。
「え?バイト?何時に終わんの?」
「8時ね、おケー。カンナんちに集合ね」
おケーって何。そんな軽快に集合決めるんですね…。
俺、まだ何も聞いてないんだけど…。
電話が終わると、すぐさま次の発信。
「ケイタ?やほー。今日カンナんちに集合なんだけど、大丈夫?」
「リョウくん8時くらいになるんだって」
「わかった。急にごめんね」
ケイタさんにはちょっと柔らかめの声。あれ?リョウさんの方が年上だったような…?
いや、そういうの気にするの俺だけか?
そして三度目の発信。もう誰にかけるかは予想できる。
「カンナ?美月ー。今から行くけどいい?」
「わかった、マコトちゃんも一緒だからね」
「…何でって、まあいいじゃん。今から行くねー」
……また“マコトちゃん”って呼ばれた。
もう慣れたけど、毎回ちょっとだけ心の中で「おぉ…」ってなるのは何なんだろう。
そして俺の予定も、今決まったらしい。まあ、行きますけど。
美月さんの電話をしている様子を見守るだけだった。
バンドメンバーを次々と呼び出していく様子は、ちょっとした司令官みたいで。
俺はただ、横で「へぇ…」ってなってるだけの人だった。
「じゃあ行こう!」
そう言って、勢いよく店を出る美月さん。
俺は慌てて会計を済ませて、その背中を追いかける。
電車に揺られながら、どうしても気になってしまって、思い切って聞いてみた。
「もしかして、俺も参加するんですか?」
美月さんは、ぱちりと目を瞬かせて俺を見上げる。
「え?何か用事あった?」
その表情は、ほんの少し不安そうで。
そんな顔されたら、「いや、別に…」って言うしかないじゃん。
「いや、大丈夫ですよ。でも、バンドのミーティングなんじゃ…?」
俺がそう言うと、美月さんはふっと口元をゆるめて、ちょっと意地悪そうな笑顔を見せた。
「手伝ってくれるって言ったじゃん?」
……ああ、そうだった。言った気がする。
でもそれ、急だな…まさかミーティングに参加するなんて。
いや、もういい。この笑顔には勝てない。
電車の窓に映る俺の顔は、たぶんちょっとだけ照れてる。
美月さんはそんな俺の様子なんて気にせず、楽しそうにスマホをいじっていた。
美月さんに連れられて、水橋の家に到着した。
まず目に入ったのは、オシャレすぎる四角形の建物。高い。でかい。なんか…未来感ある。
横には電動シャッター付きのガレージ。しかも4台は停められそう。
え、ここって本当に“家”なの?
立派すぎる玄関の前で、インターホンを押すと、すぐに水橋環奈が出てきた。
「早かったですね」
「急いで来たからね、何か飲みたい」
美月さんがそう言うと、水橋はすっと家の中へ案内してくれた。
「今日はミーティングなので私の部屋でいいですか?」
「いいよ」
美月さんが軽く返事すると、俺たちはそのまま3階へ。
……3階?部屋に行くのに階段じゃなくて、エレベーター?
俺、家の中にエレベーターがあるの初めて見たんだけど。なんかもう、すごすぎて笑えてくる。
そして通された水橋の部屋は、もはや“部屋”の概念を超えていた。
広い。ソファがある。冷蔵庫もある。応接間か?ここ応接間だよね?
俺の部屋なんて、ベッド置いたらほぼ終わりなのに。
ソファに腰を下ろすと、水橋が冷蔵庫から飲み物を出してくれた。
「リョウくん8時くらいになるって」
「バイトですか?じゃあ晩御飯はうちで食べますか?」
「いいの?お願い」
……え、美月さん、晩御飯までいただく流れなの?
ってことは、俺も?俺も食べるの?いや、ありがたいけど、心の準備が…。
そんなことを考えていたら、水橋がふと俺の方を見て言った。
「で、須藤君はなんでここに来たんですか?」
えっ、今!?
俺の存在、ちょっとだけ“ついで”感あるのは気のせい…じゃない気がする。
「マコトちゃんはアドバイザーなんだよ」
美月さんが、いきなり俺に肩書きを与えた。
え、アドバイザー?俺が?今、初めて聞いたんですけど。
「アドバイザー…ですか?」
水橋が聞き返す。眉を少し寄せて、困惑気味だ。
「そう。これからクリクリの個性を4倍にする方法を考えていくの」
個性を4倍か、そのまま伝えるとやけに大きな話に聞こえるな…。
「個性を4倍…ですか?」
水橋は理解が追いつかないという顔で、言葉を反芻する。
「私の作曲ばかりだと、マンネリ化しちゃうでしょ?」
美月さんがそう言うと、水橋がすぐに声を張った。
「美月さんの曲は最高です!」
その言葉には、少し熱がこもっていた。
俺もそう思う。でも、たぶん美月さんの言いたいことは、そこじゃない。
「いや、そうじゃなくてね…」
美月さんは苦笑いしながら、水橋の視線を受け止める。
「須藤君に何か言われたんですか?」
水橋の声が少しだけ鋭くなる。あ、ちょっと誤解されてる。
「違う違う、アタシが相談したんだよ」
「え、何で…」
水橋の顔が曇る。不安そうな目が美月さんを見つめていた。
「そろそろ、外部の声も欲しいと思ってね」
外部の声。つまり俺のことか。いや、たしかにメンバーじゃないけど、急にそんな大役を…。
「でも、個性を4倍だなんて…」
水橋はまだ納得できない様子で、言葉を探している。
「ああ、それは本当にそうなるかは別なんだよ?」
美月さんが、なだめるように笑う。
その笑顔は、無茶を言ってるのに、どこか説得力がある。
「私は今のままでもいいと思います」
水橋の声は静かだけど、強かった。
でもそのあと、美月さんはふっと目を細めて言った。
「アタシも別に不満はないよ。でも、もっとできる気がするんだ」
「もっと?」
「うん。このメンバーなら、もっと楽しいことできる気がする」
その言葉に、水橋は少しだけ目を伏せた。
俺はただ、二人のやりとりを黙って見ていた。
なんだろう、この空気。真剣だけど、どこかあたたかい。
「だから、一度みんなで話し合ってみようよ?」
「…わかりました」
伏せていた顔を上げて、水橋がそう答えたとき、
俺の中でも何かが動いた気がした。
アドバイザーって、俺には大げさな肩書きだけど。
でも、ここにいていいんだって、少しだけ思えた。




