いつかこんな風に
「さあ、打ち上げだー!」
『MACS』でのラストライブを終えて外に出た瞬間、クロさんがいつもの調子で叫んだ。
「打ち上げって、どこでやるんですか?」
鈴木さんが尋ねると、松崎さんが短く答える。
「いいとこだよ」
「俺は清算してから酒買って帰るから、先に行っててくれ」
そう言い残してヒトシさんはライブハウスへ戻っていき、俺たちは打ち上げ会場へ向かった。
「ここ……めちゃくちゃ高そうなホテルなんですけど」
「いいから、いいから」
俺と青山さん、鈴木さんは、場違い感に肩をすぼめながら二人の後をついていく。
「鍵は?」
「ああ、ヒトシから預かってるよ」
カードキーを通し、さらに上の階へ。
エレベーターが止まったのは最上階だった。
「ほら、着いたぞ」
クロさんがドアを開けると、広すぎる部屋が俺たちを迎えた。
「いや、これ……いくらかかってるんですか」
「金のことはいいんだよ。ここはスポンサーが出してるから」
スポンサー? そんな話、聞いたことないんだけど。
「さあ、入ろうぜ」
部屋の中はため息が出るほど豪華で、家具ひとつひとつが高級品に見える。
ソファに腰を下ろしても落ち着かないのは、青山さんも鈴木さんも同じらしい。
「ここで、やるんですか?」
「そうだよ」
クロさんはいつも通りの笑顔なのに、逆にそれが不気味に思えてくる。
「タバコ吸ってくる」
「あ、俺も。じゃあ適当にルームサービスとっといてよ」
そう言って二人は部屋を出ていった。
「マコトくん、これ……」
青山さんがメニューを手に、ぎこちない動作でこちらを向く。
「値段が……書いていないわ」
全てが予想外すぎて、ただあたふたしていると――
部屋のドアが開く音がした。
クロさんたちが戻ってきたのだと思い、思わず出迎えに向かう。
「クロさん、本当に何を頼んでもいいん……」
言いかけたところで、言葉が喉に貼りついた。
入ってきたのはクロさんでもヒトシさんでもない。
小柄な女性だった。
帽子にサングラス。
それでも、整った顔立ちなのは一瞬で分かる。
後ろからついてきた青山さんが、小さく悲鳴を漏らした。
「せ、せ……」
腰が抜けたようにその場に崩れ落ち、震える指で彼女を指さす。
言葉になっていないが、何を言いたいのかは分かる。
女性が帽子を取り、サングラスを外した。
そこにあったのは――
博多駅のサイネージで見た、あの顔。
『SERINA』が立っていた。
「アンタたち、誰よ?」
「え、俺たちですか?」
「そうよ。他の誰かに聞いたように見える?」
『SERINA』が、わずかに睨むような目つきでこちらを見上げてくる。
「怪しいものではありません!」
鈴木さん、それは怪しい人が言うセリフだ……。
「何よ急に。余計に怪しいじゃない」
ですよね、と心の中で土下座したくなる。
その時、再びドアが開き、クロさんたちが戻ってきた。
「クロ! 久しぶりね」
『SERINA』がぱっと表情を明るくしてクロさんに駆け寄る。
「おお、本ちゃん来てたんだ」
本ちゃん?
この人が……?
「みんな紹介するね。ヒトシの彼女の本ちゃんだ」
固まる俺たち。
松崎さんは肩を震わせて笑いを堪えている。
「本ちゃん、みんなに挨拶したの?」
「まだよ。だって知らない人ばかりじゃない」
「ああ、そうか。悪かったね」
クロさんが優しく笑うと、『SERINA』――いや、本田瀬里奈さんがこちらを向いた。
「じゃあ、アンタたちが『MACS』の人たちね?」
俺たちが揃って頷くと、瀬里奈さんはふわりと笑った。
「私は本田瀬里奈。はじめまして」
「いや……待って」
青山さんが、理解の処理が追いついていない顔で呟く。
「じゃあヒトシさんの彼女って……『SERINA』?」
「そうよ? 聞いてなかったの?」
瀬里奈さんが不思議そうに首をかしげる。
その後ろで、クロさんたちが気まずそうに頭をかいていた。
「クロのそういうとこ、昔から変わらないわね。教えない方が面白いと思ったんでしょ?」
瀬里奈さんがため息まじりに言う。
「いやぁ、ごめんね」
クロさんは悪びれもせず笑っている。
いや、俺たちに謝ってほしい……。
「あれ、何も頼まなかったの?」
ルームサービスのメニューを覗き込みながら、クロさんが不思議そうに言った。
「頼まなかったんじゃなくて、頼めなかったんです!」
青山さんが半泣きで訴えると、瀬里奈さんがすっとクロさんの手からメニューを奪った。
「じゃあ、私が適当に頼んでおいてあげるわ」
そう言って青山さんにウインクする。
青山さんは声にならない声を漏らし、胸の前で手を握りしめて感動していた。
「これは、人が悪すぎますよ?」
俺がぼそっと言うと、クロさんが肩をすくめる。
「いや、彼女って人気者だからさ。事前に情報を流すのは……ね」
「なるほど……」
感心している俺の横で、松崎さんが肩を震わせて笑っている。
「違うよ、クロは楽しんでるだけ」
「松崎くん? バラしちゃダメだよ」
二人で楽しそうに笑っている。やってろ。
「クロ! ライブのビデオあるんでしょ?」
瀬里奈さんが声を弾ませると、クロさんが鞄からDVDを取り出した。
それを奪うように受け取ると、瀬里奈さんはすぐにプレイヤーへ向かい、再生ボタンを押す。
「あ、あなたがマコトくんなのね」
ギターを構える俺が映ると、瀬里奈さんがぽつりと呟いた。
「いい音ね。この場を盛り上げたいって気持ちが、そのまま出てる音」
確かに、いつもそれを気にしているから……。
「バッキングのセンスが異常ね、日本でこんな音聞いたことないわ」
そう言ったあと、瀬里奈さんは静かになった。
二曲目のMCが始まる。
「次の曲は――」
瀬里奈さんの横顔が、さっきまでとは違う。
真剣で、どこか祈るような表情。
「今日は俺のわがままでやらせてもらうんだ。聞いてくれるか?」
モニターの中のヒトシさんを、瀬里奈さんの大きな瞳がじっと見つめている。
「『Rain』」
曲名が告げられた瞬間、瀬里奈さんの目から涙がこぼれ落ちた。
「何だよ、もう見てんのか?」
『Rain』が終わる頃、背後からヒトシさんの声がした。
「仁志!」
瀬里奈さんは弾かれたように立ち上がり、ヒトシさんに飛びついた。
「約束、守ってくれたね」
「ああ。約束だからな」
ヒトシさんは優しく彼女を抱きしめる。
「羨ましい……」
俺の隣で、青山さんが小さく呟いた。
その声には、ほんの少しだけ本気の嫉妬が混じっていた。
ルームサービスが届くと同時に、ゆるく打ち上げが始まった。
青山さんが二人の馴れ初めを聞こうとしたものの、当の本人たちは照れているのか、なかなか口を開こうとしない。
けれど、お酒が進むにつれて、徐々に瀬里奈さんの口が軽くなっていった。
「出会ったのは八年前。私が十四歳で、はじめて日本に来た時ね」
はじめて日本に……か。俺には想像もつかない感覚だ。
「迷って困ってたら、仁志が『困ってんのか?』って声かけてくれて」
「危ないですよ? 知らない人についていっちゃ」
青山さんもすっかり緊張が抜けて、いつもの調子に戻っている。
「最初は驚いたけど……後ろでクロが笑ってるの見て、大丈夫だって思ったのよ」
「その頃から一緒にいたんすね……」
思わず漏らした俺の言葉に、クロさんが照れくさそうに笑って応えた。
その後、ヒトシさんが大学でアメリカ留学した時に瀬里奈さんと再会し、そこから付き合い始めたらしい。
「へぇ、そういえば“約束”って何ですかぁ?」
青山さん、けっこう飲んでるな。普段なら絶対踏み込まないところまで行ってる。
「そ、それは秘密……」
瀬里奈さんが頬を赤くして俯く。その仕草に、青山さんがキュン死しそうな顔をしていた。
「それよりも!なんでマコトくんは『MACS』辞めるのよ」
「いや、それは……」
俺の肩にそっと手を置いたヒトシさんの目が、“話していい”と告げていた。
俺はこれまでの流れを説明した。
美月さんと出会ったこと、『Critical Clinical』の手伝いをしていたこと。
そこで知った美月さんの家のことや、泉谷のこと。
そして、今度の文化祭の話も。
誰かに聞いてほしかったのかもしれない。しかも相手は大物アーティストだ。
あとは少しでも励ましてくれれば……そんな気持ちになっていた。
「マコトくん、あなた馬鹿ね」
「え?」
驚いたが、瀬里奈さんは馬鹿にするような表情ではなかった。
むしろ、何かを伝えようとしている目だった。
「名家っていっても、娘の未来に“嫁にやる”くらいのビジョンしかないんでしょ?」
「いや、それは……」
そうかもしれない。けれど“大きな家を守るため”なら……。
「そんな能無しなんて、気にする必要はないわ」
「能無し……」
大きな家を守る?
だからなんだ。
そんな理由で美月さんを泣かせていいのか。
「いい? 娘が世間での評価を爆上げすれば、そいつらなんて簡単にのぼせ上がるわよ」
「それは……そうかもしれません」
瀬里奈さんはニッコリと笑って頷いた。
「しかし泉谷は音楽業界にも顔が広いらしく……」
「ああ、そんなの気にすることないわ」
なんだろう。この人に言われると、本当に気にしなくていい気がしてくる。
「マコトくん、あなたはもうわかっているはずよ。どうすれば美月さんを“名家のおやじどもがのぼせ上がるくらいのミュージシャン”にできるか」
「……確かに」
「そうでしょ? あなたもうやったじゃない。『Critical Clinical』の文化祭出演を“民意”で勝ち取ったんでしょ?」
文化祭の学校サイト。
リアクション数は、ほぼ全校生徒だった。
「有名なミュージシャンでも、全校生徒はリアクションしない」
「そうね、私が出るなら全員リアクションするでしょうけど」
そう言って笑う瀬里奈さんの顔は、自信に満ちていた。
ヒトシさんが、そうしたように。
俺も美月さんを、いつかこんなふうに笑わせてあげたい。
そして、美月さんの隣でギターを弾いていたい。
そう思った。




