響く言葉
辺りが薄暗くなりはじめた頃、名古屋のライブハウス『HEAT』は、開演を待つ客たちのざわめきで満ちていた。
『Kissbite』のメンバーが姿を見せた瞬間、空気が一段熱を帯びる。ステージに立ってもなお、興奮のざわめきは収まらない。
ヴォーカルの凛さんがマイクを手に取り、ゆっくりとスピーカーへ近づけた。
キィィン、と鋭いハウリングが響き、会場の視線が一斉に彼女へ吸い寄せられる。
「みんな、こっち向いたね。――じゃあ、はじめちゃうよ!」
歓声が爆ぜ、ハイハットがカウントを刻む。
その合図とともに、『Kissbite』の音が会場を揺らした。
ギターは芯のある抜けの良い音で、速弾きのフレーズも正確でキレがある。
女性だけの編成だということを忘れさせるほどのパワーと攻撃性。
凛さんのヴォーカルも負けていなくて、突き抜ける声が気持ちよく耳に刺さった。
レベルの高い演奏を浴びながら、ふと思う。
――やっぱり美月さんは……『Critical Clinical』は本当にすごいバンドなんだ、と。
ライブが終わり、控室へ戻ろうとしたところで、凛さんに呼び止められた。
「マコトくん、ちょっといいよね?」
「はい、何ですか?」
凛さんはくるりと後ろを向き、少し離れた場所にいたメンバーへ手招きした。
「ほら泉、話したいって言っとったじゃんね?」
「いや、言ったけどさぁ……恥ずかしいじゃんね」
『Kissbite』のギター、泉さんが頬を赤くしながら近づいてくる。
ステージ上の鋭さとはまるで違う、可愛らしい仕草だった。
「バッキング、めっちゃカッコよかったで。音も耳に入りやすくて、すごい良かったわ」
確かに、横浜で言われたことを自分のものにしようと意識して弾いていた。音として伝わったことを嬉しく感じていた。
「泉さんもパワーがあって……速弾きも一音一音きれいに聞こえて、すごくカッコよかったです」
そう返すと、泉さんは視線を落とし、さらに頬を染めた。
「それに……めっちゃカッコよかったもんでさ」
小さくこぼしたその言葉を、凛さんがニヤニヤしながら見守っている。
「あ、あのさ……来年も『MACS』って全国ツアーやるんかなぁ?」
真っすぐな目で聞かれて、どう答えるべきか迷っていると――。
「マコトはこのツアーで卒業するんだ。『MACS』はツアーやるかも知れないけどな」
ヒトシさんが代わりに答えた。
「そ、そうかぁ……」
泉さんは肩を落とし、寂しそうに目を伏せる。
その肩に、ヒトシさんがぽんと手を置いた。
「ま、飯でも食いに行こうぜ」
「さんせーい!」
凛さんが元気よく手を挙げ、空気が一気に明るくなる。
そのまま俺たちは、凛さんおすすめの店へと向かった。
翌日、車に乗り込むと、助手席のヒトシさんがすでにテンション高めだった。
「さあ、次は関西だな! たこ焼き食べるぞ!」
「お好み焼きもな」
運転席のクロさんが淡々と返し、車は名古屋を離れていく。
大阪までは思ったよりも早く着いた気がした。
……いや、ツアーで距離感がバグってきただけかもしれない。
ホテルに車を預けると、ヒトシさんの案内でたこ焼きを食べに向かった。
「あれ、ヒトシおるやん」
店に入るなり、店員さんが声をかけてくる。
「はやっ。めっちゃやる気やんけ」
「ちげーよ、たこ焼き食いに来たんだ」
「またかい。どんだけ好きやねん」
漫才みたいな掛け合いに、思わず笑ってしまう。
「ほら、お前の友だち置いていかれてるやん」
「いいから、たこ焼きくれよ」
「ええんかい? どれにすんねん」
「ねぎマヨスペシャル。タコマシマシで」
「おっけ、タコこうやって一匹分……って、入らへんわ!」
「誰も一匹入れろなんて言ってないだろ?」
「せやな。タコマシマシもやってないけどな」
俺たちが吹き出すと、店員さんも嬉しそうに笑った。
「明日は頼むで! 『臨海衝突』の霧島や」
『臨海衝突』――大阪でも人気のパンクバンドだ。
中でも霧島さんのパフォーマンスは圧倒的で、熱狂的なファンが多い。
大阪、神戸のライブを駆け抜け、俺たちは次の街・広島へ向かった。
「さて、残り二か所だな。どこでやったのが良かった?」
移動中、突然ヒトシさんが振ってきた。
「俺は神戸ですね。お客さんとの距離も近くて、やりやすかったです」
そう答えると、クロさんが頷きながら続けた。
「演奏面で言うと、仙台が良かったかな。一番整ってた気がする」
「そうですね、それはわかります」
青山さんも同意する。
そのまま、演奏の反省や次の広島でどう詰めるかを話し合っていった。
「で? ヒトシはどうだった?」
クロさんが振ると、ヒトシさんは一瞬固まった。
「え、いや俺は……。神戸のもっこすがうまかったな」
「いや食べ物のことじゃなくて」
ツッコもうとした瞬間、クロさんが俺の肩に手を置いた。
「ヒトシは福岡のことで頭がいっぱいなんだよ」
「ばか、ちげーよ」
そっぽを向くヒトシさん。
その横顔を見て、松崎さんとクロさんがニヤニヤしている。
車内に流れる、からかい半分のあたたかい空気。
ツアー終盤の疲れの中でも、こういう時間が妙に心地よかった。
広島でのライブを無事に終え、ホテルへ戻った。
スマホが震えたので画面を見ると、美月さんからの着信だった。
「やほー、マコトちゃん」
「美月さん、どうしたんですか?」
なんとなく照れくさくて、ヒトシさんたちに聞かれないよう部屋の隅まで移動する。
「あとは福岡だけだね。どうだった?」
「いろんな刺激があって、勉強になってますよ」
「そか、その……」
「どうしたんですか?」
「か、かわいい子に言い寄られ……たりしてないかな?」
茶化してるんだろうか? 冗談めかしているようで、スピーカー越しに伝わる吐息には微かに熱が混じっていた。
「いや、そんなことないですよ」
二人でわざとらしく笑い合う。
その軽さが、逆に胸の奥をくすぐった。
「まあ、マコトちゃんなら心配ないね。福岡、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
通話を切った直後、またスマホが震えた。
「環奈? どうしたの?」
「い、いえ。明後日、頑張ってくださいと言おうと……」
「ああ、ありがとう」
少し沈黙が落ちる。
気になって声をかけた。
「環奈?」
「い、いえっ。その……女性に言い寄られたり……」
「ははっ、環奈までそんなこと聞くんだな」
「えっ、環奈まで……とは?」
環奈の声色が、ほんの少しだけ変わった気がした。
「いや、美月さんにもさっき聞かれたから」
「美月さんも……そう、ですか」
瞬間、環奈の声が一気に凍りついたように温度を失った気がした。
「環奈?」
「い、いえ。福岡、頑張ってください」
「うん」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が切れ、静けさが戻る。
俺はスマホを置き、ゆっくりとベッドへ戻った。
福岡に入ると、ライブハウス『image』のある博多駅周辺のホテルへ向かった。
到着したのは昼過ぎ。荷物を置くなり、「とりあえず飯行くか」という流れになる。
「博多駅に来るのは初めてです」
「そうか、何が食いた……」
ヒトシさんの言葉が途中で止まった。
視線の先を追うと、柱ごとに並んだデジタルサイネージが目に入る。
『SERINA』の福岡ドームライブを告知する映像が、鮮やかにループしていた。
俺は、いつかそこに美月さんの顔が映される。
そんな未来のために進んでいこうと思った。
「『SERINA』かわいいですよね! 銀髪もすごく似合ってて」
「お、おう。そうだな……」
青山さんの言葉に、ヒトシさんはそっぽを向く。
こういう子が好みなのかな?
「とにかく飯だ! 何食いたいんだ?」
「え、ヒトシさんは何食べたいんですか?」
「博多ラーメン!」
……ラーメンばっかりだな、この人。
その夜、部屋でくつろいでいると、ヒトシさんが声をかけてきた。
「マコト、明日で最終日だ。どうだった?」
「まだ、実感ないです」
そう答えると、ヒトシさんはハハッと軽く笑い、続けた。
「節目とか、そういうのは必ず何度も来る。大事なのは後悔を減らす努力だ」
「減らす努力……ですか?」
「そう。後悔ってのはなくならない。だから減らすんだよ」
隣で聞いていたクロさんが、こちらを向いて口を挟む。
「ヒトシは寂しくて仕方ないんだよね」
「こ、こらクロ」
止めようとするヒトシさんを、クロさんが手で制した。
「寂しさってのは、ちゃんと向き合ってきたから手に入る感情なんだ」
その言葉は、今の俺にとって一番響くものだった。
胸の奥に、静かに落ちていく。
「だから、明日も最後まで『MACS』と向き合ってこい」
ヒトシさんが俺の肩を軽く叩く。
「はい。最後までやりきります」
明日はツアー最終日。
そして、『MACS』としての俺の活動も終わる。
言われた通り、後悔をひとつでも減らそう。
右手に、自然と力がこもるのを感じていた。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
小松 里菜/キーボード担当/ミズハシ楽器・アルバイト
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリナ。
前任のヨネさんの紹介でクリクリにヘルプとして加入。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしている。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多かった。
【MACS】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【サンデーパニック】
関/ヴォーカル担当
マイクパフォーマンスが楽しいサンパニのヴォーカル。
環奈推しでよくお茶に誘うが、毎回断られている。
以前リョウに怒られて以来、少しリョウが怖い。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【美月の同級生】
泉谷/泉谷グループの御曹司
音楽業界に強い影響力を持つ名家の跡取りで、若くして多くのアーティストやプロデューサーと繋がりを持つ。
冷静で礼儀正しいが、その裏には家の期待と責任を背負う重圧もある。
有栖川家との関係から、美月との縁談が水面下で進められており、本人もその事実を理解しているが――彼自身の本心はまだ誰にも見せていない。
藤崎/美月の同級生
美月の同級生で、名家・藤崎家に育った正真正銘のお嬢様。
育ちの良さがそのまま性格に表れており、言葉遣いは丁寧だが、価値観はどこか“良家の常識”に縛られている。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
米山/35歳・マネージャー
クリクリの元キーボード担当をヘルプでやっていた。登録名はヨネ。
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




