マコトにとっての本番
スマホのアラームが鳴って、まぶたの裏に残っていた夢が一気に吹き飛んだ。
身体が少し重いのは、昨日のライブの余韻がまだ残っているせいだと思う。
服を着替えて出発の準備をしていると、ドアがノックされた。
「マコトくん、もう出れるかい?」
クロさんの声だ。ドアを開ける。
「もう出れますよ」
「わかった。準備が終わったらロビーに来てね」
荷物をまとめてロビーに向かうと、松崎さん以外のメンバーがすでに集まっていた。
「あれ? 松崎さんは?」
「ああ、車を回しに行ったよ」
しばらくすると、玄関前にハイエースワゴンが滑り込んできた。
荷物を積み込み、俺たちも乗り込む。
「松崎くん、どっかで朝ごはん食べようよ」
助手席に座ったクロさんが声をかけると、松崎さんが無言で頷いた。
後ろを見ると、後部座席のヒトシさんは札幌での収支を計算している。
こういうところ、やっぱり大人だなと思う。
「マコトくん、食べる?」
青山さんがサイダー味の飴を差し出してくれた。
ひんやりした包みを受け取って口に放り込むと、甘い炭酸の香りがふわっと広がる。
「ありがとうございます」
朝ごはんは、道路沿いの牛丼屋に寄って朝定食を食べた。
まだ眠気が残っていたけど、温かい味噌汁が胃に落ちていくと、ようやく身体が起きてきた気がした。
そこから一時間半ほど車を走らせ、苫小牧港に着いた。
「よし、ここで一時間ほど休んだらフェリーに乗るからな」
「苫小牧から八戸ってどれくらいだっけ?」
「八時間くらいだな」
「結構あるね」
「だから必要なものとか買っておけよ?」
ヒトシさんの言葉に、みんなそれぞれ売店へ散っていく。
俺も飲み物や軽い食べ物を買い足して、フェリー乗り場へ戻った。
やがて乗船の時間になり、フェリーへ乗り込む。
「しっかり仮眠しろよ」
ヒトシさんが青山さんにシングルルームの鍵を渡しながら言った。
青山さんは小さく頷いて鍵を受け取る。
俺たちは雑魚寝スペースへ向かいながら、また長い移動が始まるんだな、とぼんやり思った。
「仙台のライブハウスって、どんな感じなんですか」
ギターのボディをクロスで磨きながら、ふと思いついて口にした。
「どんなって……ハコは『Roots』と同じくらいの大きさだな」
「あー、森さん久々だな」
隣で聞いていたクロさんが、懐かしそうに会話へ割り込んでくる。
「森さん?」
「ああ。これから行くライブハウスの人だよ。いい人なんだ」
そんな他愛もない話をしばらく続けていたが、「仮眠しよう」という流れになり、気づけば意識が落ちていた。
「マコト、起きろ。マコト」
夢の中でヒトシさんに呼ばれた気がして、はっと目を開ける。見知らぬ天井が視界に広がった。
世界がわずかに揺れているような、妙な感覚。だが、自分が今は船の上にいるのだと思い出す頃には、頭もはっきりしてきた。
「そろそろ八戸だってよ」
結構寝たな、とぼんやり思いながら下船の準備を始める。札幌ライブの熱気がそのまま倦怠感に変わったみたいで、体がやけに重かった。
車に乗り込むと、運転席には鈴木さんが座っていた。
「鈴木さん、運転できるんですね」
「うん。でも普段から乗ってるわけじゃないからさ。安全運転で行くよ」
見た目はちょっと怖いのに、言うことはこの中で一番まともなんだよな――そんなことを思いながら、シートベルトを締めた。
八戸から約三時間。ようやく仙台のホテルに到着した。
「ようし、お疲れ。部屋に荷物置いたら牛タン食べに行こうぜ!」
なんだか、食べ歩きツアーみたいになってきてるな――いや、嬉しいけど。
「去年、いい店教えてもらったんだよ」
「ああ、あそこか! 行こう行こう」
その日は、妙にテンションの高いクロさんとヒトシさんに引っ張られるようにして店へ向かった。
翌日。俺たちはライブハウス『ゼットエリア』へ向かう。
「森さん、今年も来たよ」
「おお、ヒトシ君。今日はよろしくね」
柔らかい雰囲気の男性で、年齢は三十代後半くらいだろうか。
「今日はよろしくお願いします」
「君はマコトくんだね。よろしくお願いします」
軽く挨拶を交わし、俺たちは控室へと案内された。
仙台のライブも大成功に終わり、翌日。
東京へ戻る車内で、俺は前の席のヒトシさんに声をかけた。
「明日は、『Risk』やりたいです」
「お、あれか。美月に聞かせたいんだろ?」
ニヤニヤしながら振り返るヒトシさん。その視線を、俺はまっすぐ受け止めた。
「はい。いい曲ができたので……聞いてほしいんです」
その言い方が意外だったのか、ヒトシさんが「おっ」と小さく目を見開く。
「ヒトシ、いいんじゃない?」
運転席のクロさんが、前を見たまま軽く言う。するとヒトシさんは、ふっと笑って。
「いいね。やろう」
短く、それだけを言った。
仙台から五時間かけて東京へ戻り、ホテルにチェックインした。
部屋に荷物を置いたところで、スマホが震える。陽葵からのメッセージだった。
『ホテル着いた?』
『着いたよ』
『お弁当作って来たんだけど』
『弁当?』
『うん、ロビーに来れる?』
『待ってて』
慌てて部屋を飛び出し、ロビーへ向かう。
エレベーターの扉が開くと、陽葵が大きな紙袋を抱えて立っていた。
「これ、皆さんの分も作ってきたから」
「ありがとう。でも……なんで?」
「一食分浮くでしょ? 皆さんと一緒に食べてね」
手渡された袋は、見た目以上に重かった。中身の量と、陽葵の気遣いがそのまま詰まっているようだった。
「陽葵は食べていかないのか?」
「いいよ。お邪魔しちゃうし、帰りも遅くなっちゃうから」
そう言って荷物を渡し終えると、陽葵はくるりと背中を向けて歩き出す。
「あ、お弁当箱とか全部捨てられるものにしたから」
振り返らずに言ったあと、数歩進んでからこちらを向き、ふわっと笑った。
「明日、頑張ってね」
俺は陽葵が帰っていくところをしばらく眺めていた。
「……重いな」
いつも応援してくれている陽葵のありがたさを、ずっしりと手の先で感じていた。
「これ、陽葵からの差し入れです」
そう言って弁当の袋を差し出した瞬間、ヒトシさんとクロさんが異様なテンションで食いついてきた。
「うおお! 陽葵ちゃんの手料理!」
「早く食べようぜ!」
……なんだ、この大人たちは。
結局、部屋に全員を呼んで一緒に食べることになった。
「おいしい! 私もこんな妹ほしいなー」
青山さんまで嬉しそうに頬を緩めている。
みんなが「うまい」と言いながら箸を進めるのを見て、陽葵の弁当が誇らしくて仕方なかった。
翌日。
朝早くに目が覚めたので、身支度を済ませて近所をぶらりと散歩した。
「お、早いね。散歩?」
ホテルに戻ると、クロさんがロビーでコーヒー片手にくつろいでいた。
「なんだか落ち着かなくて」
「ははーん。マコトくんにとっては今日が本番かな?」
図星を刺された気がしたが、俺は苦笑いでごまかした。
メンバー全員が起きてきたところで、楽器を抱えてホテルを出た。
全員で『Roots』へ向かう――それだけのことなのに、妙に新鮮だった。六人で歩く街は、昨日までと同じはずなのに、『MACS』の一員として見る景色はどこか違って見えた。
途中のコンビニで飲み物を買い込み、そのまま『Roots』へ向かう。
扉を開けて控室に入ると、『Critical Clinical』のメンバーがすでに揃っていた。
「お帰りなさい、は……まだ早いかな?」
「美月さん」
「えっ!何だか雰囲気変わってない?」
「そんな急に変わりませんよ」
美月さんが柔らかく微笑みながら近づいてくる。笑っているはずなのに、どこか寂しさを含んだ目だった。
「今日は頼むわ」
リョウさんがニヤリと笑う。
「トリは『MACS』だからね。楽しみにしているよ」
ケイタさんのいつも通りの笑顔が、距離があるせいか妙に迫力を帯びて見えた。
「誠くん、今日はよろしくお願いします」
環奈が真剣な表情で頭を下げる。
――さあ、今日は勝負だ。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
小松 里菜/キーボード担当/ミズハシ楽器・アルバイト
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリナ。
前任のヨネさんの紹介でクリクリにヘルプとして加入。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしている。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多かった。
【MACS】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【サンデーパニック】
関/ヴォーカル担当
マイクパフォーマンスが楽しいサンパニのヴォーカル。
環奈推しでよくお茶に誘うが、毎回断られている。
以前リョウに怒られて以来、少しリョウが怖い。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【美月の同級生】
泉谷/泉谷グループの御曹司
音楽業界に強い影響力を持つ名家の跡取りで、若くして多くのアーティストやプロデューサーと繋がりを持つ。
冷静で礼儀正しいが、その裏には家の期待と責任を背負う重圧もある。
有栖川家との関係から、美月との縁談が水面下で進められており、本人もその事実を理解しているが――彼自身の本心はまだ誰にも見せていない。
藤崎/美月の同級生
美月の同級生で、名家・藤崎家に育った正真正銘のお嬢様。
育ちの良さがそのまま性格に表れており、言葉遣いは丁寧だが、価値観はどこか“良家の常識”に縛られている。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
米山/35歳・マネージャー
クリクリの元キーボード担当をヘルプでやっていた。登録名はヨネ。
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




