ラーメンでも行く?
「へえ、知り合いだと高校生でも『MACS』は入れるんだわ」
その一言が、氷みたいに胸の奥へ落ちていった。
さっきまで面白く感じていた二人の会話も、急に色を失っていく。
笑い声も、軽口も、全部遠くなった。
控室のドアが開き、クロさんが戻ってきた。
「あ、クロくん、久しぶりじゃん」
「新しいギタリスト入ったんだね。人数も増えてきてるし」
「おお、松田くんとヨッシー」
クロさんが俺の顔を見た瞬間、何かを察したように目を細めた。
「青少年を虐めちゃダメだよ?」
「いや、いじめてないってば?」
「じゃあ、また後でね!」
松田くんとヨッシーは、気まずそうにそそくさと控室を出ていった。
そのあとすぐ、音の調整とリハが始まった。
“高校生でも”と言われたことが頭から離れず、悔しさを押し込めるように、必死で弾いた。
少しでもいい音を出してやろうと、指先に力が入る。
リハが終わり、控室へ戻る途中、会場の方から声が聞こえてきた。
「やっぱ清水抜けたの、けっこう痛かったよね」
「勢いはあるけど……まあ、まだその程度って感じだわ」
足が止まりそうになる。
“その程度”――まただ。
胸の奥がじわっと熱くなるのに、手足は冷えていく。
控室に戻ると、ヒトシさんが隣に座った。
「クロから聞いたぞ」
「え? 何を……」
「高校生だからって舐められて腹が立ったんだろ?」
「う……まあ、はい」
認めた瞬間、ヒトシさんは声を出して笑った。
「いや、怒るのはいい事なんだよ?」
「はあ……」
怒っていいのか、落ち着くべきなのか、自分でもわからない。
でも、“その程度”って言われたのは、やっぱり悔しい。
「いや、何て言うのかね」
ヒトシさんが言葉を探している。
その沈黙が妙に不安で、心臓が落ち着かない。
「まあ、マコトくんの持ち味はそれじゃないんだよね」
クロさんがそう言って、優しく笑った。
「でも、どうすれば……」
「いつも通り」
松崎さんが親指を立ててみせる。
その瞬間、ヒトシさんが何か思いついたように俺へ顔を寄せ、耳元で囁いた。
「美月に聞かせると思って弾けばいいよ」
その言葉が、胸の奥のざわつきを一気に溶かしていく。
悔しさも、不安も、全部まとめて音に変えられそうな気がした。
本番が始まった。
さっきの松田さんとヨッシーさん――『Belly Master』のギターとベース。
演奏は確かに上手かったし、曲も悪くない。
でも、あの一言が胸に残っていて、素直に「すげえ」と思えなかった。
「なかなかだろ?」
横からヒトシさんが声をかけてくる。
「ええ、はい。まあ」
曖昧に返すと、ヒトシさんは俺の背中を軽く叩いた。
「“なかなか”とは違うレベルを教えてやろうぜ」
そう言って、ニッと笑う。
その笑顔に、胸の奥のざらつきが少しだけ溶けた。
ギターを持って舞台に上がる。
最初はクロさんの合図で始まる――はずだった。
そう思っていたところに、ヒトシさんが近づいてきて俺の肩を叩いた。
「『Limit』を弾けよ」
「えっ、みんなクロさんの合図で始まると思ってますよ?」
「いいから、好きにやれ」
その言葉に、胸がドクンと跳ねた。
“好きにやれ”なんて言われたら、もう逃げ場なんてない。
自然と、美月さんの顔が浮かぶ。
あの人に聴かせるつもりで弾けばいい――
ヒトシさんの言葉が、また胸の奥で響いた。
コードを押さえる。
深く息を吸う。
右手を振り下ろした瞬間、ステージの空気が一気に変わった。
「今頃、誠くんは初日の本番を迎えてますね」
「札幌だよね? 美味しいもの食べたのかな?」
「昨日は蟹を食べたって、メールで聞きましたよ」
「うっそ! 羨ましいー!」
電話の向こうで由美子が本気で羨ましがっていて、その反応が可愛くて思わず笑ってしまった。
「次会えるの、二日だっけ?」
「そうですね。『Roots』です。……人のこと言ってますけど、芝崎さんとは会ってるんですか?」
「ふふん」
「何ですか、その自慢げな鼻息」
絶対なんかあったな、って声だけでわかる。
でも不思議と、羨ましいより“よかったね”って気持ちの方が強かった。
「私も二日、見に行くからね」
「『Roots』ですか?」
「うん。芝崎くんと行く約束したんだ」
「なかなか抜け目がないですね」
そう言うと、電話越しに二人でくすくす笑い合った。
夜の静けさの中で、その笑い声だけがやけに明るく響いた。
演奏が終わった瞬間、会場が一瞬だけ静まり返った。
その沈黙が、逆に心臓を締めつける。
次の瞬間、ざわっと空気が揺れ、大歓声が爆発した。
「よっす、久しぶりだな札幌!」
ヒトシさんの声に、さらに客席が沸く。
「今日は去年よりアップデートした『MACS』の演奏を楽しんで帰ってくれ」
クロさんがハイハットを鳴らし、次の曲の合図を送る。
俺はギターを構え、ヒトシさんの歌を最高に引き立てるつもりで弾いた。
音を作るように、支えるように。
チョーキングで音を伸ばしながら首を傾けると、最前列から声援が飛んできて、思わず胸が熱くなる。
ヒトシさんの力強い高音が、観客をどんどん引き込んでいく。
初日、札幌でのライブは大盛況のまま幕を閉じた。
控室に戻ると、松田さんとヨッシーさんが勢いよく駆け寄ってきた。
「さっきは変なこと言って悪かったわ」
「高校生とか関係ないし、マジでよかったって思ってる」
「ていうかさ、本当に高校生なの?」
「それ、上手すぎてマジでびっくりしたわ」
二人の間から、『Belly Master』のヴォーカル・ユリさんが顔を出す。
「演奏もうまいしさ、マコトくんって普通にめっちゃカッコくない?」
「はあ、ありがとうございます」
「ねぇ、連絡先交換しよ〜?」
「えっ、連絡先ですか?」
どう返せばいいかわからず固まっていると、ヒトシさんがスッと割って入った。
「ユリ、やめといたほうがいいぞ」
「え、なんでさ? もしかして彼女いる感じ?」
「いや、彼女というか……」
「え、なにさ? ハッキリ言ってってば」
「多分、美月がライバルになるぞ……」
「ヒトシさん!」
勝手に名前を出されて、美月さんに迷惑がかかりそうで慌てて抗議する。
「あ、みつきってさ、あのクリクリの子……?」
「そうそう」
ヒトシさんがわざとらしく大きく頷く。
「あれでしょ、バンドで東京行った時に見せてくれたやつだよね?」
ユリさんは俺の顔をもう一度じっと見て――
「じゃあ無理だわ〜、残念だわ〜」
と、しょんぼりしてみせた。
「で、ヒトシたち、このあとどうすんのさ?」
「ああ、今日はこの後飯食ってホテルに泊まるよ」
「ああ、じゃあ明日、移動日なんだわ?」
「そうそう」
「ラーメンでも行く? うまいとこ連れてくからさ」
「おお! マコトもラーメン食べたそうだったし、いいかもな」
「じゃあ、うちも行くわ〜」
そんな流れで、『MACS』と『Belly Master』の三人でラーメンを食べに行くことになった。
おすすめの味噌ラーメンは、さすが地元の人が知ってる店だけあって驚くほどうまかった。
濃厚なのに飲みやすいスープ、よく絡む麺、そしてとろけるチャーシュー。
全部が完璧だった。
「うまいですね」
「でしょ? ここは通っちゃうよね〜」
「次どこだっけ? 仙台なんだっけ?」
松田さんの質問にクロさんが答える。
「そうだね」
「どこから乗るのさ?」
「苫小牧」
「うへ」
松田さんの“それは大変だ”って顔に、ヒトシさんが笑う。
「明日は運転手マツザーキーな」
ヒトシさんが言うと、松崎さんがコクリと頷いた。
翌日も朝が早いので、ほどほどのところでホテルへ戻った。
部屋に入ってスマホを見ると、美月さんからメッセージが届いていた。
『マコトちゃん起きてる?』
『起きてますよ、今ホテルに戻りました』
少しして返信が来る。
『どうだった?』
『初日はなんとか乗り切りました』
『そっか、明日も早いよね』
『そうですね、連絡ありがとうございます』
『いやいや、そんな。でも気を付けてね、おやすみなさい』
『はい、おやすみなさい』
離れているのに、前よりずっと近くに感じる会話だった。
画面を見つめながら、自然と頬がゆるむ。
そろそろ寝ないと明日がきつい。
そう思いながらも、まだ少し眠りたくなくて――
窓の外に広がる札幌の夜景を、しばらくぼんやり眺めていた。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
小松 里菜/キーボード担当/ミズハシ楽器・アルバイト
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリナ。
前任のヨネさんの紹介でクリクリにヘルプとして加入。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしている。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多かった。
【MACS】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【サンデーパニック】
関/ヴォーカル担当
マイクパフォーマンスが楽しいサンパニのヴォーカル。
環奈推しでよくお茶に誘うが、毎回断られている。
以前リョウに怒られて以来、少しリョウが怖い。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【美月の同級生】
泉谷/泉谷グループの御曹司
音楽業界に強い影響力を持つ名家の跡取りで、若くして多くのアーティストやプロデューサーと繋がりを持つ。
冷静で礼儀正しいが、その裏には家の期待と責任を背負う重圧もある。
有栖川家との関係から、美月との縁談が水面下で進められており、本人もその事実を理解しているが――彼自身の本心はまだ誰にも見せていない。
藤崎/美月の同級生
美月の同級生で、名家・藤崎家に育った正真正銘のお嬢様。
育ちの良さがそのまま性格に表れており、言葉遣いは丁寧だが、価値観はどこか“良家の常識”に縛られている。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
米山/35歳・マネージャー
クリクリの元キーボード担当をヘルプでやっていた。登録名はヨネ。
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




