全国ツアー出発!
朝早く、玄関のチャイムが鳴った。
扉を開けると、家の前にはハイエースワゴンが停まっていて、運転席側からヒトシさんが降りてきた。
「マコト、楽器と荷物、積んじゃってくれ」
「え、あ、はい」
寝ぼけた頭のまま慌てて部屋に戻り、ギターや機材、着替えをまとめて玄関へ降りる。
すると陽葵が、もうヒトシさんたちに挨拶していた。
「兄をよろしくお願いします」
「陽葵ちゃん、悪いね。しばらく借りていくよ」
ヒトシさんが笑いながら俺の肩に腕を回すと、陽葵は小さくクスッと笑った。
陽葵が妙に妹っぽさを出してて、ちょっとくすぐったい。
ギターケースにはクッション材を噛ませ、ベルトでしっかり固定する。
荷物を積み終えて座席に腰を下ろしたところで、ふと気づいた。
「あれ、青山さんは?」
「ああ、彼女は荷物が多いからね。家まで迎えに行くことになってる」
ヒトシさんが答えると、クロさんがエンジンを軽く吹かし、車はゆっくりと動き出した。
サンシェードの隙間から外を見ると、陽葵がこちらに手を振っている。
どこか心配そうで、それでも笑顔は崩さない。
俺も手を振り返しながら、陽葵の姿が見えなくなるまで目で追った。
三十分ほど走ったところで、車はマンションの前に滑り込むように停まった。
エントランスから青山さんが姿を見せ、荷物を積み終えると俺の隣に腰を下ろす。
「よし、これで全員揃ったな。いざ札幌!」
ヒトシさんが明るく声を上げ、車は再び走り出した。
時刻は午前六時を少し回ったところだ。
出発してすぐ、後部座席の松崎さんは早々に眠りに落ちた。
「いざという時の運転手だから寝かせておいてやれ」
ヒトシさんにそう言われ、俺たちはそっとしておくことにした。
「飴、食べる?」
「ありがとうございます」
青山さんから受け取ったサイダー味の飴を口に放り込み、ヒトシさんが流すラモーンズの曲に耳を傾けていると、スマホが震えた。
『マコトちゃん、もう出発したよね?』
美月さんだ。
『今、高速乗ってますよ。朝早くにどうしたんですか』
『会えなかったからね。いってらっしゃい、したかったよ』
『じゃあ、今言ってくださいよ』
『うん。いってらっしゃい。気を付けてね』
『いってきます』
『2日、待ってるからね』
『はい……』
返信しようとしたところで、スマホに影が落ちた。
「お?なんだ?美月か?」
「ヒトシさん!覗かないでください!」
照れくさくて慌ててスマホを隠すと、ヒトシさんがぽつりと呟く。
「いってらっしゃい、か」
「ヒトシ、青少年を……」
「いじめてねえよ?」
いつもの掛け合いに、思わず吹き出してしまった。
少しお腹がすいてきた頃、車は那須高原のサービスエリアへ滑り込んだ。
「マコト! 朝飯食おうぜ!」
勢いよく飛び出していくヒトシさんを追いかけ、俺と鈴木さんも駆け足でついていく。
クロさんと青山さんは、のんびりと後ろから歩いてきた。
「俺、エッグフライ定食。マコトは?」
「同じので」
料理を受け取り、席に腰を下ろして食べ始める。
ふと横を見ると――
(鈴木さん、朝からカレーいくんだ……)
そのギャップにちょっと驚きつつ、黙々と箸を進めた。
食べ終わる頃、寝起きそのままの顔をした松崎さんがふらりと現れる。
「タバコ吸ってくる」
「あ、じゃあ俺も」
クロさんと二人で喫煙室へ向かっていった。
残ったメンバーは食器を片付け、それぞれトイレ休憩を済ませて車へ戻る。
俺がクーラーボックスを漁っていると、運転席から声が飛んだ。
「俺にも取ってくれ」
ここからはヒトシさんが運転するらしい。
「何がいいんですか?」
「エネドリ」
言われた通りに取り出して渡すと、ヒトシさんはプルタブを開けて一口飲む。
ちょうどそのタイミングで、クロさんと松崎さんも戻ってきた。
「お前ら、臭い消せよ」
ヒトシさんから消臭スプレーを受け取り、二人はタバコの匂いをさっと消してから乗り込む。
「よし、揃ったな。行くぞ」
エンジン音が少しだけ高まり、車は再び北へ向けて走り出した。
「ヒトシさんの彼女って、どんな人なんですか?」
ツアーの最終地・福岡で紹介される予定の人だ。
気にならないわけがない。
「う、なんていうかなあ……」
珍しく言葉を選んでいるヒトシさんが、ちょっと面白い。
「すっごい美人だぞ」
「えっ、そうなんですか?」
松崎さんがぼそっと漏らした一言に、鈴木さんが素で驚く。
クロさんは肩を震わせながら、ゆっくりとこちらを振り返った。
「まあ、なんていうか……すごい子だよ」
「すごい……子、ですか?」
「んー、どう言えば伝わるかな」
クロさんが腕を組んで唸っていると、松崎さんがまたぼそっと呟いた。
「世界の中心」
「そう、それ。まさに世界の中心って感じの子だよ」
クロさんが笑いながら頷く。
「お前ら……」
好き放題言われているのに、ヒトシさんが否定しないあたり――
どうやら、心当たりはあるらしい。
「あれ、いつだっけ?」
「大学の時だろ?」
「おお、そうそう」
クロさんとヒトシさんが昔話をはじめた。
「あの時、本ちゃんは女子高生とかかな?」
「懐かしいなあ」
どうやらヒトシさんの彼女は年下らしい。
この二人に“すごい子”と言わせる女子高生って……どんなだよ。
耳が詰まったような感覚が抜け、窓の外にはのどかな田園風景が広がる。
「緑がきれいだね……」
ぽつりと呟いた青山さんは、流れる景色に視線を預けていた。
「もう少し走ったらトイレ休憩な」
「了解」
何度か休憩を挟みつつ走り続け、車は紫波サービスエリアへ滑り込んだ。
日はすっかり高く、腹の虫もいい具合に騒ぎはじめている。
「さて、昼は何食べようかな」
「マコト、カツカレー食べようぜ。ここの、けっこううまいんだよ」
「へー、じゃあそれにします」
カツカレーを頬張りながら外へ目をやると、松崎さんとクロさんが並んでタバコを吸っていた。
そこへ鈴木さんがコーヒーを三つ抱えて戻ってくる。
二人が礼を言ってコーヒーを受け取る様子が見え、鈴木さんもタバコに火をつけた。
「あ、鈴木さんも吸うんですね」
「あー、まあな」
「ヒトシさんは吸わないんですか?」
「俺は吸わねえよ?」
「やっぱり、ヴォーカルだから……?」
「ああ……まあな」
そんな他愛ない会話をしながら、思った以上にうまかったカツカレーを平らげる。
飲み物を補充し、飴をいくつか買い足して車へ戻った。
「よし、みんな乗ったか?」
「うい」
「じゃあ、松崎、出してくれ」
ここからの運転は松崎さんだ。
助手席にはクロさんが座ることになったが、その前にちょっとしたやり取りがあった。
「助手席はクロがいい」
「なんでだよ? 俺が座るよ?」
「ヒトシは……うるさいからな……」
「ぐ……」
そのやり取りに、青山さんが吹き出す。
車が再び走り出してから二時間後、青森港に到着した。
強い風と潮の匂いが一気に押し寄せ、旅の空気がまた少し変わる。
函館行きのフェリーに乗り込むと、クロさんが青山さんにシングルルームの鍵を差し出した。
「少し休んできなよ」
「ありがとうございます」
「さ、俺たちはこっちだぞ」
残りのメンバーは雑魚寝スペースのような広間で、しばし身体を伸ばすことになった。
フェリーの中では、みんな少し疲れたのか、それぞれ静かに本を読んだり、眠ったりして過ごしていた。
俺もつい、うとうとしてしまったらしい。
部屋を出入りする気配がして目を開けると、クロさんがちょうど戻ってきたところだった。
「起こしたかな? 悪いね、タバコ吸ってたんだよ」
「いえ、大丈夫です。どの辺りですか?」
「ああ、もうすぐ函館だよ。そろそろみんな起こすか」
函館港を出てから札幌までは、曲順やライブの構成についてあれこれ話し合った。
気づけば街の灯りが増え、車は札幌のホテルへと滑り込んでいく。
チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くと、すぐに夕飯を食べに出かけることになった。
「ライブのスケジュールがあるからな、観光はできない分うまいもの食おうぜ」
「え? 何食うんですか?」
ちょっと期待してヒトシさんに聞き返すと、代わりにクロさんがニヤッとした。
「何だと思う?」
考え込む俺を見て、松崎さんが笑う。
「ラーメン?」
「ふふっ」
青山さんが微笑んだ瞬間、あ、違うなって悟った。
しばらく歩くと、趣のある日本家屋みたいな建物の前で足が止まる。
「えっ? ここですか?」
「そうだ……今日はカニだ!」
ヒトシさんの声に、みんなが一斉に歓声を上げた。
席に着き、プリっとした蟹を口に運んだ瞬間、思わず目を閉じる。
うまい。これは反則だ。
幸せを噛みしめていると、スマホが震えた。
『もう北海道ですか?』
環奈からだ。
『うん、今蟹食べてるよ』
『えっ? いいですね! 贅沢』
『最高』
そう送ると、環奈から笑顔のスタンプが返ってきた。
少し嬉しい気持ちになりながらスマホを置いて蟹に貪りつく。
食べ終わってホテルに戻ると、ヒトシさんが手を叩いた。
「よし、いいもの食べたんだ! 明日は頼むぜ!」
その一言で解散になり、みんなそれぞれの部屋へ散っていった。
翌日、楽器を抱えてライブハウスへ向かった。
扉を開けた瞬間、中から声が飛んでくる。
「おー! ヒトシ! よくきたな!」
「今年もよろしくお願いします」
ヒトシさんが軽く頭を下げ、俺たちを控室へ案内する。
「俺たち、会場の人と話してくるから」
そう言ってヒトシさん、クロさん、松崎さんの三人が出ていった。
「何だか緊張しますね、初日って」
青山さんがベンチに腰を下ろしながら言う。
「そうだね。まあ、いつも通りやれば大丈夫だよ」
鈴木さんが俺の方を見て言うので、俺も小さく頷いた。
そのとき、控室のドアが開き、別のバンドの人たちが入ってくる。
「マジで清水来てないじゃん」
「てか、本当に辞めたんだわ」
清水……MACSの前のギタリストのことだろうか。
「あれ? 君ら、MACSの人なん?」
「ええ、そうですよ」
青山さんが答えると、二人は顔を見合わせて目を丸くした。
「女の子いるじゃん!」
「ヒトシさ、マジで全然聞いてなかったべ」
その反応がちょっと面白くて、緊張が少しだけほぐれる。
「んじゃさ」
片方が急に真顔になって俺たちを見る。
「清水の代わりって誰なんだわ?」
「今のメインギターはマコトくんですね」
鈴木さんがそう言うと、二人の視線が一斉に俺へ向いた。
「なんかさ、ちょっと女の子みたいな顔してるよね?」
「めっちゃ若く見えるけど……もしかして学生なん?」
「えっと、今高校生です」
「えっ」
二人は一瞬固まり、それから小声で確認し合うように俺を見た。
そして、どこか温度の低い声で言った。
「へぇ、知り合いだと高校生でもMACS入れるんだわ」
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
小松 里菜/キーボード担当/ミズハシ楽器・アルバイト
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリナ。
前任のヨネさんの紹介でクリクリにヘルプとして加入。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしている。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多かった。
【MACS】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【サンデーパニック】
関/ヴォーカル担当
マイクパフォーマンスが楽しいサンパニのヴォーカル。
環奈推しでよくお茶に誘うが、毎回断られている。
以前リョウに怒られて以来、少しリョウが怖い。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【美月の同級生】
泉谷/泉谷グループの御曹司
音楽業界に強い影響力を持つ名家の跡取りで、若くして多くのアーティストやプロデューサーと繋がりを持つ。
冷静で礼儀正しいが、その裏には家の期待と責任を背負う重圧もある。
有栖川家との関係から、美月との縁談が水面下で進められており、本人もその事実を理解しているが――彼自身の本心はまだ誰にも見せていない。
藤崎/美月の同級生
美月の同級生で、名家・藤崎家に育った正真正銘のお嬢様。
育ちの良さがそのまま性格に表れており、言葉遣いは丁寧だが、価値観はどこか“良家の常識”に縛られている。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
米山/35歳・マネージャー
クリクリの元キーボード担当をヘルプでやっていた。登録名はヨネ。
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




