人の夢を笑う資格なんて、誰にもないんだよ!
土曜日。
Critical Clinical が練習中のミズハシ楽器のスタジオへ向かった。
今日は中谷さんと芝崎も一緒だ。
「ねえ、サイト見てないよね?」
「集まってから見るって決めたじゃん!」
二人は朝から妙にテンションが高い。
まるで遠足に向かう中学生みたいに、肩を寄せ合ってはしゃいでいる。
「……悪い結果かもしれないだろ」
そう思っていたわけじゃない。
ただ、あまりにも嬉しそうにしているから、少し釘を刺しただけだ。
「「そんなわけないじゃーん」」
息ぴったりにハモる二人。
その自信満々の笑顔を見ていると、こっちまで不思議と気持ちが軽くなる。
――まあ、確かに。
この二人がここまで楽しそうなら、大丈夫な気がしてきた。
電車を降りて、スタジオまでの道を三人で歩く。
途中、文化祭の話題になって、気づけば二人のテンションに引っ張られるように俺も笑っていた。
店に着くと、ヨネさんがすぐにこちらを見つけた。
「あ、マコトくん。今日はAスタだよ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてAスタへ向かう。
ふと視線を感じてそちらを見ると、少し離れたところに水橋父が立っていた。
会釈すると、向こうも気づいて片手を上げてくれる。
スタジオの中からは音が漏れている。
聞き覚えのないフレーズだ。
どうやら新曲を作っているらしい。
ちょうど音が途切れた瞬間を見計らって、スタジオの扉に手をかけた。
「あ、マコトちゃん、いらっしゃい!」
美月さんが弾む声で駆け寄ってきた。
「ほら、集合! 途中経過、見てみよう!」
その一声で、メンバーがそれぞれ楽器を置き、自然と輪になっていく。
「じゃあ、サイト開きますね」
俺がスマホを取り出すと、全員の視線が一斉に集まった。
ページを開いた瞬間、数字が目に飛び込んでくる。
リアクションのカウンターは――四百を超えていた。
「……え」
思わず漏れた声に、美月さんがすぐ横から覗き込んでくる。
「四百じゃ少ないの? 無理め?」
「いえ、逆です」
そう答えた途端、Critical Clinical の面々が一斉に息を吐き、肩の力を抜いた。
「びっくりさせんなよ……」
リョウさんがぼそっとこぼす。
「すみません。三輪先生から、五百集まれば十分戦えるって言われてて」
「土曜のこの時間で四百なら、まず問題ないですね」
環奈が落ち着いた声で言うと、場の空気が一気に明るくなる。
安堵と期待が混ざった笑みが、自然とみんなの顔に広がっていった。
「じゃあ、マコトちゃんと文化祭に出られるんだね?」
「はい。俺も練習に参加させてもらいます」
美月さんはぱっと顔を明るくして、当日のセットリストを選び始めた。
この前、文化祭の話をしたときに浮かべていたあの不安げな表情は何だったのかと思うほど、今は楽しそうだ。
――まあ、何でもないならそれでいい。
「新曲もやりたいから、マコトちゃん練習してね!」
「はい、わかりました」
他のメンバーも「やれやれ」といった空気をまといながら、それぞれの持ち場へ戻っていく。
「俺たちも聞いてていいかな?」
芝崎が遠慮がちに聞いてきた。
「今日はいいじゃない? 関係者なんだし」
それを聞いて二人は子どもみたいに嬉しそうに笑った。
そんな和やかな空気の中、さあ練習を始めよう――としたその瞬間。
コン、とスタジオのドアがノックされた。
「ここにいたか、有栖川」
スタジオのドアが勢いよく開き、上等な生地のコートを着た男が踏み込んでこようとした。
「悪いな、練習中だ」
リョウさんが前に出て止めようとするが、男の後ろに控えていたスーツ姿の取り巻きが無言で制する。
「すみません。僕は有栖川と話がありまして」
「い……泉谷」
美月さんが小さく呟いた瞬間、顔から血の気が引いていく。
あの時と同じ、音のない表情だ。
「こんなところに来ないで」
「有栖川がいつまでも帰ってこないから迎えに来たんだよ?」
「そんなこと頼んでない」
胸の奥がざわつき、心臓が早鐘を打つ。
手の先がじわりと震えた。
――何とかしなきゃ。美月さんを助けなきゃ。
「星雲高校のサイトに載ってたからね。噂になってたよ」
「それが、なん……」
「文化祭なんて出させるわけないだろ? 恥ずかしい」
泉谷と呼ばれた男の表情が険しくなる。
「いつまでもバンドなんてやって遊んでないで、戻ってこい」
「いやだ。アタシはここで」
「ここでどうするんだ?」
美月さんは言葉を失っていた。
喉が詰まったように声が出ない。
「君は有栖川の人間なんだから」
「アタシは音楽をやっていくんだ! アタシの夢なんだ!」
その叫びに、泉谷は薄く笑った。
「くだらない。さあ、帰るぞ」
腕を掴まれ、美月さんが引きずられそうになった瞬間――
頭の中が真っ白になった。
気づけば、俺は美月さんの手を掴み、スタジオの中へ引き戻していた。
掴んだ美月さんの手は、かすかに震えていた。
いつもの朗らかな気配はどこにもなく、明るい音のしない、不安な表情をしていた。
――この人が、美月さんにこんな顔をさせているのか。
そう思った瞬間、黙って見ていることなんてできなかった。
気づけば、口が勝手に動いていた。
「帰るなら……」
「ん?」
「一人で帰ってください、美月さんは練習中なんです」
「……なんなんだ? 君は」
「俺は、美月さんのバンド仲間です」
「家のことに口を出さないでくれないか?」
高圧的な声音。
こちらを見下ろすような視線で、境界線を引いてくる。
「あんたこそ……」
「ん? 何だって?」
「あんたこそ、美月さんの夢を笑うな!」
泉谷は深く溜め息をつき、呆れたように俺を見る。
「結局、人は家のために生きるしかないんだよ」
「そんなことは知らない」
「知らないなら黙ってて――」
その時、泉谷が何を言いかけたのかは分からない。
気づけば、俺は叫んでいた。
「人の夢を笑う資格なんて、誰にもないんだよ!」
「うるさいやつだな……もういい。この人を引き離して」
取り巻きがこちらへ歩み寄ってきた、肩を掴まれそうになったそのとき。
「あれ? 泉谷の坊ちゃん」
泉谷の背後から、落ち着いた声が響いた。
振り返ると、そこには水橋父が立っていた。
「な、水橋社長……」
泉谷は戸惑いを隠せず、その場に立ち尽くした。
「お久しぶりですね。今日はどんなご用件で?」
「いや、有栖川を連れ帰――」
「今度、うちの娘が文化祭に出るんですよ」
「……へ?」
話の流れが理解できない、と顔に書いてある。泉谷の視線が泳ぐ。
「環奈、泉谷の坊ちゃんに挨拶を」
「どうも」
環奈が軽く会釈すると、泉谷は目を見開いた。
「水橋社長のお嬢さん……ですか」
「ええ。自慢の娘でしてね。文化祭も成功してほしいと願うばかりです」
「そ、そうですね。そうなれば何より……では、私はこれで」
逃げるように踵を返した泉谷に、水橋父が声をかける。
「坊ちゃん、なにか用事があったんじゃ?」
「いえ、今日の用事はもう終わりましたので……」
そう言いながらも、泉谷はふと振り返った。
「当日は、有栖川のご当主もいらっしゃるかもしれない。その時にまた話しましょう」
そう言ってニヤリと笑うと泉谷は去っていった。
「お父さん、ありがとう」
環奈が素直に礼を言う。しかし水橋父は、どこか複雑な表情を浮かべていた。
「美月ちゃん……有栖川の家の子だったのか」
「うん……」
「それで泉谷の坊ちゃんが絡んでくるわけだ」
「おじさん、ごめんね」
美月さんが小さく頭を下げると、水橋父はすぐに首を振った。
「謝る必要なんてないよ。君は何も悪いことをしていない」
「でも……迷惑かけるかも」
「大丈夫、大丈夫」
そう言って、場を和ませようとするように、ぎこちないウインクをしてみせた。
「それより、泉谷は音楽業界に顔が利くからね。あの家が動くと、いろいろ面倒なんだ」
「うぅ……」
美月さんは肩をすぼめ、視線を落とす。その沈んだ空気を断ち切るように、リョウさんが口を開いた。
「ミツキ、なんとなくしか分かんねえ。ちゃんと話してくれ」
しばらく黙っていた美月さんは、意を決したように顔を上げた。
「……わかった。ちゃんと話すね」
そこから語られたのは、彼女の生まれ育った家の事情だった。
美月さんの実家――有栖川家は、政界にも強い影響力を持つ名家。家を継ぐのは長男と決まっており、彼女には“他の名家に嫁ぐ”という役割が期待されていた。
その候補として挙がっていたのが、昔から付き合いのある泉谷家の長男。いわゆる政略結婚の話だ。
だけど美月さんは、音楽をやりたかった。家の敷いたレールに乗る未来を拒み、高校卒業と同時に家を飛び出した――その結果が、今につながっている。
「ミツキさんは冒険家だなあ」
ケイタさんが柔らかく笑いながら言う。
「音楽業界に顔が利くってのは……まあ、なかなか厄介だな」
「ごめんね、リョウくん……」
「うっせ。そんなの、たまたまだろ」
「たまたま……?」
リョウさんは大きく息を吐き、呆れたように眉を寄せた。
「どうせお前、“迷惑かけるから自分で何とかする”とか、“バンド辞める”とか言い出す気だったんだろ? バーカ。お前がいるからこのバンドが成り立ってんだよ。ヴォーカルの家がたまたま名家なだけだろ。気にすんな」
「名家なだけって……」
ケイタさんが肩を震わせ、笑いをこらえている。
「そうですよ! 美月さんがいなかったら、とっくに解散してます!」
環奈が遠慮なく言い切る。その勢いに押されたのか、美月さんも思わず吹き出した。
「美月さんの価値は、俺らが一番よく知ってます。家柄とか関係ない。美月さん自身の価値を」
俺がそう言うと、美月さんは目に涙をためながら、八重歯を見せてニカッと笑った。
「……みんな、本当にありがとう」
「よし、練習再開だ」
リョウさんの声が響いた瞬間、空気がいつもの“Critical Clinical”に戻っていく。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
小松 里菜/キーボード担当/ミズハシ楽器・アルバイト
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリナ。
前任のヨネさんの紹介でクリクリにヘルプとして加入。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしている。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多かった。
【MACS】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【サンデーパニック】
関/ヴォーカル担当
マイクパフォーマンスが楽しいサンパニのヴォーカル。
環奈推しでよくお茶に誘うが、毎回断られている。
以前リョウに怒られて以来、少しリョウが怖い。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
米山/35歳・マネージャー
クリクリの元キーボード担当をヘルプでやっていた。登録名はヨネ。
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




