今のSはお前だ
「どういうこと?」
中谷さんと芝崎が、まるで打ち合わせたかのように同時に詰め寄ってくる。
その瞬間、向けられたスマホが震え、画面に新着メッセージが飛び込んだ。
『由美子! 紹介してよ!!!』
……友達、必死すぎる。
由美子って、中谷さんの下の名前だったのか。
「中谷さん、メッセージきてるよ……?」
俺がそう言うと、中谷さんはスマホをひったくるように自分の方へ向け、素早く返信を打ち込んだ。
「どういうことか説明してほしいんだけど?」
「まこと! マックスって……何?」
一人だけ察しの悪い芝崎が、別方向の疑問を投げてくる。……まあ、ここまで来たら説明するしかない。
環奈の方を見る。目が合った瞬間、彼女は小さくため息をついた。
「説明というか……まず、私は『Critical Clinical』というバンドでベースを担当しています」
「クリクリのカンナ……」
中谷さんが、届いたメッセージをなぞるように呟く。
「それから、俺は『マックス』っていうバンドのヘルプギタリストをやってるんだ」
「え!? まことギター弾けたの?」
「いや、中学の頃から家にギターあっただろ?」
「飾りかと思ってた。俺の前で全然弾かないし」
「いや、それは……恥ずかしいというか」
俺と芝崎のやり取りを、中谷さんが遮る。
「なんで内緒にしてたの?」
「いや、それは……学校では静かにしていたかったというか」
「それは私も同じです。前に三年生の先輩にバレたことがあって」
環奈がぽつりと語り始める。
……まさか、嫌なことでも言われたのか?
「その人……毎日……」
環奈の肩がわなわな震え、一同が息を呑む。
「毎日、『カンナさん、おはようございます!』って、すごく大きい声で挨拶してきて」
予想外の方向に話が転がり、三人が一斉にガクッと肩を落とした。
「すごく恥ずかしかったんですよ!」
あまりに真剣な表情で言うものだから、笑っていいのか判断に困る。
「俺は、中学でギター始めて……熱中してさ」
思い出すように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「高校に入って、新しいギター買って。スタジオのメン募の張り紙見て、いくつかのコピーバンドにヘルプで参加した」
友達の輪に入ろうともしなかった俺が、ギターを持つと妙に積極的になれた。
それはきっと、音楽をやりたいという渇望だったんだ。
「去年の夏、ヒトシさんに誘われたんだ。『マックスに入らないか?』って」
「そうだったんですね……」
誰よりも関心してくれる環奈が可愛くて、思わず微笑んでしまう。
「まあ、わかったよ。二人が内緒にしてた理由」
「まことは恥ずかしがり屋だからな」
「だったら……」
“だったら内緒にしててくれ”と言いかけた瞬間、その言葉は遮られた。
「次、ライブいつ?」
「へ?」
「私もライブ見てみたい!」
「あ、ああ……」
環奈と目を合わせる。
どうする……?と、互いに顔で訴え合った。
「――あ、再来週の『月と狼』は?」
「え? ああ、あのイベントですか……」
「つきとおおかみ? イベント?」
前のめりで食いついてくる中谷さんに押されるように、俺は説明を続けた。
「再来週の土曜日、『月と狼』っていうライブハウスでイベントがあるんだ」
「参加バンドは『Critical Clinical』、『マックス』、それと『サンデーパニック』です」
「おお、サンパニ!」
芝崎が即反応する。完全にファンになってるな。
「そのイベントなら、二組とも見られるから……どうかなと思って」
「行きたい! チケット残ってるの?」
「どうだろ……そんなに大きい箱じゃないし」
「私、持ってますよ」
環奈がすっと机の中からチケットを取り出した。
「お父さんとヨネさん用に確保してたんですけど、二人とも出張で来られなくなってしまって」
「ええ! いいの?」
「一人3,000円です」
にっこりと笑いながら差し出す環奈。
その笑顔に押されるように、中谷さんと芝崎は財布を取り出し、チケットを受け取っていた。
期末テストをなんとか乗り越え、週末は『マックス』の音合わせだ。
スタジオに着くと、喫煙室でクロさんと松崎さんが談笑していた。
「おはようございます」
「おお、マコトくん。早いね」
クロさんから鍵を受け取り、先にスタジオへ入る。
ケースからギターを取り出し、チューニングをしていると――スタジオのドアが開いた。
「おお、マコト」
ヒトシさんが入ってきて、その後ろから見知らぬ顔が二人続く。
「この二人は仮メンバーとしてマックスに合流してもらった」
「キーボードを担当する青山です」
リョウさんと同じくらいの年齢だろうか。短く切った金髪がよく似合う、活発そうな女性だ。
「サイドギター担当の鈴木です。マコトさんの演奏を聞いて、『マックス』に入りたいと思いました」
鈴木さんは二十代半ばくらいの男性。……俺の演奏を聞いて?
「マコトでいいですよ。俺、ずっと年下ですから」
「ありがとう。じゃあマコト君で」
見た目は少し怖いが、話すと柔らかい印象の人だった。
「今日からこのメンバーで活動していく!」
ヒトシさんがそう言って笑顔を見せる。
「あと、バンド名もカタカナ表記じゃなくて……これに変えるからな」
ホワイトボードに書かれた新しいバンド名――『MACS』。
「ああ、マックスってそう書くんですね」
「そうだ。メンバーの頭文字で作ったからな」
「知らなかったです」
「リーダーの松崎、クロの名字は阿黒だからA。それから俺が千葉ヒトシ」
クロさんって阿黒っていう名字だったのか……。
「最後が清水のS。清水は辞めちゃったけどな」
「歴史があったんですね」
俺が感心すると、ヒトシさんは「当たり前だろ?」と笑ってみせた。
「今のSはお前だ。須藤マコトのS」
「え、いやでも」
「ヘルプだからって何だ? 今はお前がメインのギターだろ?」
「……はい」
「ツアーの間に考えとけよ。これからも『MACS』を続けながら美月を応援するのか」
「え?」
「それとも、もっと美月のそばに行くのか」
胸の奥がざわつく。
確かに、半端な気持ちじゃ全部ダメになる。
ヒトシさんはいつも、俺の背中を押してくれる。
こんな中途半端な状態で迷惑をかけているかもしれないのに……。
「ありがとうございます。しっかり考えます」
申し訳なさと、ありがたさが入り混じっていると――
「またヒトシが青少年をいじめてるのか?」
クロさんと松崎さんが入ってきた。
「いじめてねえよ?」
いつものやり取りに、張りつめていた空気がふっと和らぐ。
松崎さんが俺の肩を軽く叩き、「さあ、練習しよう」と言った。
マコトちゃんに、家のことを知られてしまった。
アタシの夢を否定した、あの家に戻るつもりなんてない。
「今は好きにしたらいい。僕が大学を卒業するまではね」
貴大のその言葉がきっかけで、アタシは家から逃げ出した。
このままじゃ、アタシの人生は全部あの家に決められてしまう。
藤崎はきっと、アタシに会ったことを貴大に報告するだろう。
考えるだけで頭の中がぐるぐるして、視界が真っ暗になり、音が遠のいていく。
それでも――マコトちゃんは言ってくれた。
「美月さんは、美月さんですから」
その一言が、今のアタシを支えてくれている。
「遊びじゃないです、バンドは」
そうだよね。遊びじゃない。
アタシが逃げてきた理由も、ここにいる意味も、全部つながってる。
マコトちゃんの言葉に包まれながら、アタシはスタジオへ向かう準備を始めた。
スタジオに着くと、環奈がベースを弾いていた。
「あ、美月さん!」
その笑顔を見るだけで、胸の奥がふっと軽くなる。ほんと、癒される子だ。
「あれ、ケイタまだ来てないの?」
「飲み物を買いに行かれましたよ」
「あーね」
「ミツキさん、早いですね」
「アタシは真面目だからね」
そう言うと、ちょうど戻ってきたケイタがふっと笑い、ドラムセットへ向かった。
ケイタが軽くスティックを鳴らし始めたころ、スタジオの扉が勢いよく開く。
「おーっし、みんな揃ってるな。はじめるぞー」
「リョウくん、一分遅刻だよ」
「うっせ、細けえんだよ」
ぶつぶつ言いながらギターを準備するリョウくん。
この空気、この雑なやり取り――これが『Critical Clinical』だ。
アタシの居場所は、やっぱりここにある。
ハイハットが三度鳴る。
準備は整った。あとは、歌うだけ。
「――はばたけ! ピンクの蝶々!」
アタシはこのまま進んでいく。頼もしい仲間と、大好きな人と、一緒に。
ここに来れば、いつものアタシに戻れる。
ここにいれば、大丈夫だ。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
有栖川という名家の娘であることが分かった。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
ヨネ/35歳・ヘルプでキーボード担当
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【マックス】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷 由美子/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
小松 里菜/ミズハシ楽器・アルバイト
キーボード奏者で、決まったバンドに所属せず活動している。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしており、ヨネさんとは面識がある。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多い。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




