どういうこと?
週末は「マックス」のライブだった。
ライブハウス〈月と狼〉は、開演前から人でぎゅうぎゅうに埋まっていた。
スタンディングで最大二百人――実際には百五十人ほどだろうが、それでも狭い箱にこれだけ詰め込まれると、空気が熱を帯びて肌にまとわりつく。
「Critical Clinical」との対バン以降、「マックス」の人気は右肩上がりらしい。
出番が来てステージに上がった瞬間、客席のあちこちからメンバーの名前が飛んできた。
「クロさーん! かっこいいー!」
「まつざきー!」
「アニキー!」
「マコトくん、こっち向いて!」
ヒトシさんのMCが始まると、観客は一斉に沸き立つ。
そして音が鳴り出した瞬間、箱全体が揺れたように感じた。
低音が床を伝って脛に響き、ライトが汗の粒を照らす。
「じゃあ、次の曲は――」
五曲目、ヒトシさんがMCに入ったそのときだった。
「リミット!」
「リミット!」
待ってましたと言わんばかりに、客席から曲名のコールが飛ぶ。
その熱量に押されながらも、俺はいつも通り――いや、いつも以上に――マックスの音を支え、引き上げることだけに必死だった。
「今日はどうした?」
楽屋に戻った途端、ヒトシさんがいつもの柔らかな笑顔で声をかけてきた。
「えっと……どこか変でしたか?」
「いや、今日もよかったよ」
「え?」
拍子抜けする返事に混乱していると、「まあ座れよ」と促される。
「んー、今日はさ。なんだか必死すぎたように見えてな」
「そ、そうですか……」
「やっぱり何かあったんだな?」
図星を刺され、胸がざわつく。美月さんの、家の事を俺の口から言うわけにはいかない。
「話しにくいことなのか?」
その問いにも答えられず、視線を落としたまま黙り込んでいると――
松崎さんがそっと俺の肩を叩いた。軽い音が、やけに大きく響く。
「話した方がいい」
ただ一言。
けれど、その声には逃げ道を塞ぐような強さではなく、背中を押すための温度があった。
「この間、美月さんと買い物に出かけたんですけど」
俺は少しずつ話し始めた。
エフェクターを買ったこと。
そのあと喫茶店に寄ったこと。
そして――喫茶店で知った、美月さんの家のことを。
「そういや、美月に名字聞いたら“有栖川”って言ってたな」
「へえ、ヒトシは知ってたんだ」
「名字だけな?」
ヒトシさんとクロさんが軽口を交わす。
松崎さんはタバコをくゆらせながら、そのやり取りを黙って聞いていた。
「で、マコトくんはどうしたいの?」
クロさんが、真正面から俺を見据えて問いかけてくる。
「美月さんに……音楽を続けてほしいというか……」
続けてほしい。
いや、それだけじゃない。
「夢を、叶えてほしいです」
その言葉は、嘘じゃなかった。
「美月は夢を叶えるんじゃないか? 君が気にしなくても」
クロさんは落ち着いた声で、核心だけを投げてくる。
俺は――どうしたいんだろう。
確かに、美月さんなら自分の力で夢を掴むかもしれない。
その可能性を少しでも高くしたい?
いや、そんな大それたこと、俺にできるはずがない。
「俺は……」
言葉が詰まる。
けれど、ヒトシさんたちは急かさず、ただ待ってくれた。
「……俺は、傍で支えたいんだと思います。美月さんの夢を」
「そうか……」
ヒトシさんが天井を見上げ、小さく息を吐く。
「支えてあげたいよな。そりゃそうだ」
その呟きに、クロさんと松崎さんがニヤニヤと視線を交わす。
「これはあれだな。今度のツアー、福岡も入れておかないと」
クロさんが笑いながら言った。
「ツアー?」
「ああ。マコトが夏休みに入ったら、全国ツアーに行こうと思っててな」
ヒトシさんはそう言ったあと、急に慌てたように身を乗り出す。
「って、福岡? まさか……」
「本ちゃんなら、何かアドバイスできるんじゃないか?」
「う……」
「今、マコトに必要なのはしっかりしたアドバイスだろ?」
「まあ、そうだけど……」
ヒトシさんとクロさんの会話の流れが速すぎて、俺はついていけない。
「あの……ほんちゃんって?」
「ああ、ヒトシの彼女だよ」
えっ。ヒトシさん、彼女いたんだ……。
「今、“ヒトシさんに彼女なんて信じられねえ”って思っただろ?」
「いやいや、そこまでは! ただ、彼女の話なんて聞いたことなかったから驚いただけです!」
必死に否定する俺を見て、クロさんが笑いながら肩をすくめる。
「ヒトシにもいろいろあるんだよ」
そう言ってヒトシさんの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、福岡は決まりだな」
松崎さんが話をまとめるように言う。
「まあ、スケジュールはこっちで組んでおくよ」
クロさんがタバコを灰皿に押しつけると、場の空気が自然と“次”へと動き出した。
駅までの帰り道、ヒトシさんがふと思い出したように口を開いた。
「明日とか、美月と会ったりするの?」
「いや、明日はテスト勉強です」
「ああ、期末テストってやつか?」
その会話に、横を歩いていたクロさんがニヤっと笑った。
「懐かしいねぇ。青春の匂いがする」
期末テストが青春の匂い……? いや、全然嬉しくないんだけど。
「補習とかでツアー参加できません、ってのは勘弁してくれよ?」
「それ、シャレにならないっすよ」
そんな他愛ない話を続けながら、俺たちは駅へと歩いた。
改札前で自然と足が止まり、それぞれが自分の乗る電車へ向かった。
「夏休み、全国ツアーやるんだって」
晩ご飯の途中、何気なくそう言うと、陽葵は箸を持ったままぽかんと口を開けた。
「それ……お兄ちゃんも行くの?」
「まあ、そうだな」
「『マックス』?」
「うん」
「何日くらい行くの?」
「スケジュールはまだ決まってないよ」
そこで陽葵の箸がぴたりと止まった。
顔を上げると、さっきまでの呑気さが消えて、真面目な目でこちらを見つめていた。
「決まったら、すぐに教えること」
「はい」
翌日は日差しが強く、朝から少し汗ばむほどの暑さだった。
平年ならまだしつこく降り続いているはずの雨も、今年は梅雨明けまで体力が持たなかったらしい。環奈の家の最寄り駅で待ち合わせて、勉強会へ向かうことになっていた。
集合場所に行くと、中谷さんがすでに到着していた。
「おはよう、早いね」
「おはよう。ちょっと早めに来ちゃった。水橋さんの家って、この辺りなの?」
「うん。歩いて十分もかからないよ」
「へぇ、この辺り初めて来たけど……大きな家が多いんだね」
環奈の家を見たら、もっと驚くんだろうな――そんなことを考えていると。
「二人ともお待たせー」
軽い声とともに芝崎が現れ、全員そろったところで出発した。
「着いたよ」
水橋邸の前で声をかけると、二人は同時に首をかしげた。
「え、どこ?」
「ここ」
「……ここ?」
二人が固まった。まあ、言いたいことはわかる。
インターホンを押すと、環奈の声が返ってきた。
「はい」
「マコトだけど」
「あ、今降りますね」
しばらくして玄関が開き、環奈が姿を見せた。
「私の部屋でいいですか?」
「いいと思うよ」
玄関から廊下を歩く間も、エレベーターで三階へ向かう間も、二人は完全に無言だった。
「どうぞ、適当に座ってください」
促された二人は、恐る恐るソファに並んで腰を下ろす。
俺と環奈は向かい側に座ったが、目が合った瞬間、環奈は慌てて視線を逸らした。
「お、お茶菓子……いいものをいただいたので、取ってきますね」
そう言って部屋を出ていく。どこかそわそわしているけれど、機嫌は良さそうだ。
環奈が出た瞬間、二人は弾けたように喋り出した。
「いや、広いよ! 広すぎ!」
「それにエレベーターって……ここ、ビルなの?」
「この部屋、一人部屋のレベルじゃないよ! 二人で住んでも余裕だよね!」
「お、おう……言いたいことはわかるけど、落ち着け」
初めて来たら、そりゃこうなるよな。
美月さんは初めて来たときどうだったんだろう。もともと大きな家の人だから、驚かなかったのかもしれない。
「須藤君は、なんだか慣れてるよね?」
「マコト、前にも来たことあるんだろ?」
「あ、ああ。一度だけね」
そこへドアが開き、環奈が戻ってきた。
「お待たせしました。飲み物は紅茶でいいですか?」
「「あ、いえ、おかまいなく……」」
なぜか環奈にまで緊張してハモる二人。
「紅茶でいいんじゃない?」
俺がそう言うと、環奈は嬉しそうにお茶の準備を始めた。
お茶を飲みながら勉強を始める頃には、二人の緊張もすっかりほぐれていた。
「範囲はここからここまでね」
「え、ここもだっけ?」
中谷さんが芝崎の面倒を見てくれている。
「誠くん、わからないところありますか?」
「ああ、ここなんだけど」
苦手な数学から始まり、英語、物理、古典と、それぞれの弱点を潰していく。
「少し休憩にしましょうか」
「手伝うよ」
そう言って手を伸ばした瞬間、環奈の手に触れてしまい、環奈はびくっとして手を引いた。
「い、いえ……その、大丈夫です」
何が大丈夫なんだ?
「私が手伝うから大丈夫ってこと。須藤君は座ってて」
中谷さんがそう言って、環奈と一緒にカップを集めていった。
「マコト、テスト平気そう?」
芝崎は少し声が疲れている。まだそこまで勉強してないのに。
「大丈夫だと思うよ。芝崎は?」
「中谷さんと水橋さんの教え方が上手いから、前よりはいい点取れるかも」
そう言ってから、芝崎は立ち上がり、部屋を見回した。
「それにしても広い部屋だよな」
「そうだね」
「部屋の中にドアがあるの、初めて見たよ」
「開けるなよ? 寝室らしいから」
きっとベースやバンド関係のものも、そっちに避難しているんだろう。
ドアの外から、ひそひそ声が聞こえてきた。
「無理ですって」
「言っちゃえばいいのに」
……何が無理なんだ?
そう思っていると、ドアが開き、二人がカップを手に戻ってきた。
「コ、コーヒー淹れますね」
環奈はどこかぎこちない声でそう言い、コーヒーの準備を始めた。
「何か話してたの?」
小声で中谷さんに聞くと、にやりと笑って「秘密」と返ってくる。
コーヒーが入ったところで、しばらく休憩することになった。
「芝崎くん、この問題の答え、面白かったよ」
中谷さんが、芝崎の珍回答を楽しそうに話し始める。
「特にここ、見に来てよ」
芝崎は、面白がられているのに、なぜか嬉しそうだ。
俺と環奈が後ろから覗き込む。
「あ、今いい感じ」
そう言った瞬間、中谷さんがスマホを取り出し、自撮りをした。
「ほら、みんないい顔してるよ」
画面を見せながら、満足げに笑う。
「みんなに送るね」
送られてきた画像は、四人が並んで笑っている、確かにいい写真だった。
「友達にも自慢しちゃおうっと」
そう言って送信した直後――
中谷さんの肩がピクッと跳ねた。
「どうしたの?」
芝崎が声をかけると、中谷さんはスマホを見せる。
芝崎も画面を見た瞬間、同じように肩をピクッとさせた。
二人はゆっくりとこちらに振り向き、中谷さんがスマホを差し出してくる。
メッセージの一番上には、さっきの写真とともに、「友達の家で勉強中」と書かれていた。
その下に、友達からの返信。
「嘘でしょ?」
「何が?」
「なんで『クリクリ』のカンナと『マックス』のマコトくんが一緒なの?」
「え?」
「どういうこと?」
そこまで読んだところで、二人がそろって俺たちを見る。
「どういうこと?」
部屋の空気が、一瞬で変わった。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
ヨネ/35歳・ヘルプでキーボード担当
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【マックス】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
小松 里菜/ミズハシ楽器・アルバイト
キーボード奏者で、決まったバンドに所属せず活動している。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしており、ヨネさんとは面識がある。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多い。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




