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it'sLife rock'n'roll  作者: 魔法使いの弟子スオウ
第一章 Critical Clinical

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水橋環奈

 寝不足の目をこすりながら、俺はいつもの通学路を歩いていた。

 

 電車を降りたばかりの頭はまだホワホワしていて、現実感が薄い。

 昨日のライブの余韻が、まだ体のどこかに残っている。


「まことー、おはよー!」

 背後から、芝崎しばざきの軽い声。

 顔もいいし友達も多いくせに、なぜか俺に絡んでくる。……変なやつだ。


「なんだー? 眠そうだな……女か?」

 すぐに“女”に結びつけるあたり、ほんと芝崎。


「別に女なんか……」

 言いかけた瞬間、美月さんの笑顔が浮かんで顔が熱くなる。

 彼女が俺の名前を呼ぶ声が、まだ頭に残っている。


「そんなわけないかー! まことだもんな!」

 ……なかなか失礼なことを言う。

 俯いて黙っていると、芝崎が急に食いついてきた。


「え? 女なの……? マジ? どの子? 何組? 何年生?」

 矢継ぎ早の質問を無視して歩いてると——

 その騒がしい声をかき消すように、澄み切った声が耳に届いた。


「おはよう」

 顔を上げると、水橋環奈が立っていた。


「ああ……おはよう」

 返すと、水橋はいつもの無表情で教室へと戻っていく。


「マジかよ……」

 芝崎が俺の顔を覗き込んだ。


「女って、水橋なの……?」

 さっきまでのテンションが嘘みたいに、芝崎は固まっていた。


「俺……水橋が男に声かけるの、初めて見た」

 そう言い残して、教室へと消えていった。


 ……そんなにすごいことなのか?

 

 教室に入ると、いつものざわめき。

 机に突っ伏しても、芝崎の言葉が頭の中でぐるぐる回る。


 ——水橋が男に声をかけるの、初めて見た。

 

 そんなに珍しいのか? 

 俺にはただの挨拶にしか思えなかった。


 でも、周囲の視線が妙に気になる。

 ちらちらと俺を見ては、ヒソヒソ声が聞こえる気がした。


須藤すどう君、今日……水橋さんに挨拶されたんだって?」

 昼休み、隣の席の中谷なかたにさんが興味津々に話しかけてきた。


 中谷さんは、いわゆる“目立つ美人”ってタイプじゃない。

 でも、ふんわりした雰囲気があって、気づけば目で追ってしまうような子だ。

 男子の間でも密かに人気があるらしい。


 ……まあ、わかる。

 でも、少しおせっかいと言うか、放っておいてほしい時もある。


「うん、まあ……」

 曖昧に返すと、彼女は目を輝かせた。


「すごいじゃん? 水橋さんって、誰にでも話しかけるタイプじゃないし、ちょっと憧れの存在っていうか……」


「……そうなの?」

 知らなかった。

 水橋環奈の評価がそこまで高いなんて。


 午後の授業が始まっても集中できず、窓の外に目をやる。

 風で揺れる桜の枝に合わせて、昨日のライブの記憶が蘇る。

 左指が無意識にリフの形をなぞっていた。


「マコトって言うんだね!」

 美月さんの声が、春風みたいに耳に届く。


「また一緒にやろう!」

 眩しい笑顔が、俺の方を向いている。

 

 でも——ぼんやりしていて、はっきりとは見えない。

 

 もっと近くで見たい。

 その願いが胸の奥で膨らんだ瞬間——


「コラ!」

 頭に軽い衝撃。教科書で小突かれたらしい。


「春だからって、授業中に寝るんじゃない」

 呆れ顔の三輪みわ先生が、俺を現実に引き戻す。


「すいません……」

 周囲からクスクスと笑い声が漏れた。


 夢の中の美月さんと、現実の教室。

 そのギャップに、顔から火が出そうになる。


 ——でも、あの声は確かに聞こえた。

 

 夢でも、幻でもいい。

 俺の中では、あの瞬間がちゃんと生きていた。


 放課後、下駄箱へ向かう階段を下りていた。


 窓の外には、夕焼けに染まる空。

 その色に目を奪われながら、ぼんやりと考え事をしていた。

 ……美月さんのことだ。


「美月さんのこと、好きなの?」

 澄み切った声が背後から届き、思わず足を止めた。


「どうだろう? ……かっこいいとは思うけどね」

 口をついて出た言葉に、自分でも少し驚いた。


 すると——


「そうなの! 美月さんはカッコいい!」

 水橋環奈が、目を輝かせて興奮気味に語りだした。

 澄み切っていたはずの声は、年相応の幼い熱を帯びて震えている。

 なぜか得意げな顔で、鼻の孔まで膨らんでいる。


 ……いや、なんでお前がそんなに誇らしげなんだよ。

 

 俺の気持ちなのに、なぜか水橋が勝手に盛り上がっている。

 このテンションの差、どうしてくれるんだ。


 校門を抜け、並んで歩く。


「美月さんのどこがカッコいいと思う?」

 前のめりで聞いてくる水橋。

 すごいな、目がキラキラしてる。


 いや、でも。なんなんだこれは? 正解はどこにある?

 少し考えるふりをして、


「やっぱり…あの存在感かな?」

 と答えると、水橋は嬉しそうに目を細めた。


「わかってるじゃない! 美月さんは存在感がすごいの」

 そこから早口で語り始める。


 美月さんの話になると、急に饒舌になる水橋。

 その様子を見ながら、思わず口にしてしまった。


「美月さんのことだと、そんなに話すんだな」

 水橋ははっとして、顔を赤くした。


「ごめんなさい、美月さんのことになると、つい……」

 普段は落ち着いてる彼女の、こんな一面を見るのは初めてで、なんだか少し嬉しかった。


「でも、私なんかが美月さんの隣に立つなんて…」

 そう呟いた横顔は、どこか寂しげだった。


「そんなことないと思うよ。水橋だって人気者じゃないか」

 言ってみたけれど、彼女はさみしそうな笑顔を浮かべるだけだった。


 桜の花びらが、そっと彼女の肩に落ちる。


「今日は話を聞いてくれてありがと」

 駅の改札前で、水橋は小さく手を振った。

 

 春の夕暮れ、人混みに紛れていく背中。

 電車に揺られながら、窓の外をぼんやり眺める。

 

 水橋の、あの少し寂しそうな笑顔が頭から離れない。


 ――あんなにかっこいい美月さんの隣で、俺に演奏する自信なんてあるのか?


 問いかけても、答えはふわふわして掴めなかった。

 

 家に帰ると、リビングで妹の陽葵ひなたが掃除機をかけていた。


「お兄ちゃん、今日は早かったね」

 俺の姿に気づいて、ちらりと顔を上げる。

 

 うちは共働きの家庭で、父さんは今出張中。

 母さんも帰りが遅いから、夕方はだいたい陽葵と二人きりだ。


「なあ陽葵、カッコいい同性の隣に並ぶ自信がないって思ったことあるか?」

 掃除機を止めた陽葵は、ぽかんとした顔で俺を見る。


「何その質問。お風呂でも入ってきたら?」

 そう言って、また掃除に戻ってしまった。

 

 晩ご飯の時、陽葵がぽつりと言った。


「その人のことだけど、すごく憧れてるんでしょ? その同性の人に」

 一瞬分からなかったが、水橋のことだと気づいた。


「ああ、そうだな。憧れてる」

 そう答えると、陽葵は箸を止めた。


「じゃあ、普通自信なんて持てないよ」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 俺が聞くと、陽葵は素っ気なく「そんなこと知らないよ」と言った。

 

 でもそのあと、ふっと笑って続けた。


「でもさ、隣にいてほしいって言ってもらえたら、嬉しいよね」

 その言葉が、胸の奥に静かに響いた。

 

 なるほど。

 そんなこともあるのかもしれない。


 妹の何気ない一言が、少しだけ心を軽くしてくれた。


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