美月に聞かせたいもんな
「『She is…』みたいに、ムードのある曲にしたいんだ」
ケイタさんがそう言った。
俺は「She is…」を知らない。けれど“ムードのある曲”という言葉だけが頭の中でぐるぐる回っていた。どういう雰囲気なんだろう、と。
「じゃあ、入りのフレーズはこんなのどうだ?」
リョウさんがギターを鳴らす。
トリルで始まる、確かにムードを感じさせる響きだった。
「いいですね。でも、もう少し……」
ケイタさんとリョウさんが首をひねりながら音を探している。
その横で、美月さんが難しい顔をして、もごもごと何かを呟いていた。
「なんだ? メロディできたのか?」
リョウさんが問いかけると、美月さんは「うーん、何となく?」と曖昧に答える。
そして少し間を置いてから、ぽつりと。
「でも、そのギターには合わないかも……」
「まあ、歌ってみろよ」
リョウさんの言葉に、場の空気が一瞬張り詰める。みんなの視線を受けながら、美月さんは小さく息を吸い込んだ。
そして――歌い始める。
「静かに幕開く 夜の帳が下りて」
「街の光に染まる 孤独な影ひとつ」
その声に、リョウさんが真剣な表情でギターを合わせはじめる。
ケイタさんは体でリズムを刻みながら、その音をじっと聴いていた。
環奈も、自然にベースを鳴らし始める。
音が重なり、場の空気が変わっていく。ああ――これぞ、クリクリの作曲風景だ。
俺はその瞬間を、ただ見つめていた。
「環奈、そのフレーズいいね」
思わず口を出してしまった。ベースの低音が心地よく響いていたからだ。
「まだ、少しずつ音を出してる感じですけど……」
環奈はそう言いながら、指先で弦を軽く弾く。ベースの音がまたひとつ、スタジオに響く。
「ケイタさん、今美月さんが歌った部分って、イントロに当たりますよね?」
俺が問いかけると、ケイタさんは頷いた。
「そうだね。曲の構成的にはそうなるかな」
その答えを聞いて、俺は少し考え込む。環奈のベースの響き、美月さんの歌声、リョウさんのギター……全体のムードは、まるで夜の街を歩いているようだった。
「歌詞を最後まで読み通してみませんか?」
そう提案すると、美月さんがノートを広げて、読み始める。
「ネオンきらめく路地裏 足音響くアスファルト」
「秘密を抱えた街 誰かを待ってる気がした」
「夜の魅惑に囚われて 彷徨う魂はどこへ行く」
「答え探す街明かり 消えない想いを抱きしめて」
その声に、全員が耳を傾ける。自然と曲の構成を思い描きながら。
「あ、これ……」
気づいたことを話そうとすると、ケイタさんが先に口を開く。
「『夜の魅惑に囚われて』からがサビのつもりだよ」
ニコニコと笑いながらも、その声には真剣さが宿っていた。なるほど……そういう構成になるのか。
「イントロ、Aメロ、サビの繰り返しですね」
俺が言うと、ケイタさんが頷く。
「そうだね。最後はアウトロになるかな」
イントロで美月さんが歌ったメロディを起点に、それぞれが曲全体の姿を思い描き始めていた。
「街の光に――」
ケイタさんのドラムが鳴り響き、イントロが一気に盛り上がっていく。
「孤独な影」のところで、楽器の音がふっと止まる。「一つ」と歌う美月さんの声だけが、スタジオの空気を震わせた。
目を閉じてタイミングを計っていたリョウさんが、トリルから入るムードたっぷりのギターを差し込む。
「ネオンきらめく路地裏」
美月さんが次の音を探すように歌い始める。――なるほど、そうきたか。
「足音響くアスファルト」
その声に続くように、環奈がベースの音を流し込む。
「秘密を抱えた街」
ケイタさんがリズムを刻み始める。
「誰かを待ってる気がした」
リョウさんがダウンストロークで曲を盛り上げながら加わる。
「夜の魅惑に囚われて 彷徨う魂はどこへ行く」
サビに入った瞬間、胸を締め付けるようなメロディが広がった。
「答え探す街明かり 消えない想いを抱きしめて」
その歌声に、俺の脳裏には夜の風景が次々と浮かんでくる。
コンビニからの帰り道、ライブの後の余韻。
環奈の家から歩いた駅。駅に残る温かさと、ほんの少しの寂しさ。
――まだまだ知らない夜の風景があるんだろう。ケイタさんの歌詞からは、俺の知らない夜の匂いが確かに漂っていた。
「よし、曲にしていくぞ」
リョウさんの声が響くと、空気が一気に引き締まった。譜面に音を起こし、録音機材を準備し始める。
ケイタさんは美月さんの質問に答えながら、リズムを差し込んでいく。譜面に書き起こした部分を合わせて演奏し、録音してはまた次へ――その繰り返しで、曲が少しずつ形を帯びていく。
Critical Clinicalの集中力に押されながらも、俺も少しずつ意見を出していった。
「よし、今日はここまでだな。明日もこの曲をやって、完成させよう」
リョウさんがそう言うと、美月さんがふと問いかける。
「この曲、何ていう名前?」
ケイタさんはニコニコしながらノートを指さした。歌詞が書かれたページには、タイトルとして「夜の魅惑」と記されている。
美月さんは少し難しい顔をすると、ペンを取り、そのタイトルに斜線を引いた。そして隣に、さらりと「よるのまち」と書き込む。
「よるのまち、ですか?」
ケイタさんが首をかしげると、美月さんはうんうんと頷いた。
「このくらいの方が分かりやすくていいよ」
そう言って、彼女はニッコリと笑った。
その笑顔に、スタジオの空気がふっと柔らかくなる。曲の名前が決まった瞬間、みんなの中で同じイメージが共有されたように感じた。
「明日は、『マックス』の音合わせがあるので、不参加になります」
俺がそう告げると、美月さんは少し残念そうな声で「仕方ないよね」と答えた。
「明日、もっといい曲にしてやるよ」
リョウさんが笑いながらそう言う。その笑顔の奥に、確かな自信が見えた。
帰りの電車の中――。
リョウさんのギターの音が頭の中で鳴り続けていた。スタジオで聴いたあの響きが、まだ耳から離れない。
「やっぱり、すごいバンドだ」
窓の外の夜景を見つめながら、思わず呟いた。
翌日。マックスの練習に参加するため、スタジオへ向かう。
到着すると、クロさんがすでに来ていて、機材の準備を始めていた。
「おは……よう。髪、切ったな」
そう言いながら近づいてくるクロさん。俺が頷くと、彼は笑って言った。
「うん、いいね。じゃあ、準備手伝ってくれるか?」
準備を終えた後、喫煙室でクロさんと話していると、松崎さんが入ってきた。俺の頭を見るなり、にやりと笑って親指をグッと立てて見せる。
その後ろから「おはようございます」と声がして、小松さんが顔をのぞかせた。タバコは苦手なのか、すぐにスタジオへ戻っていった。
時間になり、スタジオへ戻るとヒトシさんが姿を見せる。
「お、マコト。髪の毛さっぱりしたな」
そう言って、ニカっと笑った。その笑顔に、スタジオの空気が一気に明るくなる。仲間たちと音を合わせる時間が、また始まろうとしていた。
「じゃあ、『Limit』やろうか。今日仕上げちゃわないとね」
クロさんの声が響く。彼はみんなの準備を確認すると、スティックを三度打ち合わせた。
その合図で、俺はギターを鳴らしてイントロを奏ではじめる。
演奏を終えると録音を聞き返し、細部を確認していく。
「小松さん、ここにもキーボード入れてみてください」
俺がそう提案すると、小松さんは頷き、該当箇所を演奏する。キーボード有りと無しを聴き比べると――。
「ああ、確かにあった方がいいね」
クロさんがそう言って譜面に書き込み、小松さんも自分のパートに音を加えていく。
再び通して演奏し、録音を聴き返す。意見が出たところを練り直し、曲は少しずつ完成へと近づいていった。
「今日は特に熱心じゃないか?」
ヒトシさんが笑顔でそう言う。
「『Limit』はいい曲なので、しっかり仕上げたいんです」
俺が答えると、ヒトシさんは何かを見透かしたような顔をして――。
「美月に聞かせたいもんな?」
そう言って笑った。
「まあ、クリクリに負けてられないですから……」
俺が誤魔化すように返すと、ヒトシさんは笑いながら俺の背中を軽く叩いた。
「ヒトシ、青少年を……」
「いじめてねえよ?」
クロさんとヒトシさんのいつものやり取りに、俺は思わず吹き出してしまった。
スタジオの空気は真剣さと楽しさが入り混じり、音楽が生まれる瞬間の熱気に包まれていた。
何時間も演奏を繰り返し、そして最後のギターが鳴り響いた瞬間――「Limit」は完成した。
「よし、次の『Roots』に向けて、当日やる曲を通しでやってみよう」
クロさんの声を合図に、通し練習が始まる。
全員で一気に駆け抜けるように演奏し、最後まで通したところで、その日の練習は終了となった。
「ラーメンでも食べに行くか?」
ヒトシさんが笑いながらそう言うと、クロさんと松崎さんが頷く。
小松さんも「行きます!」と嬉しそうな顔を見せる。――なるほど、ラーメン好きなんだな。
俺は陽葵が待っていることを思い出し、「今日は帰ります」と告げて、みんなと別れた。
家までの帰り道。
胸の奥で次のライブへの期待が膨らんでいく。
――楽しみで仕方がなかった。
「お帰り、お兄ちゃん。今日も楽しかったんだね」
陽葵が嬉しそうに笑いながらそう言った。
「ああ……次のライブがこんなに楽しみなのは、初めてかもしれない」
俺がそう答えると、陽葵は「じゃあ、お風呂入ってきてよ」と言って、夕飯の支度へと戻っていった。
浴室へ向かう前、ふと鏡に映る自分の顔を見つめる。
――いつの間にか、こんな表情ができるようになったんだな。
そう思った瞬間、美月さんの笑顔が頭の中に浮かんだ。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
美月や環奈との出会いでコンプレックスが少しずつ解け始めて、鬱陶しい前髪も切った。
日常も少し騒がしくなってきたが、変わらず音楽への熱い想いがある。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical 通称:クリクリ】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
ヨネ/35歳・ヘルプでキーボード担当
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【マックス】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。
【ミズハシ楽器】
小松 里菜/ミズハシ楽器・アルバイト
キーボード奏者で、決まったバンドに所属せず活動している。
普段はミズハシ楽器でアルバイトしており、ヨネさんとは面識がある。
落ち着いた雰囲気を持ちながらも、音楽に対しては柔軟で積極的。サポートメンバーとして呼ばれることも多い。
【陽葵の同級生】
加地 あかり/陽葵の同級生
陽葵の同級生で親友。大人っぽい外見をしている。




