アタシの事好きすぎじゃね?
土曜日。俺はミズハシ楽器のスタジオへ向かっていた。
駅を出たところで、信号待ちをしている美月さんの姿を見つける。
「おー、やほー。早いね」
俺に気づくと、いつもの明るい笑顔で手を振ってくれた。
「『美しい月』、今日こそ完成させたいですね」
そう言うと、美月さんは目を輝かせてうなずいた。
「そだね! あれ、絶対いい曲になるよ」
楽しそうに話すその横顔を見て、ふと思う。
——やっぱり、美月さんの隣って、ちょっと特別だ。
「次は誰の歌詞を曲にするんです?」
何気なく聞いたつもりだったけど、美月さんはニヤッと意地悪そうに笑って、
「カンナ」
と、ひと言。その瞬間、環奈の照れた顔が脳裏に浮かんだ。あのときの、目をそらして赤くなった横顔が。
スタジオに着くと環奈がベースを鳴らしながら待っていた。
「美月さん! 誠くんもおはようございます」
「おはよー!」
元気よく答える美月さんの横で手を振って見せた。
「みんな早いね」
そう言いながら、ケイタさんがスタジオに入ってきた。Tシャツに薄手のシャツを羽織り、肩にかけたスティックケースが小さく揺れている。
今日は外の陽射しが強めだったのに、汗の気配すら感じさせない笑顔。
「ケイタさん、あの……」
環奈が声をかけると、すぐに曲の相談が始まった。
彼女のベースが低く唸り、ケイタさんのドラムがそれに応えるようにリズムを刻み出す。音が重なり、スタジオの空気が少しずつ熱を帯びていく。
「アタシ、なんか飲み物買ってくるよ。マコトちゃんも行こ?」
美月さんが俺に声をかける。俺はうなずいて、ギターケースを壁際に置いた。
外に出ると、午後の陽射しがじんわりと肌を焼く。ビルの隙間から吹く風が、ほんの少しだけ涼しさを運んでくれる。
コンビニに向かう途中、美月さんは「何飲もうかな〜」と呟きながら、歩幅を合わせてくれる。自動ドアが開くと、ちょうど中からリョウさんが出てきた。
「お、なんだお前ら」
「飲み物買いに来たんだよ」
美月さんが笑って答えると、リョウさんは「そうか」とだけ言って、手を軽く振りながらスタジオの方へ歩きはじめる。少し歩くとふと立ち止まって、
「あー、まあいい曲になってきてるよ……」
と言って再び歩き出した。
「リョウくんは天邪鬼だから」
そう言って美月さんがふふっと笑う。
店内に入ると、冷房の涼しさが心地よくて、少しだけ足を止めたくなる。
「やっぱり、午後の紅茶かな……でも、炭酸も捨てがたい……」
そんな独り言を聞きながら、俺も自分の分を手に取る。レジを済ませて外に出ると、街路樹の影が歩道に揺れていた。
スタジオに戻ると、ヨネさんも来ていて、これで全員がそろった。
「みんな揃ったね、はじめようか」
美月さんがそう言うと、メンバーたちは自然と自分のポジションへと散っていく。
俺はスタジオの隅にある椅子に腰を下ろし、その光景を静かに見守っていた。
「まずは『美しい月』を通してやるよ」
そう言ったのは美月さんだったが——
「待て待て、その前に。俺のキーボードだけで歌ってくれないか?」
ヨネさんが手を挙げて制した。
「うん、わかった」
美月さんがにこっと笑うと、ヨネさんもつられるように口元を緩める。
そして、彼の指が鍵盤の上にそっと置かれた。
静かに、ピアノの音がスタジオに満ちていく。
柔らかく、どこか遠くを見つめるような旋律。
やがてコードが変わり、音の波が少しずつ高まっていく。ヨネさんが目で合図を送ると、美月さんがリズムをとりながら歌い出した。
「静かな夜に 浮かぶ月よ」
その声は、まるで月明かりのように澄んでいて、ピアノの伴奏と溶け合っていく。
誰もが言葉を飲み込み、ただ耳を澄ませていた。
サビに向かって、伴奏がぐっと盛り上がる。
そして——サビに入った瞬間、メンバーたちの体が自然と揺れた。
視線が交わる。
イメージが、音を通して共有された。ヨネさんの伴奏がふっと止まる。
「……イメージ、伝わったか?」
ヨネさんの問いに、みんなが無言で頷いた。
「サビからだな。合わせられるか?」
リョウさんが言うと、ケイタさんと環奈がそれぞれ頷いて応える。
「じゃあ、もう一回——頭からかな?」
美月さんの声に、再びヨネさんの指が鍵盤を叩く。静かなイントロが流れ出し、美月さんの歌が重なる。サビに向かって、音が重なり、熱を帯びていく。
「美しい月 君に捧げる歌」
その瞬間、他の楽器が一斉に入ってきた。
音が広がり、空間が震える。壮大なサウンドに、メンバーたちの表情が変わっていくのがわかる。
——この曲はすごい。
素直に、そう思った。胸の奥に、何かが灯るような感覚があった。
一度通して演奏を終えると、メンバーそれぞれが自分のパートを見直したり、細かく合わせたりし始めた。
「マコトちゃん、どうだった?」
美月さんの声に、ぼんやりしていた自分がハッとする。気づけば、彼女がすぐ隣でこちらを見ていた。
「……すごい曲になりそうですね」
そう答えると、美月さんはぱっと笑顔を咲かせた。
「どこか気になるところ、ある?」
「そうですね……ブリッジの“深い青の海に浮かぶ”から“光と影で描く未来”までは、ピアノ伴奏だけにした方がいいかもしれません」
そう言いながらギターを手に取り、コードを鳴らしてみせる。
「そこから間奏まで、こんな感じで盛り上げていって……」
「うんうん!」
美月さんが嬉しそうに頷く。目がきらきらしていて、まるで新しい景色を見つけた子どものようだった。
「ここでリョウさんのギターソロが入ると、すごく映えると思います」
「わかった!」
彼女は勢いよく振り返ると、すぐにメンバーを集めて試し始めた。
盛り上がったサビから一転、静かなピアノ伴奏に切り替わり、美月さんの歌声が乗る。
胸を締め付けるような切なさと、どこか遠くへ連れていかれるような透明感。
そして、リョウさんのギターソロが流れ込んでくる。
演奏が終わると、「こっちの方がいいかも」「この方向で練ってみよう」といった声が飛び交い、みんなが前のめりで話し合っている。
その様子を、椅子に座ったまま静かに眺めていた。
メンバーたちが真剣な顔で話し合いを始めると、自然と俺は輪の外に立っていた。
今は曲作りに参加させてもらっているけれど、俺はCritical Clinicalの正式なメンバーじゃない。この曲をステージで演奏することも、きっとない。
そんなことを考えていたら、少し寂しい気持ちになった。
――俺は、ここにいてもいいんだろうか。
ふと、美月さんが振り返る。柔らかな笑顔を浮かべて、俺に声をかけた。
「マコトちゃんも、それでいいと思うよね?」
その言葉に、思考が止まる。
「……はい。いいと思います」
少しだけ間を置いて、そう答えると、メンバーたちが一斉にホッとしたような表情を見せた。
その空気に、胸の氷が少しずつ溶けていく。
――ああ、俺は、ここにいていいんだ。誰かの輪に入ることが、こんなにも温かいなんて。そう思えた瞬間だった。
「じゃあ、『美しい月』はこの方向で。お披露目までに何度か合わせていこうね」
美月さんがそう言うと、メンバーたちはそれぞれ頷いたり「了解」と返したりして、自然と空気が次の段階へと進んでいく。
「では、次の歌詞は……」
環奈の声が少しだけ震えていた。顔には焦りの色が浮かんでいて、視線が泳いでいる。
「カンナ!」
美月さんの声が軽く響くと、環奈は「あああ……」と天を仰いだ。
しぶしぶといった様子で自分のカバンのところまで歩いていき、そこから一冊のノートを取り出す。
楽譜台の上にそっとノートを開くと、彼女は恥ずかしそうに一歩、二歩と後ろに下がった。
その仕草があまりにも可愛らしくて、誰も何も言わずに、ただ静かにノートを覗き込む。
「おおう、『ピンクバタフライ』……」
美月さんがタイトルを読み上げた瞬間、ふっと笑って言う。
「……“アタシのこと好きすぎじゃね?”って、また言いたくなるやつだね」
その言葉に、俺は思わず小さく笑ってしまった。確かに、『美しい月』の歌詞を見たときにも、同じセリフを口にしてたっけ。
「ばっ、ちげーし!」
リョウさんが反射的に否定する。顔が少し赤いのは、やっぱり図星なのか。
「はいっ! 大好きです!」
環奈は迷いなく、まっすぐな笑顔で即答した。その対照的な反応に、メンバーたちから笑いがこぼれる。
「肝心の中身はどうなんだよ?」
リョウさんがそう言って、環奈のノートを覗き込む。
「いつも夢に見てる 私のためのステージ」
美月さんが読み始めると、環奈の顔がじわじわと赤く染まっていく。
「届くはずがないって 笑う人もいるけど」
メンバーたちは、歌詞の言葉から曲の雰囲気を思い描いているようだった。
「そんなこと気にしてられない 自分が決めた夢だから」
美月さんは読みながら、うんうんと頷いている。
「諦められない 音楽が大好きだから」
なるほど、応援ソングっぽい感じなのかな。俺はそう思いながら耳を傾けていた。
「ピンクの蝶々 はばたいていけ」
そのフレーズを読んだ瞬間、リョウさんがぽつりとつぶやく。
「ピンクの蝶々……」
環奈がその言葉に反応して、リョウさんをキッと睨む。リョウさんは「いや、別に変な意味じゃ……」と目を逸らした。
「向かい風にも打ち勝って 金の空に舞い上がれ」
「ピンクの蝶々 はばたいていけ」
「追い風を背に受けて 虹の橋を越えて」
読み終えた美月さんが顔を上げて、ふわっと笑った。
「いいね、元気が出るよ」
「これは俺には作れねえな」
リョウさんが苦笑しながら言うと、ケイタさんがノートを見つめたままニコニコしていた。
「でも、歌にするには少し短いですね」
「でも、かわいいよ! カンナっぽい!」
美月さんが嬉しそうにそう言うと、環奈は「ありがとうございます……」と小さな声で答えながら、顔を真っ赤にしていた。
「じゃあ、曲にしていこうか」
美月さんがそう言うと、ケイタさんが口元に手を添えるような仕草で言った。
「“ピンクの蝶々”からがサビになりそうですね」
「それでいいと思うけど、1番だけか?」
リョウさんが問いかけると、美月さんは腕を組んで少し考える。
「カンナ、2番も考えられる?」
「がんばります……」
環奈は小さく答えた。その様子を、ヨネさんが静かに見守っている。そして、美月さんがこちらを振り返る。
「マコトちゃん、どうかな? 環奈の歌詞」
その瞬間、メンバー全員の視線が俺に集まった。
少しだけ緊張しながらも、俺は環奈のノートに目を向ける。
【須藤家】
須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
須藤 陽葵/15歳・中学3年生
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
【Critical Clitical】
有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
宮田 亮/22歳・ギター担当
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
ケイタ/20歳・ドラム担当
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
ヨネ/35歳・ヘルプでキーボード担当
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
【マックス】
ヒトシ/ヴォーカル担当
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
クロ/ドラム担当
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
松崎/ベース担当
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
【都立星雲高校】
芝崎/誠と同じクラス
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
中谷/誠と同じクラス・隣の席
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。




