芝崎
家に帰って、まずはシャワー。
スタジオの熱気を流しながら、頭の中ではまだ音が鳴ってる。
「ご飯できてるからねー」
風呂場の外から、陽葵の声。いつも通り、ちょっとだけ雑な優しさ。
タオルで髪を拭きながら食卓に向かうと、ハンバーグが鎮座していた。
湯気が立ってて、うまそう。
「……月か」
思わず口に出た言葉に、陽葵がすかさず反応する。
「何? お兄ちゃん、目玉焼きのせてほしかったの?」
「そっちの“月”じゃないよ。曲の話」
「あー、マックス?」
「いや、クリクリ」
「え、他のバンドまで手伝ってんの?」
「あー、流れでね」
フォークを手に取りながら答えると、陽葵は「ふーん」と言ってから、
ハンバーグを頬張りながらぽつり。
「まあ、無理しないでね。楽しくてやってるならいいと思うけど」
その言葉に、俺は少しだけ笑って、呟いた。
「今までにないくらい楽しいかも……」
すると陽葵が、口をもぐもぐさせながら俺を見てくる。
「デートと関係あるの?」
……言葉に詰まった俺を見て、陽葵はニヤリと笑った。
「やっぱりね」
ぐぅ、勘の鋭い妹だ…。
翌朝。眠気と戦いながら、パンをもぐもぐしていると――
「先に行くから、鍵かけてねー」
陽葵の声が玄関から響いて、ドアが閉まる音が続いた。
いつも通りの朝。いつも通りの妹。
鏡の前に立って歯を磨く。
あ、髪切りに行かなきゃ。前髪が目にかかってきた。
そんなことをぼんやり考えながら、制服を整えて家を出る。
登校中、前方に見覚えのある背中を見つけた。
……水橋だ。
「か、水橋」
危ない。学校でも名前呼びしそうになった。
俺の中では“環奈”だけど、周りの目もあるしな。
「何? 誠君。それにまた名字呼びに戻ってるわね」
振り返った環奈が、ちょっと意地悪そうに笑う。
「え? 学校じゃ名前呼びされるの迷惑じゃないか?」
俺の予想外の反応に、環奈はふわりと笑った。
「そんなこと、気にもしていないわ」
その笑顔が、朝の空気を少しだけ柔らかくする。
「パート分はできた?」
「そうね、一度合わせてみたい」
「今度の音合わせはいつの予定なの?」
「今週の土曜よ。誠君も来るでしょ?」
「土曜なら行けるかな」
そんな会話を交わしながら、並んで歩く。
環奈は途中から、美月さんのすごさについて熱く語り始めた。
教室に入ると、案の定――芝崎が寄ってくる。
「ほう、なかなか良い面構えになったじゃないか」
誰だよ。朝から何の審査員だよ。
「で、どこまでいったんだ?」
「は?」
「とぼけんなって、水橋と付き合ってんだろ?」
……ああ、そういうことか。
って、何勝手に話進めてんだ。
「なんだよ“そういうこと”って!」
「だから、人の心を覗くなよ!」
まあ、気になって仕方ないのは伝わってくる。
でも、別に何もないからな。ほんとに。
「だから、友達だって言ってんじゃん」
「いや、急に仲良くなりすぎだろ?」
こいつ、人のことに興味持ちすぎじゃないか?
いや、これが普通なのか?俺が鈍いだけ?
そんなことを考えていると、チャイムが鳴って先生が入ってくる。
「起立」の声が教室に響いて、みんなが立ち上がる。
「また、後で話そうな」
芝崎はそう言い残して、自分の席に戻っていった。
……後でって、何を話すつもりなんだよ。
昼休み、パンをかじっていたら中谷さんが隣に座ってきた。
「水橋さんって、普段どんな感じなの?」
いきなり核心を突いてくるな。
俺は口の中のパンを飲み込んでから答える。
「どんなって……普通だよ?」
「でも、あんなにキレイだし。お家だってすごいお金持ちって聞いたし」
「家はまあ……でも、普通の女の子だと思うよ」
――ミズハシ楽器のご令嬢で、才色兼備。
そりゃあ、誰だって気になるか。そうだな、気になるかもしれない。
「すごいなあ、須藤君はそんな人に好かれてるんだね」
「好かれてるとかじゃないよ。友達」
「まあ、興味ない子と友達になる人じゃないでしょ?」
「まあ、それは……」
うっ。言い返せない。
バンドのことも、そろそろ隠しきれなくなってきたかもしれない。
「須藤君は髪の毛切らないの?」
急に話題が変わった。助かったような、そうでもないような。
「ああ、少し切ろうと思ってるよ」
「バッサリ切らないの? 長いのが好きなの?」
「長い方が……落ち着くかな」
女っぽい顔って言われるのも嫌だし、短くすると余計目立つ気がする。
だから、なんとなく伸ばしてるだけなんだけど。
「バッサリ切ったら、みんなにも何で須藤君が水橋さんに興味持たれてるかわかると思うけどな」
中谷さんが、ぼそっと言った。
俺はその意味がよくわからなくて、ただ曖昧に笑ってしまった。
――何だろう。俺に何か、見えてないものでもあるのか?
放課後、下駄箱に向かって歩いていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「マコトー、待てって!後で話そうって言っただろ?」
振り返ると、芝崎が息を切らしながら追いかけてくる。いや、話すことなんてないけど…。
「あるよ。話すこと」
……最近、心の声が筒抜けなのがデフォルトになってきた気がする。
「まだ水橋のこと、ちゃんと聞いてないし」
「私がどうかしましたか?」
芝崎がピタッと動きを止める。
振り返った先には、制服のリボンを揺らしながら環奈が立っていた。
「み、水橋さん…」
芝崎の顔がみるみるうちに固まっていく。まるでフリーズしたNPCみたいだ。
「環奈、誰か待ってたの?」
「誠君を待ってたに決まってるじゃないですか」
さらっと爆弾発言を投下する環奈。
芝崎は「名前…」「マコト君…」と呟きながら、目を泳がせている。
「ま、マコトを待ってたなら…俺は帰る!」
そう言って、芝崎は下駄箱から逃げるように飛び出していった。靴、ちゃんと履けたのか?
「私に用があったんじゃ?おかしな方ですね」
環奈は首を傾げながら、まるで不思議な生き物でも見たかのように呟いた。
……明日、芝崎に何言われるんだろう。
いや、何を聞かれるんだろう。どっちにしても、面倒な予感しかしない。
「美月さんから、土曜日、誠君も誘ってほしいって連絡きました」
「うん、わかった」
そう言い合うと、二人は自然とそれぞれの下駄箱へと歩き出した。
カツン、とローファーの音が廊下に響く。靴を履き替え、昇降口のドアの前で再び合流すると、並んで校門へ向かう。
「……あの人、誠君とよく一緒にいますよね」
唐突な一言に、俺は少しだけ歩調を緩める。
「ああ、芝崎? まあ、友達だからな」
何だろう? 芝崎に興味あるのかな?
「なんか、あんな騒がしい感じの人と誠君って、普段どんな話するんですか?」
彼女の問いに、俺は思わず心の中でツッコんだ。最近は環奈の話ばっかりだけどな……。
「……あいつはアレで、けっこういいやつなんだよ」
そう——芝崎は、基本的にはいいやつだ。
中学の頃、「女みたいな顔」とか言われていじめられてた俺を、「マコトは俺の友達だから」って助けてくれたのが、芝崎だった。
小学生の頃の俺は、今より背も低くて、声も高かった。
上級生の女子たちに「かわいい〜」って言われて、毎日連れまわされてた。
もちろん、それ自体は楽しかった。みんな優しかったし、俺も嫌いじゃなかった。
でも——クラスに戻ると、誰も俺を見ようとしなかった。
その上級生たちが卒業すると、状況は一変した。
今度は同級生の女子が「かわいい」と言って近づいてくる。
それと同時に、男子からの嫌がらせが始まった。
「女だから」って言われて、近くの男子トイレには入れず、遠くのトイレまで行くしかなかった。
体育の着替えも「女子だから」って拒否されて、ひとりで着替えるしかなかった。
「俺は男だ」って言ったら、殴られた。
中学に上がっても、クラスメイトはほとんど変わらず、俺は目立たないように過ごしていた。
そんなある日——
「君、名前なんて言うの?」
俯いてばかりの俺に、声をかけてくるなんて珍しいやつだ。
顔を上げると、そこには笑顔の芝崎がいた。
「俺は芝崎。よろしくな」
……知ってる。学校の人気者だ。
何でそんなやつが俺に話しかけてくるのか、さっぱり分からなかった。
でも、来たときは普通に相手してた。芝崎は時々現れては、他愛のない話をしていった。
そしてある日——理由はよく分からないけど、クラスの男子に呼び出された。
言われた場所に行くと、いきなり殴られた。
逃げようにも、数人で囲まれててどうにもならない。
痛みに耐えて、じっと我慢していると——
「マコト? マコトじゃないか?」
芝崎の声が聞こえた。
俺を見つけた芝崎は、迷わず男たちの輪に入ってきて言った。
「マコトは俺の友達なんだ。勘弁してやってよ」
すると、信じられないことに——
「し、芝ちゃんの友達だったのか。悪かったよ」
……って、謝ってきた。
その日を境に、嫌がらせも暴力もなくなった。
やっぱり、人気者には敵わないんだな。
そして俺は、芝崎に心の中でそっと感謝した。
「……誠くん? 聞いてる?」
気づけば、環奈が俺の顔を覗き込んでいた。
至近距離。ちょっとびっくりする。
「何を物思いに耽ってるのかしら? そんなに退屈?」
少し拗ねたような口調。
いや、そういう言い方されると逆に焦るんだけど。
「いや、ちょっと昔のこと思い出してただけ」
「へえ、そう……」
今度は少し興味ありげな声。
でも、あの頃の話をするのは……さすがに恥ずかしい。
話題を変えよう。そう思って、ふと口にする。
「そういえば、環奈の歌詞ってどんな感じ?」
その瞬間、環奈の表情が一気に変わった。
「う……お、お楽しみというやつで……」
環奈はそう言って、そっぽを向いた。
耳まで赤くなってる。わかりやすいな、ほんと。
その反応が妙に可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
さっきまで過去のことを思い出して、少しだけ気持ちが沈んでたのに——
今は、なんだか胸の奥がふわっと軽い。
「美しい月」の完成。それに環奈の歌詞も気になる。
土曜日の練習が楽しみになった。
【須藤家】
**須藤 誠/17歳・都立星雲高校2年生**
マックスでのメンバー登録表名はマコト。
アマチュアバンド「マックス」のヘルプギタリストとして、ライブハウス「Roots」に出演中。
人前では髪を下ろして顔を隠すほどのコンプレックス持ちだが、ギターを握ると別人のように冴える。
静かな日常と熱いステージ、そのギャップが彼の魅力。
**須藤 陽葵/15歳・中学3年生**
誠の妹で、しっかり者の家庭担当。共働きの両親に代わって家事をこなすスーパー中学生。
兄の通う星雲高校を目指して受験勉強中。兄にはちょっぴり甘えたいけど、素直になれない年頃。
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【Critical Clitical】
**有栖川 美月/18歳・ヴォーカル担当**
Critical Cliticalのメンバー表登録名はミツキ。
ピンクのツインテールにオフショルダーの服がトレードマーク。派手に見えるが、整った顔立ちと圧倒的な存在感で観客を魅了する。
マコトを気に入っていて、何かと“お姉さんぶり”たがるが、時々天然。ステージでは圧倒的カリスマ、オフでは賑やか担当。
**宮田 亮/22歳・ギター担当**
Critical Cliticalのメンバー表登録名はリョウ。
レスポールを愛用するギタリスト。音とテクニックで観客の心を掴む、クリクリの音楽的屋台骨。
口が悪くて天邪鬼なところがあるが、音楽に対する情熱は誰よりも熱い。ステージでは言葉よりギターが語る。
**ケイタ/20歳・ドラム担当**
黒髪の長髪にアルカイックスマイルが印象的な、落ち着きのある青年。
正確無比なリズムでバンドを支える縁の下の力持ち。物静かだが、時折鋭い一言で場を動かすタイプ。
**水橋 環奈/17歳・ベース担当/都立星雲高校2年生**
Critical Cliticalのメンバー表登録名はカンナ。
年齢に似合わぬベーステクニックで“天才少女”と呼ばれる実力派。
高校では物静かで目立たないが、黒髪ロングの美人で、周囲からは羨望の眼差しを受けている。
マコトとは同級生で、淡々とした言動の中に時折見せる優しさが印象的。
**ヨネ/35歳・ヘルプでキーボード担当**
ミズハシ楽器の社員で、店内では“そこそこ偉い人”として知られる存在。
スーツ姿じゃなくても漂う落ち着きと余裕――その佇まいは、まさに“大人の男”。
クリクリの音に心を動かされ、自ら「手伝わせてほしい」と申し出た。
年齢も立場も違うのに、スタジオでは誰よりも柔らかく、誰よりも鋭く音を見つめる。
時に冗談を交えながらも、音楽に対する姿勢は本物。
「拗ねるとちょっと面倒」と噂されるが、それも含めて愛されている存在。
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【マックス】
**ヒトシ/ヴォーカル担当**
マコトをバンドに誘った張本人で、明るくポジティブな兄貴分。
ライブでは観客を巻き込むパワー型フロントマン。マコトにとっては頼れる先輩であり、良き理解者。
**クロ/ドラム担当**
ヒトシの相棒で、落ち着いた雰囲気の大人っぽいドラマー。
言葉少なめだが、演奏ではしっかりとバンドを支える。マコトのことも静かに見守っている。
**松崎/ベース担当**
寡黙で無口なベーシスト。だが、マコトのことをよく気にかけてくれる優しい一面も。
演奏中の安定感は抜群で、マックスの土台を支える存在。
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【都立星雲高校】
**芝崎/誠と同じクラス**
顔良し、友達多し、ノリも軽い。高校生活を全力で楽しむタイプ。
なぜか誠に絡んでくることが多く、軽薄な口調ながらも憎めない存在。
**中谷/誠と同じクラス・隣の席**
素朴で可愛らしい雰囲気が魅力の女の子。男子から密かに人気があるが、本人はあまり気づいていない。
誠とは隣の席で、時折交わす会話がじんわりと心に残る。
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【市田楽器店】
市田/市田楽器店の店長
穏やかな笑顔と落ち着いた声がトレードマークの、街の楽器店の店長さん。
誰にでも優しく、従業員や常連からの信頼も厚い。
リョウのバンド活動を陰ながら応援してくれており、時にはアドバイスをくれることも。
戸田/市田楽器店・アルバイト
高校時代から市田楽器店で働いている、元気で世話焼きな女性スタッフ。
リョウとは同い年ながら、バイト歴ではちょっぴり先輩。
Critical Clinicalの大ファンで、ライブにはほぼ毎回顔を出している。




