第76ターン目 トラウマを 克服しろ
硫黄の香り、ボクはその臭いに強烈な覚えがあった。
可燃物なくしてダンジョンを焼き焦がす粘性のある火炎。
あのマグマ石を思わせる赤い威容に、ボクは顔を青くする。
「ちょっとマール、震えているわよ」
「うー……!」
「カスミが警戒しだした?」
「ち、近くにレッドドラゴンがいます……!」
レッドドラゴンという言葉にパーティには緊張が走った。
クロは直様鼻を鳴らして、脅威の在り処を探った。
「風下? 臭いは風上から……危ないにゃあ!?」
クロは川上を見上げた。
直後、大きな翼を広げた赤き竜が、飛来する!
「グオオオオオオオオ!」
「皆さん逃げて!」
「うー!」
ボクは直様皆に号令を出した。
一番鈍くさいボクは、カスミさんが抱きかかえ、その場から退避する。
ズドォォンと、サバンナの大地に着陸すると、粉塵が跳ね上がった。
ボクの十倍以上はある巨体、2階建ての民家よりも大きいドラゴンに、ボクは震えが止まらなかった。
「ま、まさか……もう第三層にまで来ていたのか」
間違いなくこのレッドドラゴンはボクが第四層で遭遇した個体だ。
レッドドラゴンは唸り声を上げると周囲を伺う。
ボク達はレッドドラゴンを取り囲んでいるが、それを有利だとは思わなかった。
レッドドラゴンの力は全ての魔物の中でも最上級に分類される。
今まで数多の冒険者の命を飲み込み、焼き滅ぼしてきた。
一度地上に出れば、街の脅威となるのは間違いない。
怖い、あの《ファイアブレス》が怖い、あの強靭な前足の爪が怖い。
あの大きな瞳がたまらなく怖い……でも。
「レッドドラゴンまで地上を目指しているのか……」
「にゃあん……こんなのが地上に出たら火の海にゃあ」
「それだけは、させない!」
ボクは錫杖を強く握る。
震えはやっぱり止まらないけれど、それでもボクは気丈にレッドドラゴンを睨みつけた。
「マール、撤退を進言するわ!」
「魔女さん! それではレッドドラゴンが地上に!」
「状況が悪いって言ってんの! このままじゃ!」
「ギャオオオン!」
レッドドラゴンが翼を広げる。
飛ぶつもりか、羽ばたく風圧にボクは吹き飛ばされた。
「うわぁ!」
「マル君!?」
「ちぃ! 来るぞ!」
レッドドラゴンは僅かに浮遊すると、周囲に《ファイアブレス》を撒き散らした。
硫黄のような強烈な刺激臭が鼻をつんざく。
あっという間にサバンナは火の海へと変わった。
「う……ぁ」
「しっかりするにゃん主人! ダンジョンを制覇するんでしょう!?」
「そ、そうだけれ、ど……!」
駄目だ、一度目の恐怖がまだ拭えないのに、それに打ち勝つなんて出来る訳がない。
逃げる? 逃げられるならば逃げたい……だけど。
「グウウウウウウウウウ!」
レッドドラゴンの黄色い瞳がボクを映していた。
直後、レッドドラゴンが急接近する!
「うわぁ! うわあああっ!?」
「ちぃ! アリアドネの糸よ、奴を縛り上げるにゃあ!《捕縛の糸》!」
レッドドラゴンに絡みつくアリアドネのより糸。
しかしその程度でレッドドラゴンは止まらない。
激しく暴れると、ぶちぶちとより糸は引きちぎれていく。
「ああもう! 最悪よ! やるなら全力でやってやる! 《大氷雪の嵐》!」
魔女さんはドラゴンの後ろから猛吹雪をぶつける。
レッドドラゴンの属性を考慮して、氷属性をぶつけたのだろう。
だが、レッドドラゴンはそれさえも跳ね除けた。
「ギャオオオオオオオッ!」
「カム君危ないっ!」
「えっ……?」
ズドォォォン!
レッドドラゴンは周囲に凄まじい熱波を放った。
《体内放射》とでも言うべき、レッドドラゴンの技。
間一髪魔女さんを勇者さんが熱波から庇った。
熱波はボクにまで襲いかかったけど、ボクは必死に豊穣神様に祈祷を捧げ、聖なる壁を唱える。
「くぅ! 赤竜の力は底無しか! だが舐めるな!」
ハンペイさんは飛び上がると、レッドドラゴンの顔面にむけて【シュリケン】を投げつける。
シュリケンはレッドドラゴンの顔に突き刺さり、ドラゴンは嫌がるように首を振った。
「赤竜といえど無敵ではあるまい! 弱点さえ突けば―――ごぼっ!?」
追撃を仕掛ける、しかしレッドドラゴンの強烈な尾がハンペイさんの身体をくの字に曲げて吹き飛ばした。
「うー!」
カスミさんは、全速力でハンペイさんの下に向かい、吹っ飛ぶハンペイさんをなんとか受け止めた。
ハンペイさんは大ダメージを受けているが、まだ無事のようだ。
「うー」
「す、すまんなカスミよ、某なら大丈夫だ」
「うー!」
カスミさんは兄の強がりを否定するように、俵めいて肩に担ぐと、直様ボクの下に戻ってくる。
そしてボクの前に俵めいて、ぶっきらぼうに降ろした。
「痛っ! 扱いが雑じゃないかカスミよ!?」
「うー」
カスミさんは屈むと、ボクの震える手を掴んだ。
その瞬間、ボクの身体に電撃が走った気がした。
氷のように冷たい掌、それでもその心の暖かさはボクの凍りついた勇気を暖めてくれたようだ。
「ボ、ボクは……」
「治癒術士殿?」
「守り、癒し、救い給え……そうだ、ボクは何をやっているんだ」
ボクは自分の心の弱さを恥じた。
レッドドラゴンを見て、思考が滅茶苦茶になって、結局なにも出来ないままで。
それでも、カスミさんはボクに暖かさを与えてくれた。
彼女は臆していない、そしてボクを信じてくれている。
ボクは直様、ハンペイさんの前で屈み、錫杖を握り込んだ。
今度は穏やかに、豊穣神様の慈しみを信じて。
「豊穣神様、この哀れな子羊にもう一度勇気をお与えくださいませ、《治癒》」
錫杖から溢れる淡い癒しの光は、ハンペイさんの傷を癒やしていく。
ハンペイさんは、拳を握り、自分の身体を確認した。
「かたじけない治癒術士殿、それとカスミよ」
「うー」
「ボクの方こそ、カスミさんありがとうございます」
ボクの手はもう震えていなかった。
レッドドラゴンは怖い、それでもボクはもう震えないぞ。
ボクは治癒術士だ、傷ついた仲間の前で震えているなんてごめんだ。
「ハンペイさん、レッドドラゴン相手に時間は稼げますか?」
「可能だとは思うが、どうする気だ?」
ボクは汗を垂らしながら、微笑した。
「勝ちます」




