第61ターン目 魔女の祈り
「アッハッハ! 哭け! 慟哭しろ! 涙を啜り、お前たちの血で喉を潤そう!」
なんて、なんてらしくない演技だ……っ。
ボクは熊みたいな体格の冒険者に引っ張られ、その場から後退する。
魔女さんはわざとボクをこの冒険者達に引き渡して、地上へ帰還させるつもりだ。
その為に悪役を勝手に買って出て、あんな臭い台詞まで。
ボクは悔しくて、涙を零し、手を握り込んだ。
「畜生め! レッドドラゴンの調査してこいって言われただけなのに、なんなんだあの魔物は!?」
兎獣人の男は、悪態を吐く。
だけどその中に聞き捨てならない言葉が混じっていた。
「れ、レッドドラゴン……まだ、討伐されていないんですか?」
「あぁ、第四層で現れたって話で、それを確認してこいってギルドに言われてな」
「ああもう本当にこんな貧乏クジなら受けんじゃなかった!」
直後、炎の矢が兎獣人の頭上を掠めるように飛来する。
少し耳を燃やした兎獣人は、完全にビビって頭を手で隠し、その場で伏せてしまう。
「お、おいっ、こんなところでグズつくな!」
「む、無理だよ、俺ぁただの探索担当だ。アンタこそ戦闘担当だろ、アイツをなんとかしてくれよぉ!」
「……ッ! 大の大人が泣き喚いて恥ずかしくないんですかっ!」
ボクはもう頭の中ぐちゃぐちゃで、ついに大きな声を出してしまった。
呆然とする冒険者の二人、ボクは大粒の涙を零しながら、兎獣人を両手で無理矢理立たせた。
「嬢ちゃん、泣いているじゃねぇか」
「無理もない、あの化け物に無理矢理連れ回されたようだ……大人の俺たちでさえ恐怖しているんだ」
無理矢理? 勝手なことを言わないでくれ。
無理矢理じゃない、いろんなことがあって、助け合って、笑い合って、最高の冒険をしたんだ。
それなのに……魔女さんは、冒険はここで終わりと告げている。
こんなの、こんなの絶対おかしい!
だけど、ボクはそれを声には出来ない。
魔女さんの想いを裏切るなんて、ボクには無理だ。
「にゃあ! 主人、さっさと後退するにゃあ」
「クロ……? クロは本当にいいの?」
「主人、別れには突然過ぎたかも知れないにゃあけど、それが冒険者にゃあ」
冒険者である限り、突然起きること。
それが別れだ。だけど別れは同時に出会いである。
悲しい別れも必ずある。ダンジョンで死に、死体さえ回収出来ないことだってある。
あるいは病気で、不意の事故で、冒険者とは死を恐れぬ職業とはいえ。
「うー」
「キョンシーさんも」
「お、おいっ! そいつゾンビじゃあ!?」
「キョンシーさんは、今はアンデットですが、人は襲いませんし、治療が必要なんです」
「事情はなんとなく分かった……一先ず二層まで後退するぞ!」
「……ッ!」
ボクは錫杖をぎゅっと握り、この冒険者達に付いていく。
クロもキョンシーさんも、納得しているのか。
ボクだけが納得していないのか。
ボクはこんなにもわがままだったのか、ボクは足を止めると、後ろを振り返った。
「お、おい嬢ちゃん、あの魔女が来ねぇとは限らねぇ、こっちに……!」
「……ボクは……ッ」
その時、隠れるように木の上に勇者さんがいた。
勇者さんは無言で胸を叩き、手を前に出した。
あれは、人を送り出す時のジェスチャー。
「そう、ですか……貴方も、行け、と言うんですね……!」
「主人!」
「ごめんクロ、行こう!」
勇者さんも、魔女さんも、冒険はもういいのか。
ボクだけが、あの愉快で楽しかったパーティに未練があるのか。
でも勇者さんは、ボクを地上に送り届けることが目的だった。
魔女さんは、そんな勇者さんが信用出来ず、監視する名目で同行したんだ。
そうか、ボクだけが冒険していたんだ。
だから……受け入れられなかった。
ボクは冒険者だったから、こんなにも彼らが遠いのか。
「うー」
「キョンシーさん、励ましてくれるんですか?」
「うー」
キョンシーさんは、多分元冒険者だ。
だからボクの気持ちが少し理解してもらえるのかな?
とにかく地上を目指すしかない。
「皆ー、どうしたのー?」
随分間延びする喋りの大男が、大量の荷物を持ってこちらに向かってきた。
頭から小さな角が生えた牛獣人の男性だ。
頭目と思われる熊のような大男は、そんな牛獣人にまくし立てた。
「おい、地上に戻るぞ! 二層にいる奴らと合流だ!」
「ええっ? やっと第三層に到着したのにー、もー」
「やべぇ魔物が現れたんだよ! レッドドラゴンと同級かそれ以上の!」
「ギルドに報告義務がある! 行くぞギュータ」
「もー!」
ギュータさんは、牛獣人らしく筋力はあるけれど、のんびり屋のようだ。
その背中にはとても大きなバックパックが背負われていて、中には食料やテント等が詰められているようだ。
その日帰りを想定していない装備。
「貴方がたは、もしかして中級冒険者ですか?」
「あぁ、察しの通りそれなりにベテランって奴さ」
そう言って、服の内側に隠してあった銀勲を取り出すと、冒険者はにかっと笑った。
やっぱり中級だ、ちょっとボクの想像する中級とは違うけれど。
レッドドラゴンの出現、中級冒険者が捜索に出る事態になっているのか。
ボクの全てを変えた張本人はまだ、どこかにいる。
§
「マール、ちゃんと地上で元気に頑張りなさいよ……ぐす」
魔女は周囲を燃やし、マール等を無事撤退に追い込むと、トンガリ帽子を深々と被った。
その頬には滴が垂れており、彼女はそれを隠すようだ。
丁度空からは雨が降り出し、燃え盛る密林を鎮火していく。
ダンジョン内の自浄作用か、今はありがたいとだけ、魔女は雨を受け入れた。
「ねぇ、泣いているの?」
「鎧の悪魔……泣いてないわよ」
「泣いても良いと思うよ、別れは寂しいもんな」
「アンタ……」
「俺さ、泣けないんだよ、兜だから……【リビングアーマー】だからさ?」
鎧の悪魔の心は泣いている。
マールと同じように、冒険がこんなところで終わったことはやっぱり寂しい。
それは魔女も一緒だ、心のどこかで魔女も地上に出たいという気持ちがあった。
既に魔物となった身では、誰も歓迎はしないだろうが、それはそれ。
一人世界を旅するのも悪くないだろう。
だが、やっぱりこれが魔物の末路か。
魔女はただマールの無事を祈った。
「魔導神様、こんな魔物の分際で貴方に祈ることお赦しください。どうか私の代わりに最も親愛なる友の無事を祈ってくださいませんか?」
魔女は両手を合わせ、己の神に真摯な祈りを捧げる。
だがもしこの祈り魔導神が聞けば、魔女を叱っただろう。
お前がそれを一番に願わなければ何になる。
魔女の心は少しだけ神にも縋りたいと思えるほどに弱っていた。




