第41ターン目 感染する ナイトメア
マール一行で一番最初に目を覚ましたのは、クロであった。
いや、クロが目覚めた時には、すでに鎧の悪魔は起きている。
起きている……には語弊があるか、彼は一度とて眠っていない。
眠れないが正しいのだ。
「クロ君おはよー」
「にゃああ、おはようにゃあ……て、本当に朝かにゃあ」
猫故にクロの体内時計は正確だが、クロにも今が朝かは定かではない。
それよりもだ、クロは傍でぐっすり眠る主人を見た。
マールはあどけない寝顔で眠っている。
「クロの方が先に起きるの初めて見たかもー」
「本来ならアタシの方が早起きにゃあ」
クロは一日の大半を眠っていることも多いが、本来ならマールよりも早起きだ。
彼女はのんびり毛繕いを始めると、主人の目覚めを待った。
「ん……ふあ、もう朝?」
クロは顔を上げると、トンガリ帽子で顔を隠した魔女が、声を出した。
魔女は帽子を持ち上げると、周囲を窺った。
「……て、ダンジョンで昼夜は判別出来るわきゃないか」
「おはようカム君、よく眠れたー?」
「お陰様でね……あれから何かなかった?」
「いや、皆が眠ってから静かなもんだったよ」
「そう、それなら良いんだけど」
魔女はゆっくり腰を上げ、立ち上がると水場に向かう。
十分な量の水が貯められた天然の瓶、魔女は両手で水を掬うと、顔面にぶっかけた。
「ふぅ、気分さっぱりねー」
「うー……」
「あら、どうしたのキョンシー?」
この中でもう一人眠る必要がない者がいる。
それがキョンシーだ、キョンシーは睡眠が必要ない。
それ故に彼女もまた、主人であるマールをただ見守っていた。
キョンシーは小さく唸ると、視線はマールに注がれていた。
「そういや、マールったらまだ眠っているわね、ふふ、可愛いらしい寝顔、食べちゃいたいくらい」
「キョンシー、魔女に一発良いの入れるにゃ」
「うー」
魔女はぎょっと顔色を変えるが、キョンシーは唸るだけで応じない。
「じょ、冗談に決まっているでしょうがっ」
「カム君だと微妙に冗談に聞こえないよー」
「くっ……ユーモアが通じないなんて」
魔女は悔しそうに拳を握った。
マールが可愛いと思ったのは事実だが、流石に手を出すつもりはない。
クロもクロで、過保護なものだ。
クロはマールを守るように、動いた。
「うー」
「もうさっきからなんなのにゃあ? キョンシー、一体どうしたにゃあ?」
なんだかキョンシーの様子がおかしい。
キョンシーは立ち上がると、マールの傍に腰掛ける。
そのままキョンシーはマールの頭を優しく撫でた。
「キョン君珍しいねー、マル君がそんなに大切なんだ」
「うー……」
「なんか様子が違うわね」
キョンシーの様子はどこかおかしい。
なんだか哀しそうにマールを見守っている。
不審に思ったのはクロだ、クロはマールの顔面に猫パンチを放つ。
「こら主人、さっさと起きるにゃあ!」
「……ううん」
しかし猫パンチを顔面に受けてもマールが起きない。
徐々に魔女や鎧の悪魔にまで不安は伝播する。
「ちょっとマル君? 寝坊助は損だよー、起きよーよー」
「………」
起きない。不安は確信に変わると、魔女はマールの傍に寄って、その顔を覗った。
「マール、もしかして何か状態異常に掛かっている?」
「状態異常かにゃあ? マールは状態異常には掛かりにくいけどにゃあ……」
「豊穣神の加護ね、けど掛からない訳じゃないでしょう、実際メガゾンビの《呪いの息吹》は効いた訳だし」
マールの状態異常耐性は少しだけ高いが万全ではない。
しかしだ、問題は一体彼の身に何が起きている?
それが不明では打手がない。
「主人! しっかりするにゃあ主人っ!」
焦燥するクロ、マールの身体を小さな手で必死に揺らすが、彼は瞼を開くことはない。
一行の顔には深刻さが増していく。
「マル君……君がいなくなったら俺達の冒険は終わっちゃうよ?」
元々、このメンバーはマールの地上脱出を手伝うように集まったのだ。
鎧の悪魔も、魔女も、マールがいなくなれば、一緒にいる理由はない。
このパーティはマールありきなのだから。
「……食事、クロも食べたわよね?」
「え……食べたけど、それがどうしたのにゃあ?」
「キョンシーも食べていたわね確か……だとするとコカトリスの肉に問題はない?」
「まさか食事に原因があるっていうのカム君?」
魔女はそうではないかと分析している。
だがマールだけに症状が出るだろうか。
魔物である魔女や、キョンシーには症状が出ない?
だが使い魔であるクロに出ないなんてあるのだろうか。
魔女は食事が原因という線は、一旦切り捨てる。
他に原因があるとすれば。
「まさか……水?」
魔女は水場に駆け寄ると、水瓶を覗いた。
一見すれば綺麗な水、濁り一つない。
彼女は水を手で掬うと、魔法を唱えた。
「我が前に真理を晒せ、《看破》!」
魔女が魔法を唱えると、彼女の手元の水が光り出す。
その中には、小さく蠢くなにかの姿があった。
「これは……もしかして【ナイトメア】?」
「ナイトメアってー、確か悪夢を見せるっていう魔物だっけ……でもその姿、実体を捉えた者はいないってー」
【ナイトメア】、夢の中に現れ、人を襲う魔物の一種であるが、この種は未だ謎が多い。
出現条件がまず不明で、これまでこのダンジョンでも発症例は僅か数例。
一説では夢から感染するとも謂われているが、魔女はこのナイトメアについて、異なる知見を有している。
「ナイトメアは、ボウフラのような物よ、通常は実害もないほどか弱い……けれどある条件が満たされると、感染するの」
「感染……かにゃあ?」
「ナイトメアの正体は極めて小さな細菌よ」
その言葉に流石のクロも愕然とする。
なら、マールはナイトメアに感染した?
それならナイトメアの駆除方法は?
「この水は駄目ね……煮沸消毒するしかないわ」
「マールは水から感染したのかにゃあ?」
「えっ? でもそれならクロ君は、カム君だって水を飲んだでしょ?」
然り、条件は一致する。
だがここで一致しないのは。
「マールだけ人族ってことよね?」
ナイトメアは人族にしか感染例はない。
獣人族や半人族にはナイトメアに襲われたという報告例はないのだ。
「それじゃあ対処法はなんなのにゃあ!?」
「マールの心が強ければ、彼自身が対処するでしょうけど」
クロは顔を真っ青にする。
誰よりもマールの事を知るクロが、どうして安心出来るだろうか。
だが、魔女の言に、即刻動いたのはキョンシーだった。
彼女はナイトメアに汚染された水瓶に顔を突っ込むと、そのままマールの傍に駆け寄り、パタリと重なるように倒れた。
「キョン君……? 一体何を……?」
「まさか……マールの夢に潜入するため、自らナイトメアに?」
キョンシーの思惑はわからない。
ただ、彼女のマールを救おうという意思は、本物だということだ。




