第4ターン目 治癒術士は 不意を突かれた!
「……な、なんですか、あれ?」
ボクは見たこともない魔物に顔面を蒼白にし、全身を情けなく震わせた。
クロは無言で尻尾をピンと立たせ警戒を強める。
いざという時は飛びかかってでも退路を確保するつもりだろう。
まだ残り少ない精神力じゃ、恐らく一発魔法を撃てれば上等、その一発も等級は下がるだろうけれど。
「マル君後ろに下がって」
一方でリビングアーマーは腰に差してあった鞘から剣を抜く。
戦士ガデスの使っていた剣と比べると所々錆や刃こぼれのある粗末な長剣だ。
「そ、そんな武器で未知の魔物と?」
ボクは呆然自失する気分だった。彼はボク以上に装備がやばい、はっきり言って貧弱だ。
全身を構成する鎧もよく見ると、錆びていたり、苔が生えている。
相当の年月を生きたリビングアーマーなのか、経年劣化ははっきりしていた。
「あぁ、だいじょーぶ、大丈夫! 今まで問題なんてなかったしー」
兜だけ後ろを向ける自称勇者、安心させるように笑っているのだろうか?
しかし、その直後――。
バシュウ!
「……え?」
随分間抜けな声が出たと思う。
何か音がしたと思うと、自称勇者の頭が吹っ飛んだ。
中身の無い古ぼけた兜だけが弧を描く。
彼の間抜けな声が、その場を一気に緊張へと誘った。
「うわぁ、視界が不規則回転するー!?」
「クロっ、警戒して!」
「にゃあ! 主人こそいつでも逃げられるように――っ!?」
再びバシュウ! という音。
クロはその場から飛び退く、一瞬遅れてクロのいた場所が高圧縮された《水鉄砲》で撃ち抜かれた。
「グ、ウウウウウウアアアアアアアアアアア!」
攻撃魔法を放ったのは、道を塞ぐ女性の姿をした魔物だった。
魔法を扱える、警戒するべき懸念、ボク達は不用意に彼女の間合いに踏み込んでいたんだ。
「マル君、クロ君でもいいから、兜! 取ってくれない!?」
「チッ、にゃあ!」
クロが駆ける。
舌打ちが指すように、本当は嫌だが、高い知能を持つ使い魔としての合理的判断が、感情を殺したのだろう。
魔女のような魔物はクロに狙いを付ける。
ボクはやばれかばれ、魔法を唱えた。
「クロはやらせないっ! 慈しき豊穣神の聖なる神心よ、我らに力を《聖なる壁》!」
ボクは光り輝く薄っぺらい一枚の壁を生み出す。
「おおっ、凄いねマル君ってば!」
「あうううううっ!」
しかし、彼女の放つ《水鉄砲》を一発二発と受け止めたところで、聖なる壁にはひび割れが入った。
「はぁ、はぁ……く、杖がないとやっぱり……っ!」
「鎧馬鹿っ! 主人をお願いにゃあ!」
クロは遠くにふっ飛ばされた自称勇者の兜に追いつくと、それを全力の後ろ蹴りで蹴り飛ばす。
「ぎゃああああ! また回転するー!?」
コミカルな悲鳴を他所に、彼女は次の魔法を放とうとしていた。
よく見ると、彼女は古めかしい杖を両手に持ち、その周囲には七色の可視化した【魔力の素】が浮かんでいる。
人族の魔法使いの次元を越えている。
こんな化け物みたいに強い魔物もいるのがダンジョンか!
「ワタシニチカヨルナァァァァァ!」
「……え?」
彼女が持つ杖の尖端に炎が宿る。
彼女は大きく杖を振りかぶり、そして杖を大きく振り下ろす。
杖から勢いよく放たれたのは凶悪な《火の玉》、ボクの貧弱な聖なる壁じゃ保たない!
ガッシャアアアアン!
聖なる壁が音を立てて決壊する。
今ごっそりと自分の中から精神力が持っていかれたのを全身の倦怠感で感じ取る。
火の玉は着弾と同時に、広範囲に炎をばら撒く。
ボクは即座に邪魔だった錫杖の残骸を放り捨てると、両手で目と口を塞いだ。
直後高温の熱波が襲いかかる。
「うぐぅ!?」
「間に合った。そしてもう大丈夫だよ」
ゆっくりと目を開く、するとそこには立派な鎧を纏った優しい顔をした勇者様が立っていた。
ボクは思わず目をパチクリ瞬く、一瞬でそこにいたのは見すぼらしい鎧の魔物に早変わりしている。
そんな筈はない、勇者様がボクを助けてくれるなんて、ボクは自分の恥ずかしい妄想に顔を真っ赤にした。
「さて、俺は勇者だからねっ。悪い魔女には退場してもらうよっ!」
「ウウウウウウ! マタキサマカ! チカヨルナバケモノ!」
「ま、待ってください! あ、あのその!」
慌てて自称勇者を止める。
ボクは改めて目の前の魔物をじっくりと見た。
漆黒のトンガリ帽子、脱色したような白髪はだらしなく伸び、青白い肌はこの世のものとは思えない魔性の色をしている。
成熟した女性というか、目のやり場に困る豊満な胸は上半身を包む魔法衣から突き出しているが。
正直言えば怖い、彼女の放つ魔法はどれも初級の攻撃魔法ばかり。
なのに、凄い威力で、命が幾つあっても足りない。
彼女の身の丈と同等の大きさの杖は、きっとボクなんて魔法を使わなくても簡単に撲殺出来るだろう。
怪物だ、魔物は危険である――常識が強く警鐘を鳴らす。
それでもボクの理性が、ボクをボクに育ててくれた倫理が、ボクにちょっとだけ勇気を与えてくれた。
「お願いします! 話を聞いてください!」
ボクは彼女の前で両手を地面に突ける。
無抵抗の証、彼女は唸り声をあげながら怪訝な顔をした。
「ボク達は地上に戻りたいだけなんです! 貴方に危害を加えるつもりは……!」
「バケモノ……ナニヲイッテイルノ? バケモノメエエエ!」
「あぶないマル君!」
ボクは精一杯の誠意を見せた。
けれど彼女は攻撃を続行する。
勇者さんは飛び出すと、彼女に斬りかかった。
「はあああああっ!」
「コンドコソキサマヲー!」
彼女は風を起す《風起こし》が彼を吹き飛ばした。
「立つにゃ主人! 魔物は人に害するだけにゃあ!」
「で、でも! 彼女意思があるんだ! ボクたちをバケモノって」
「にゃああ、いい主人? 化け物の定義なんてその存在でいくらでも変わるのにゃ、野生の猫からしたら人間だって立派な化け物にゃあ」
人間は理解の出来ない物に本能的な恐怖を覚える。
ドラゴンは怖い、ゴブリンだって怖い、スライムだって怖い。
怖い化け物を総称して【魔物】なんて呼んでいるという一説があるくらい。
でも……。
「本当に化け物は化け物なのかな?」
「にゃあ? 落下の衝撃で頭でも打ったかにゃあ?」
「こ、怖いこと言わないで!」
今も魔女の怪物と見窄らしいリビングアーマーが一進一退の攻防を繰り広げている。
彼、自称勇者さんは純粋に強い。
この階層の魔物相手でも一歩も退かない姿は、本当に勇者にも思える。
きっとこのダンジョンでも相当強い魔物なんだろう。
つくづくダンジョンは冒険者に強い殺意を向けてくるようだ。