第189ターン目 暴走 キョンシーの闇
「うー……っ」
そのネクロな翠眼はシャナを見つめていた。
見惚れるほどの凛とした美しさの中に内包された荒々しさ。
アシュラ族の身体能力に一切驕ることなく鍛えられた技たち。
なにもかもが――カスミを超越している。
こんなにも敵わないと思ったのはいつ振りだろう。
あぁ、そうだ。昔々エルフの里で、兄者と大喧嘩した時だ。
兄ハンペイは天才だった。
エルフの里は代々忍びを排出し、将軍家に仕えるが、その中でもハンペイの実力は抜きん出ていた。
対して妹のカスミは、ニンジャとしては平凡もいいところ。
実際は底辺の落ちこぼれであった。
家族の誰もカスミには期待しない、さっさと嫁入りを期待されたほどだ。
それが嫌で嫌で兄と大喧嘩した。
――私は兄様ほど優れたニンジャじゃない!
兄はカスミも認めるほど優秀、自分は愚につかぬ凡愚そのもの。
里の文化が嫌だった、里の空気が嫌だった、なにもかもが窮屈で嫌だった。
だからエルフの里を出奔したんだ。
絶対に追ってこれないような遠い場所へ行こうと、いつも通り行き当たりばったりで。
船に乗った時は、お金がないから水夫に混じって働いて、本で読んだことしかない西の大陸に辿り着くと、彼女は冒険者になった。
最初は痛快な気分だった。
ニンジャの落ちこぼれと言っても、一般からすれば優秀な武闘家だ。
エルフの身でありながら華麗に戦う姿から、カスミの評価はどんどんと上がっていった。
だがその栄華も一瞬で過ぎ去った。
ダンジョン第六層天井都市で、魔物の群れに包囲され、パーティは全滅、カスミも遂には果てた。
そこからは彼女の記憶はぼんやりとしている。
――もう大丈夫ですよ、お怪我は…っえ?
少女のような少年が優しく微笑んだ。
兄とは違う、いや誰とも違うその姿に、カスミはときめきを覚えた。
マール、カスミの傍にずっと寄り添う小さな少年。
彼は健気にシャナに意見を真っ向からぶつける。
自分は……なにをやっている?
シャナは強い、兄よりも。
また逃げるのか……心の中にいる弱い自分がそう問いかける。
――やだ、いやだ、逃げない。
じゃあどうする、かないっこないよ?
弱い自分は怯えてどうしようもない。
カスミより強い奴なんていくらでもいる。
一番になりたいなんて思わなかった。
ずっと自分は落ちこぼれ、誰かの影。
シャナが眩しい、こうなりたいってなってしまう。
「カスミさん、貴方は強いです」
マールがカスミの肩に手を掛けた。
カスミは無言でマールを見つめる。
この人はカスミにとっての将軍様だ。
はじめてときめき、そしてこの人を守りたいって思えた。
それは庇護欲なんだろうか、カスミにその感情はまだ早い。
ただ、彼の声援には応えかった。
「うー!」
もう身体は保たないだろう。
それでも立ち上がる。
もう自分の為じゃない、マールの為、でも本当は。
「クハハ! さぁお前の闘志燃やし尽くせ!」
シャナが迫る。
カスミは防戦一方だ。
実力差を覆すのは難しい。
呼吸強め、全身全霊の一撃も失敗し、もう後はない。
ドスゥ! 強烈なボディーブローがカスミの土手っ腹に突き刺さった。
カスミは喀血、膝から崩れる。
もう……このまま倒れた方が楽じゃないだろうか。
どの道シャナに何の手があるだろう。
悔しい、悔しい悔しい悔しい!
「う、うー!」
踏みとどまる。
執念が、羨望がカスミをケモノめいて唸らせた。
負けるの嫌い、勝ちたい、でも現実は非常だ。
「うー!」
カスミはハイキック、しかしシャナも同様にハイキック。
膂力ではシャナに勝てない、倒れたのはカスミの方だ。
「カスミさーん!」
寸ででカスミは踏みとどまった。
まただ、彼の声はよくよくカスミの閉じこもった魂に響いてくる。
「ククク、どうしたその程度か、なら少し手助けしてやろう」
「な、なにを?」
シャナの手がカスミの頬を優しく撫でた。
彼女は悪辣に微笑むと、額に貼られた呪符に手をかける。
まさか、マールはそれを止めようと飛び出した。
だがシャナは呪符をいとも簡単に引き剥がしてしまう。
「うぅぅ、あああああああああああっ!!!」
瞬間――カスミの感情が暴走を始めた。
「な、なんてことを!?」
「クハハハ! さぁキョンシーとしての制御が外れた! 見せてみろ、お前の本性!」
「ガアアアアアアアッ!」
カスミは風のように飛び出すと、シャナに襲いかかる。
それを見てマールは、ハンペイは戦慄する。
「これがカスミの姿だと言うのか!?」
「カスミさん……それを返してください!」
「嫌だね! まぁ見ておれ、ふん!」
ケモノと化したキョンシーはシャナに組み付くと、力まかせに振り回す。
だがシャナは冷静にカスミの暴力をいなした。
「ククク、素晴らしいパワーとスピード、だが!」
シャナの妙技は凄まじい。
ケモノを、キョンシーを近寄らせまいと、独楽のように回転する。
「なにあれ! 見たことない技だわ!」
魔女が驚愕する技、シャナは一瞬で数十発に及ぶ蹴りをキョンシーに叩き込んだ。
「これぞ《旋風蹴》!」
「うがあああああっ!」
キョンシーは禍々しい咆哮あげた。
空気がひりつく、暴走したキョンシーは壊れるまで破壊しつく。
それを誰よりも心配したのはマールだった。
「カスミさん、このままじゃ貴方の方が」
キョンシーとシャナの攻防は一進一退であった。
キョンシーの無尽蔵の力技はシャナをも脅威に晒す。
だがシャナは狂喜し、それを迎え撃った。
「クハハハ! 楽しいぞキョンシー! だが、その程度でこのアッシをやれると思うな!」
あくまでも磨き抜かれた技で立ち向かうシャナ、そこには一切の影も差さない。
ドス黒い闇と神々しいまでの光がぶつかっている。
マールはそれじゃ駄目だ、首を振った。
「カスミさん、ボクの声を聞いてー!」
「うううう!?」
「闇に飲まれるな! 冷静になれ! ボクが支えるからっ!」




