第172ターン目 治癒術士争奪戦 終幕
「バッツよ、本気で我に立ち向かうつもりか?」
「マル君をはい、そうですかって持っていかれる訳にもいかないからねー」
「勇者さん……」
ヴラドさんはしばし沈黙、しかし直ぐに目を見開くと両手を大きく広げる。
ボクは地面に降ろされると、ヴラドさんを見上げた。
圧倒的な闇の闘気、それはこれまで戦ってきた階層主達にも決して劣っていない。
「よかろう! バッツよ、ならば全力で貴様を倒そう!」
「……負けないよ、今回も」
「今回も……? それって勇者さ――」
聞く間もなくヴラドさんが飛び出す。
まるで黒い弾丸、彼は裂帛と共に正拳突きを放つ。
「イヤーッ!」
カコーン!
甲高い金属音、勇者さんの盾が一瞬で上に弾かれた。
ヴラドさんはそこに残像が出るほどの拳の連打を浴びせる。
「イーヤヤヤヤヤァ!」
勇者さんは全身に拳を受ける、あの勇者さんが反応しきれないんだ!
このままでは一瞬で終わる、どうするんだ。
「ククク、動きにキレがないぞバッツ、以前はしてやられたがなぁ」
「ッ、ハァ!」
ヴラドさんの拳が静止する。
なにが起きたボクは息を呑むと、勇者さんが籠手でヴラドさんの腕を弾いているのを目撃した。
そこから反撃――は出来ない。
ヴラドさんは素早く攻撃手法を切り替え、至近距離からの短打に切り替えた。
勇者さんに物理的なダメージはあまり意味がない。
だけど全身鎧を凹ませるほどの拳打は危険だ。
「降参したらどうだ! あの子を見よ、今にも泣き出しそうな顔だ、お前がそうさせているのだぞ!」
「……ッ、ボク、は」
ボクは頬を両手で叩く。
確かに泣きそうだ、ボクって涙脆いから。
でもこんなところで泣いてなんかやれるか、ボクは思いっきり息を吸い込むと。
「何をやっているんだ勇者さーん! 根性を見せろー!」
「マル君、オーキードーキー!」
全霊を込めた激励。
勇者さんは一歩踏み込む、そのまま彼は肩からヴラドさんにぶつかった。
「ぬぅ!」
ヴラドさんが吹っ飛ぶ、勇者さんの初めて見せた体術だ。
「まったく容赦ないよなー、ヴラドってば」
「当たり前だ、愛しき者を賭けた決闘だぞ!」
「……うぅ、まさか囚われのお姫様の気分を味わうなんて、恥ずかしい」
真顔で言われると羞恥心で赤くなる。
竜に拐われたお姫様を旅の勇者が助けるという絵物語がある。
ボクは勇者には憧れたけれど、まさかお姫様側になるなんて夢にも思わなかったや。
でもなんでかちょっと嬉しい、それってやっぱり。
「勇者さんが、ボクを助けてくれるから?」
勇者さんは頼もしい、ちょっと惚けていて、情けなくて、それでも格好良い。
ボクの信じる勇者さん、彼は無敵のヒーローだから。
「ゆくぞ、ハァッ!」
ヴラドさんは凄まじい蹴りを放つ。
それに合わせるように、勇者さんも蹴りを放った。
ぶつかり合うと、危険な衝撃波が周囲に飛び散る。
二人の戦闘は、徐々に白昼していった。
「此奴、我の動きに徐々に……?」
「動きが鈍っているよーっと!」
裏拳がヴラドさんの頬を捉えた。
「ぬぅ!?」
「陛下ーっ!?」
レミさんが動揺し叫ぶ。
ヴラドさんは直ぐに肘打ちを叩き込む。
「ああもう、中々決まらないわね!」
「しかし勇者殿がくらいついておる、だが急に動きが良くなったような?」
「リビングアーマーに反射神経なんてないでしょう、思考が身体に追いついている、だからリビングアーマーは手強いのね」
魔女さんの解説にハンペイさんはなるほど頷いた。
勇者さんの動きのキレは、勇者さんの思考力に左右させるのか。
なら今は決断的だ、迷いがまったくない。
「ホーアチャ!」
「くぅ!」
遂に、勇者さんの蹴りがヴラドさんの胴を捉えた。
勇者さんは流れるように拳の連打をヴラドさんに叩き込んだ。
「アータタタタタタ! ホーアッタァッ!」
「ぐううっ!」
決まった、ボクは両手を上げる。
だけどヴラドさんは倒れない、ただ彼は胸を手で抑えながら怪しく笑った。
「フハハハ、やるではないか……なれば我も奥義のひとつ、みせねばなるまい」
そう言うと、ヴラドさんは羽織っていたコートを脱ぎ捨てる。
コートはズシンと石畳を砕き、ボクはギョッとした。
「なにあれ……?」
「陛下は普段より心身を鍛え上げる為に、百倍の重さのコートを着込んでいらっしゃるのだ、脱いだ今こそ、本当の陛下を知る時」
レミさんは得意げに話してくれた。
ボクは感謝すると、彼女は真顔になってそっぽを向いてしまった。
あらら、結構ノリの良い人なんですね。
なんだかヴァンパイアって言っても普通の感性、改めてヴァンパイアは化け物ではなく、ただそういう一種族なんだと実感できる。
だったらやっぱり。
「争うのはおかしい、よね」
愛の為に戦うヴラドさんを否定はできない。
その矛先がボクなのは困っちゃうけれど。
キッパリ諦めてもらうには勇者さんに勝ってもらうしかない。
だってボクは、まだ冒険をしたりないから。
「フハハハ! ゆくぞバッツ!」
両者構える、だけどヴラドさんの圧が増した。
まるで空間が歪んだと錯覚するような闘気、カスミさんの比ではない!
勇者さんはまるで柳だ、涼やかにプレッシャーを受け流している。
まるで激流を制するのは静水だって言っているみたい。
「イヤーッ!」
ヴラドさんが踏み込む。
だが速い、なんてもんじゃない!
一瞬で勇者さんの前まで踏み込むと、アッパーを打ち上げる。
上に吹き飛ぶ勇者さん、ボクは顔が真っ青になった。
これが本気のヴラドさんなのか。
「なんだこれ、圧倒的じゃないか……?」
ズシャア、と石畳に落ちる勇者さん、ヴラドさんは勇者さんの腕を掴み、持ち上げる。
「無様よ、まだ力の一端を見せただけだというのに」
「な、に、勝った気で、いる、かなぁ!」
勇者さんは腕を掴まれたまま、ヴラドさんを左腕で殴る。
しかしヴラドさんは微動だにしない、まるで涼風のように微笑すら浮かべる。
彼は力まかせに勇者さんを投げ捨てると、勇者さんは石畳を何度もバウンドする。
「くだらん、あの頃より三百年、我は一時も研鑽を忘れたことはない……だが貴様は昔より弱くなった、悲しきことよ」
「勇者さん……?」
勇者さんが動かない。
まさか完全敗北?
ヴラドさんは「決着だ」といい、背中を向ける。
「嘘でしょう、勇者さん……勇者さーん!」
「マールよ、いくら叫ぼうが気力や根性だけでは戦えぬ」
「――……っ、マル君の、声は本当に響くなー」
一瞬ヴラドさんは驚愕と共に硬直した。
直ぐに後ろを振り返ると、あの古ぼけた全身鎧がよろよろと立ち上がったのだ。
「まさか、あのまま寝ておればよいものを、既に力の差は思い知ったはず」
「そだねー、正直しんどいかなー、やっぱりヴラドは強いや」
三百年、いやそれ以上の時をカラテに注いだ求道者はもはや仙人の域にある。
人の寿命では絶対に成し得ない至高の武、芸術的で苛烈な技は神技だろう。
それでもあの人は諦めない。
それは……ボクの大好きな絵物語の勇者そのものだ。
「ネバーギブアップ……ネバーギブアップだ勇者さーん!」
ボクは声を張り上げる。
本音を言えばもう止めたい、二人共ボクの為に戦うなんて絶対間違っている。
これは二人の意地っ張りの醜い争いだ。
でも水を差しちゃいけない、それは二人に禍根を残すから。
「……こらぁバッツ! アンタ勇者なんでしょう、ここでくたばったら承知しないわよー!」
魔女さんも叫んだ。
魔女さんはこの戦いには一切関与しない。
彼女にとって、この戦いが神聖だと感じたからこそだろう。
その隣にいたハンペイさんは、ニヒルに笑うと、彼も声を張り上げる。
「勇者殿ー! 勝つでござる! 我らまだ道半ばであろうー!」
ハンペイさんの声、続くように今度はクロが叫んだ。
「負けたらアンタ一生呪ってやるにゃあ! ネコの呪いは末代までにゃあよ!」
クロは多分ボクがヴラドさんに取られても、そのままアニマール公国までついてきてくれるだろう。
でもボクの想いを知っているからこそ、それを彼女は望まない。
「うー!」
「キューイ!」
カスミさんとカーバンクルの声は、意味は分からなくても、胸に届く。
たとえキョンシーとなっても、彼女には喜怒哀楽があり、ボクの為に怒ってくれた。
カーバンクルは仲間として、勇者さんを認めている。
いずれにしてもかけがえがない。
「勇者様! 勇者様が負ければそれは全体の敗北であります! どうかー!」
フラミーさんも叫んだ。
皆勇者さんに勝ってほしい、だから。
「バッツさん、勝ってください……でないと、あの」
まだ付き合いの浅いリリーさんも勝ちを望んでいる。
ボクらの意思は一致した。
その想いを届け。




