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第160ターン目 冒険者であるから

 ディーファーさんが用意した料理は簡素な食事であった。

 蛇を燻製にした物に、畑で取れたという新鮮な(フレッシュ)サラダ。

 魔女さんが寝込んでいることもあって、こっちから出せる物は殆どなく、この時ばかりはただその善意に甘えるしかなかった。


 「食器はボクが洗いますね」

 「む? 助かる」

 「いえいえ、これくらいご協力させてください」


 コテージの外には水場がある。

 ディーファーさんはそこを生活用水にしているそうだ。

 ボクは使い終わった食器を持って外に出る。

 水はコテージの直ぐ脇にあるようだ。


 「湧水か、ほんとダンジョンって不思議だな」


 地面から溢れる湧水は小さな泉を形どっていた。

 ボクは泉の前に座り込むと、早速食器を洗浄していく。


 「あの、マールさん」


 洗っている途中、後ろから声を掛けられた。

 振り向くとリリーさんが傍まで寄ってくる。

 彼女はボクの真横で座り込むと、食器を手に取り。


 「私も手伝います」

 「リリーさん、足はもう大丈夫ですか?」


 リリーさんはコクリと小さく頷く。

 その細い足はもう完治したようだ。


 「お陰様でこの通りです」

 「そうですか、それは良かった」


 ボクは素直に喜ぶけれど、少しだけ完治したのか疑ってしまう。

 彼女が受けた傷はかなり重かった筈だ、早々に歩けるまで治るだろうか?

 どうもリリーさん、治癒が早すぎる気がする。

 彼女が(うそ)をついている可能性は……でも、嘘をつく理由が見当たらない。


 「リリーさん、もしかして自動回復(オートリペア)のスキルを持っています?」

 「えっ? 自動回復ですかっ」


 彼女は瞳孔を収縮させて驚く。

 ボクも思わず驚いちゃった。

 彼女は視線を逸らすと、口元を手で隠し答える。


 「あ、ある筈がないじゃないですか、私人間ですよ?」

 「まぁ、そりゃそうですよね」


 普通人間が治癒力を高める自動回復スキルを持つことはない。

 このスキルは魔物が主に持つスキルだ。

 自動精神回復(オートマインドリペア)なら、高位の魔法使いが持っていることがあるらしいけれど。

 魔女さんは間違いなく自動回復スキルがある、自動精神回復もだろう。


 「なら正直に答えてください、本当に完治したんですね?」

 「は、はいっ、誓って嘘はついていません!」


 彼女は背筋をピンと立てるとそう答える。

 背筋を縦に伸ばしただけで、豊満な胸が縦揺れしたな。

 ボクは見なかったことにして、心の内に縦揺れを忍ばせる。

 煩悩退散煩悩退散煩悩退散。


 「あのリリーさん、治ったなら、速やかに地上に戻ることをボクとしては推奨します」

 「え……でも」

 「恐らく明日、ボク達はディーファーさんに協力して、透明の悪魔を討伐します」


 リリーさんは戦慄する。

 あの強敵と戦うこと、それは命の保証の出来ない危険な戦いだ。

 顔を青くするリリーさんにボクは微笑む、心配はさせない。


 「カスミさんと魔女さんの治療はまだ掛かるでしょう、どの道ボクらは更に深層を目指しますから」

 「ダンジョンを制覇する為?」


 コクリ、そうだと頷く。


 「より正確に言うならば、大魔王エンデを討つことです。大魔王が復活したら地上は混沌の渦に巻き込まれるでしょう」

 「強い者が弱き者を虐げる世界、ですか」


 彼女は想像すると全身を震わせた。

 ボクは洗い物を片付けながら、顔を上げる。


 「だからこそ、戦わなければならない」

 「お願いしますマールさん、こ、怖い人にはならないで……」


 不安げな声だった。

 彼女は瞳を揺らし、ただ懇願する。

 それはボクが毎日する神への祈祷と同じに思えた。

 ボクはどうすればいい、わからない……けれど豊穣神様ならどうするか?

 簡単だった。ボクはリリーさんの手を優しく握ると、笑顔で「はい」と答える。


 「ボクは治癒術士ですから、怖い人にはなりませんよ」


 なんて豊穣神スマイルで言えば、リリーさんも少しだけ落ち着いたように思えた。

 ボクは治癒術士だから、子羊を不安に追い込む訳にはいかない。

 傷ついた者がいれば癒やし、非道に晒される者があれば護り、運命に打ちひしがれる者には救いを齎しましょう。

 理想論ではあるが、ボクには重要な【三聖句】だ。


 「本音を言えば私はマールさんこそ地上へ帰ってほしい」

 「帰りますよ、全てをやり遂げた後ですけれど」


 彼女はボクの手をギュッと握り込む。

 ちょっと痛いくらい、ボクは笑顔を絶やさない。

 不安は伝播しますからね。


 「マールさん! ダンジョンは危険です! 冒険者なんて止めれば命までは……命、までは……」


 彼女の言いたいことはわかる。

 ボクのちっぽけな命には、どれほどの価値があるかわからない。

 彼女はそんなボクを慈しんでくれる、それは本当に嬉しい言葉だった。


 「確かに、豊穣神の神殿に帰依(きえ)しても、ボクの治癒術士としての活動は可能です」

 「だったら一緒に……!」

 「でもね、ボクは冒険が大好きなんです。えへへ、おかしいでしょうけれど、ボクもやっぱり命知らずの冒険者なんでしょうね」


 冒険者ほど命の安い職業はない。

 これはボクが冒険者ギルドに加盟した時に、最初に言われた言葉だ。

 冒険者とは常に危険と隣り合わせであり、夢と浪漫を求めるのだと。

 ボクみたいなひ弱でちっぽけな男がなんで冒険者なんてやっているのか。

 簡単な答えだ。


 「夢と浪漫はこうじゃないと得られません」


 彼女は絶句する。

 そしてもう止められないと俯いてしまう。


 「そんなに早死にしたいんですか?」

 「死にたくはありませんね、リリーさんだってそうでしょう?」

 「当たり前です! 私は死にたくない!」

 「ならやっぱりリリーさんは地上に戻るべきです」


 彼女はある意味で最も冒険者らしくない。

 生きたいって気持ちで一杯で、それを他者にも分け与えられる優しい人だ。

 それは尊敬できる尊さである。

 人間は少なからず自分のことで精一杯になる。

 そうなったら他人に優しく出来なくなるのだ。

 ボクはそうはならないように心掛けているけれど、リリーさんも同じだろう。

 惜しむらくは彼女の慈悲に報いることが出来ないことか。


 「豊穣神様、どうかこのたわけをお許しくださいませ」


 ボクは馬鹿(たわけ)だ、どうしようもなく。

 だけどボクは立ち止まらない、必ず皆を救ってみせる。

 大馬鹿者(ドン・キホーテ)だと罵られても、ボクはやめない。

 信じる道があるんだから。


 「キューイキュイ」


 突然カーバンクルが後ろからボクの背中を登ってきた。

 ボクが驚くと、カーバンクルはボクに(ほお)ずりする。


 「アハハ、ちょっとくすぐったいってば、遊びたいの?」

 「キュイー」


 カーバンクルは遊びたいようだ。

 食事の後でちょっと退屈だったのかな。

 リリーさんは食器を纏めると立ち上がる。


 「食器戻してきます」

 「ええ、お願いしますね」


 リリーさんがコテージに戻る間、ボクはしばしカーバンクルと戯れるのだった。

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