第158ターン目 上級冒険者の 墓参り
ディーファーのコテージを借りてマールが怪我人の治療をしている頃。
ディーファー自身はコテージを出て、森の中を歩いて行った。
魔物の声が聞こえる中、彼は精神を研ぎ澄ませ、一切の油断を見せない。
まるで研ぎ澄まされたナイフだ。
「シュルルルル!」
太い樹木の枝に身体を巻きつける蛇がディーファーに威嚇する。
黄色い身体に赤い斑点のある【パラライズスネーク】だ。
ディーファーは歩みを止めない。
パラライズスネークはディーファーが下を通過すると、一気に襲いかかった。
「フンッ」
しかしディーファーの動きは速い。
腰のベルトに差していたマチェーテナイフを振り上げると、パラライズスネークの頭が宙を舞う。
圧倒的な格の違い、パラライズスネークは見逃されていたことさえ気づかず、一瞬で絶命。
それを離れた場所で見ていたフードで顔を隠した少女は畏怖する。
「魔物を一瞬で、アイツもかなり腕が立つわね」
サキュバスのリリーはディーファーの尾行を続ける。
マール殺害の障害になり得る存在はなるべく、始末すべきだ。
ディーファーは黙々と進むと、やがて視界が広がった。
ダンジョン内にしては明るい、天井から魔石灯の灯りが強く照らしている。
ディーファーは明るい空間の前に進むと、膝まづいた。
両手を合わせ、目を閉じ頭を垂れる。
ディーファーの前にあったのは、粗末な墓である。
墓と言っても形の整っていない墓石を置いただけ。
墓の前には献花もされており、そこにディーファーのかつての仲間の死体が眠っているのだろう。
「……っ」
リリーは背後からそれを見つめていた。
全身が筋肉の偉丈夫も、今は無防備だ。
【夢魔の視線】で眠らせてしまえば、どんなに屈強な男でもイチコロである。
やるか、リリーは喉を鳴らす。
緊張で手が汗ばむ、相手は格上だ。
先程の一戦を見ても、リリーより格上なのは間違いない。
しくじれば全てが終わる、だが魔王の脅威を放っておけはしない。
「……いつまで後ろにいるつもりだ?」
「なっ!?」
ディーファーは黙祷を終えると後ろに振り返り立ち上がる。
リリーは逃げるか逡巡したが、不可能と判断し、大人しく彼の前に出た。
「ダンジョンの中にお墓?」
「そうだ、おかしいか?」
「おかしいわよ、ゾンビ化するわ」
ダンジョンは無慈悲だ。
ダンジョンで死んだ冒険者は魔物に転生する。
肉体はゾンビに、魂はゴーストに、極稀にキョンシーのような例もあるが。
「どうして遺体を地上に持って帰らないの?」
リリーはその粗末な墓を見て、気不味く視線を逸らす。
魔物に墓はない、魔物は死んだらどうなるのか、サキュバスは知らなかった。
ただ願うのは、楽園である。
魔物の楽園、誰にも支配されず、どんな魔物も自由でいられる場所。
そんな稚気地味た夢が、リリーに現実を否定させた。
「持ち帰ろうとしたさ……だが奴がそうさせなかった!」
「奴って、透明の悪魔?」
ディーファーは頷く。
その端正な顔に憎悪を滾らせて。
「透明の悪魔はおれの仲間達を次々と惨殺した、おれは仲間も守れず逃げるだけで精一杯だった」
「そんなに強敵なのね、透明の悪魔は」
「あぁ、だが奴も無敵の筈はない、必ずおれが始末する」
あぁ、これが人なんだ。
リリーは小さく首を振ると、自分の身体を両腕で抱く。
怖い、恐ろしい。
やはり魔物と人は相容れない。
油断しちゃ駄目なんだ、必ず冒険者は皆殺ししないと魔物はいつまでたっても憎まれる。
……けれど、本当にそれでいいのか?
「血で血を洗う……それでいいんですか?」
「なに?」
「……ごめんなさい、やっぱり忘れてください、私はマールさんの下に戻ります」
リリーはそう言うと、ディーファーに背を向ける。
彼はリリーの小さな背中を見つめていた。
その大きな胸にあったのは郷愁。
血で血を洗う闘争、過去幾星霜冒険者と魔物は戦ってきた。
何故リリーはそんなことを聞いてきたのか、ディーファーは首を横に振ると。
「なんだろうな……だがケジメはいるんだ、おれには」
彼は拳を握る。
戦いの虚しさ、復讐の意味、華々とした冒険の裏にある闘争の歴史。
ディーファーの手は血塗られている。
それを彼女は本能的に恐れたのかも知れない。
§
「ふぅ、カスミさんお腹は痛くないですか?」
リリーが戻るとマールは額から汗を流して、怪我人の治療を行っていた。
コテージに戻ると、あの呪われた鎧がこちらを振り向く。
「あっ、戻ってきたんだー」
リリーは胸を手で押さえると、ぎこちない笑顔を返した。
勇者バッツの成れの果て、鎧の悪魔はリリーを見ても動じない。
リリーの正体に気づいているだろうか、その上で見逃されている気がして、平常心ではいられない。
彼女はすぐにマールの下に向かうと。
「マールさん、お汗がすごいことに、少し休んでは?」
「あっ、リリーさん、えっと、その……あはは、ボクはこんなことでしかパーティに貢献出来ませんので」
リリーは優しく布でマールの汗を拭うと、彼は子どもっぽく頬を赤らめた。
照れている、歳相応の少年なのに健気である。
「そんなことはないんじゃないでしょうか? マールさんは頑張り過ぎていると思います」
「そうですか? そんなことはないって自分では思っているんですけれど」
「にゃあ、リリーの意見も一理あるにゃあ、主人ちょっと休めにゃあ」
黒猫のクロはそう言うと、強引にマールの膝でゴロンと寝転がる。
マールは困った顔で動けなくなると苦笑する。
「あはは、ふぅ、それにしてもディーファーさんは?」
「あの人なら、森の奥へ出かけましたよ」
本当は墓参りだ。
だけどリリーは教えるつもりはなかった。
何故なら言えば、必ずお墓に行こうとする筈だから。
まだ知り合って短いが、彼は優しさの塊であった。
正体を知らないとはいえ、一夜ずっと傍で寄り添い、怪我人が出れば治療し、強敵が出れば盾となる。
治癒術士が如何に多忙といえど、マールは度を越しているのは明白だ。
「マールさんが倒れたら、誰が治療するんです? もう少しご自身をお労りください」
言ってて、何を馬鹿なとは思う。
マールが倒れればそれこそ好都合だろうが。
口には出来ない、だけどその優しい手が不意にリリーの手に触れる。
「そうですね、リリーさん」
「っ、あ……えと」
「うん? どうし……あっ!? 手、ごめんなさい!」
つい癖のような物だ、寄り添うことを大切にするマールは無意識にリリーの手を重ねたのだ。
リリーは顔を赤くすると、少しだけ離れる。
もし、もしもだ……この人なら、リリーを楽園に連れていってくれるんじゃないか。
マールの優しさはきっと有限だ、そうでなければリリーは苦しまない。
彼は地上を救済する為、大魔王エンデを討伐しようと戦う。
それは相容れないが、彼はそれでさえ冒険の道程なのだ。
きっと彼の救済に終わりはない。
生涯に渡って彼は、優しさと慈悲で地上を照らし続けるのだろう。
その光は、魔物の目を眩ます。
「えと、お水、持ってきますね」
リリーは、マールから離れるとコテージを出ていく。
マールと居ると心地いい、それが酷く恐ろしく思えた。




